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「この話……」
「覚えているか? 昔、それ読んでいたんだぞ、お前」
「僕が……」
そうだ、僕はこれを読んだことがある――蒼斗は本の表紙をそっと撫でた。
黒地に黄の文字で書かれたタイトルが鮮明に脳裏に浮かび上がる。
あれは、蒼斗が桐島家に引き取られてから数週間経った頃のことだった。
空っぽの頭と災害の影響で精神状態が不安定だった蒼斗は、家の人間にあまり馴染めずにいた。生きる目的もなく、昼夜問わず空を縁側から眺めているのが日課だった。
そんな暇を持て余していた蒼斗はある日、一冊の本を見つけた。それが『忘却の国』だった。
「これを読んでいるのを義父さんが見た時のことを覚えているよ。凄く怒って恐かった。どうしてか教えてくれなかったけど、二度と読むなって怒鳴ったあの顔は忘れられない」
「俺も。鬼のようだったよな」
義父に取り上げられた本が忘れられなかった。だから蒼斗は彼の目を盗んで取り返し、部屋の奥にしまい込んだ。
「捨てないでおいてくれていたのか……義父さんが、あれだけ叱ったのに」
「だって、お前の大事なものだろう?」
「え?」
「あの頃、人形のような面をしていたお前が、家に来てから初めて興味を示したのはあの本だった。そんな大事なものを俺が捨てるわけがないだろう」
初めてこの本を手にした時……経緯は忘れてしまったが、言い表しがたい感情が胸に入り込んだ。
「俺は、お前が安心して帰ってこられるように全力を尽くす。だから、もう少しだけ、待っていてくれ」
「祥吾……っ、ありがとう」
蒼斗は大丈夫だ、と頷く祥吾から本を受け取った。
◆
翌朝、蒼斗は妙な胸騒ぎがして、目を覚ました。
汗をびっしょりとかき、鼓動は運動もしていないのに忙しなく、小刻みだ。
もっとも、蒼斗を不安にさせたのは――彼がみた祥吾の夢だった。
「何だったんだ今の夢は……っ」
薄暗く視界が不明瞭だった。
その中で、蒼斗はただ真っ直ぐある一点を見下ろしていた。荒い息遣いが頭の中で木霊し、口角は気味が悪いくらい持ち上がっている。
見据える先には、恐怖と苦痛で悲鳴を上げ、必死に助けを求める祥吾。
そして狂気に満ち時折怒声を上げながら注射器を片手に身体に突き刺す義父の声。
木霊するその汚らしい笑い声が普段の義父からは想像できず、何故このような夢をみたのか自分でも理解できなかった。
尋常ではないそれは、ただの夢とあしらうには無理難題だった。
「――こんな朝早くに何の用ですか」
管理人の怒声で、蒼斗の意識はふと外にそれた。
普段声を荒げることのない管理人の様子から、外で異変が起こっていると悟る。
職業柄の癖もあって身の回りを確認し、警戒する。窓の外を伺えば、見覚えのある防具と武器を持つ人間たちがアパート全体を囲っていた。
これは一体……? 何故特機隊がこんなところに?
「逃げてください、桐島さん――!」
管理人の叫び声――それに伴う一発の銃声で事態は回るように一変した。複数の足音と防具がガチャガチャと鳴る音がこちらに近づく。
緊張が走った身体は管理人の一言で弾かれたように逃走ルートを探り、蹴破られたドアの先を見据えて驚いた。
「ここにいたか、桐島蒼斗」
「副島君……!」
「呑気に寝ていたのか。あんなことをしておいて、大した肝だ」
「何の話ですか」
暗闇に慣れていない視界の中、うっすらと浮かび上がる副島の顔には侮蔑の色が見えた。
「お前を樫宮長官殺害容疑で逮捕する」
「っ、何だって!?」
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