‐



「私はあなたの選択に対して責めません。その必要もありません。私はただ、純粋にあなたのことを少しでも知りたいと思っただけなので」

「どういう、ことですか?」

「分かっているくせに」


 近衛の白い手が蒼斗に伸びた。ガーゼが貼られていない頬を、力を込めれば容易く折れてしまうような細長い指が触れた。ひやりとした冷たさに驚きつつ、蒼斗は目を泳がせる。

 どうすればいいのか、考えを頭の中でぐるぐると巡らせ、自然と自分の手を重ねていた。


「……あら?」


 瞠目した後、近衛は蒼斗の頬から手を離し、重ねられていた手を取って掌を返した。

 現れた手の甲には、青痣が浮かび上がっていた。押しても痛くないことから外傷によってできたものではないのだろう。

 しかし、桐島家に拾われてこの方入れ墨などしたことがない蒼斗は身に覚えがなかった。そもそもこんな目につくところにあったとしたら、とうの昔に自分で気づいていたはずだ。


「これ、あなたが彫ったんじゃないんですか?」

「まさか! こんな目のつくところにそんなことするわけないじゃないですか! いや、そもそも掘ること自体しません!」

「でも、現にこうしてありますよ」


 擦っても消えず、蒼斗は困り果てた。このまま目の敵にしている輩に見つかってしまえば、嫌味の一つや二つや三つ言われることだろう。行き場のない溜め息が漏れる。


「まさかあなたが治安維持局を辞めて日が浅いうちにグレて刺青を入れるようになるなんて、思いもしませんでしたよ」

「だ、か、ら! そんなことはしていませんってば!」

「仕方ないですから、私のグローブ貸してあげます。これでもはめておけば、少しは周りに見られず済むでしょう」


 近衛は小さく息をつくと、腰に提げてあるポーチから黒い指先のないグローブを取り出した。その内の片方を蒼斗に差し出す。


「あ、ありがとうございます……って、少し小さいですね」

「文句を言うなら返してください」

「い、嫌です!」

「嫌って何ですか」

「あ、いえその……っ、本当に助かります! ありがとうございます!」

「言っておきますけど、貸してあげるだけですからね」

「分かっています!」


 近衛は、蒼斗がちゃんと返すように敢えて片方だけを貸したのだろうか……?

 だとしたら、何にせよ、また彼女に会う口実ができた。

 蒼斗は少しぴったりすぎるグローブを見つめ、嬉しそうに目を細めた。


「何笑っているんですか、気色悪いですよ。不良になっただけでは飽き足らず変態にも成り果てたのですか?」

「酷い! 言葉の暴力やめてください!」

「はいはい、さぁ着きましたよ」


 上に祥吾のオフィス付近に到着したところで、近衛はまったくもう、と鼻息荒くした蒼斗を追い払うように手を振る。

 それからすぐに踵を返して元来た道を辿る。そこで――。


「近衛さん!」


 規則通りに業務をこなした近衛は、呼び止められてまだ何か用かと後ろを振り返る。


「ありがとうございます、ここまで送ってくれて」

「……別に、これは決まりですから。……さっき話したことは伏せておきますから、ヌケサクなあなたは自分で墓穴掘らないように気を付けてくださいね」

「わ、わかっていますよ!」


 ノックをして祥吾のオフィスに消えていく蒼斗を今度は見送り、近衛はひとり廊下に残される。

 長い髪を片手で後ろに流しながら歩みを進め、丁度来た無人のエレベーターに乗り込む。


「助けなければならないと心が叫んでいた、か……。あなたらしい答えですね」


 

 ――それでもってつくづく滑稽で、甘い考えだ。


 

 誰の耳にも届かないまま、近衛の呟きにも似た言葉は静寂に溶けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る