-
◆
――伸ばした手は空を掴んだ。
そのあまりに現実的な感覚が蒼斗の意識を引き上げた。
「……?」
鉛のように、重い身体。所々穴が開いたような鈍痛。
――やれやれ、傷口に粗塩を塗りたくられたような気分だ。
あの時のことを忘れたことはなかった。
侮蔑の含む少女の目と、憐れむような母親の目は蒼斗に無力さを思い知らせるのに十分だった。
何の役にも、立てない――と。
「ん……」
入り込む涼やかな空気の香りを捉え、蒼斗は瞼を震わせた。
心地よい……とても穏やかな気分になれる。
ふと目を開ければ真っ暗な視界が飛び込み、思わず息を呑んだ。
自分が目隠しをされていると気づくのはすぐで、拘束をされていない手を目元に運ぶ。
「あ、ダメダメ! 取っちゃダメ!」
「え!?」
遮るように蒼斗の手に重ねられた手。ひやりとした感触と突然の女――というより少女の声に仰天した。
「と、取るなってどういうことですか? そもそも、あなた誰ですか!?」
「まぁまぁ。それよりもそのアイマスクまだ取っちゃダメだからね」
「アイマスク!? これアイマスクなんですか?」
「このままアイマスク取ったら、目がイカれちゃうからね」
「そ、それってどういう意味ですか!?」
「そのままの意味。まだ太陽の光に慣れていないだろうから」
太陽……?
少女は蒼斗の視界を覆うアイマスクに触れる手を払いのけた。まだ触れてはいけないようだ。
抵抗してもいいが、瞼とアイマスク越しに感じる外の気配に不安を抱いたのも正直なところ。
太陽の光という言葉も気になる。警戒しつつ、大人しく従うことにした。
陶器が小さく鳴る音を耳に入れながら、周りに意識を集中させる。
ゆるゆるとした暖かな部屋、一定に刻まれる時計の針の音。
服の擦れる音――畳の匂いもする。
「二日も眠ったままだったから、何か飲む? といっても、インスタントコーヒーと水しかないけれど」
「あ、はい、じゃあ水を……」
「ん。じゃあ、私はコーヒーにしようかな」
何て呟く声の後に隣で動き始める少女。気配から危険はひとまずなさそうだと思った蒼斗は、大人しくしていることにした。
「二日も……っ、僕は……確か黄泉橋から――」
蘇るのは山奥を逃げ惑い、黄泉橋に追いつめられ……祥吾に撃たれた。
あの冷徹な瞳が脳裏にこびりついて離れない。氷のように冷たい威圧的な態度に蒼斗は吐き気に襲われ、片手で口元を覆う。
まさか、祥吾があんな顔をして殺意を向けてくるだなんて――。
撃たれた胸部に手を運び、そこで蒼斗は己の触覚を疑った。
「傷が……ない?」
――確かに僕は撃たれて……?
確実に胸部に受けた銃弾。ごっそり持っていかれる体温の恐怖は忘れられない。
――それなのに、触れたそこには傷一つすら残っていない。何度擦っても、同じことの繰り返し。
「傷は完治していますよ」
「え?」
スプーンがビンに当たる音と、紙が擦れるような音。
「発見した時、あなたは確かに胸部他の箇所を撃たれて瀕死の状態でした。でも、急所はほんの僅かですけど外れていました。はい、お水どうぞ。毒なんて入れていませんから」
「はあ。……あの祥吾が、外すなんて……」
「まぁ何にしろ、その小さなズレがあなたを生かしたことに変わりはないので、運が良かったですね」
射撃の腕は蒼斗より優秀だった祥吾。あの距離から狙ったのならば、まず外すことは滅多にない。
高確率の中、殺し切れなかったということは――と、蒼斗の中で小さな期待と否定する言葉が交差する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます