第12話
『やあ、間抜けなレイジ! 俺、ここに来て長いからさ、何でも聞いてくれよな』
「本当かよ先輩!? じゃあ此処から出るにはどうすればいいんだ?」
部屋の隅に転がっていた骸骨の頭部を拾って、腹話術のように顎をカパカパと動かしながら無理やり捻り出した高い声と交互に会話をする。
『ははは、それが分かればこんなとこにいないよ。ははは』
「ははは、馬鹿か俺はよッ」
苔だらけのタイル壁に骸骨の頭部をぶつけて粉砕し、退屈そうにカビ臭いゴザにやけくそ気味に横たわる。
「ーーおめぇ、友達いねぇんだろなあ」
レイジの奇行を観察していたカッツェは、哀れみの眼差しを向け、監視の片手間に義眼を弄くりまわして遊んでいた。
§
「レイず、面会だ」
退屈な時間が過ぎていく中、カッツェの一言に顔だけ気だるそうに上げる。すると、逆さまの視界に映るカッツェの隣に、灰色のスーツの気品溢れる都会人がにこやかに微笑みかけてきていた。
「誰?」
「コラッ! 本来なら死罪のところをこの御方様がわざわざなぁ……」
「良いんですよ」
槍を構えて威嚇するカッツェを抑える。
いぶかしげに見つめてくるレイジにお辞儀をすると、懐から一枚の小さな紙を取り出して、鉄格子の隙間から手渡そうとする。
「都会人の貴方なら『名刺』、お分かりになりますよね」
「作法は知らないから怒るなよ?」
鉄格子から伸ばしてくる名刺を、身を起こしてから素っ気なく受け取った途端、眉間にしわをよせて穴が空くほど名刺を見つめる。
「……はし」
「タチバナです」
「あ、はいはい。何と無くタチバナさんって感じがするわ、りょーかい」
調子良く相槌を打っているレイジに我慢ならなくなったカッツェは、突き出した細長い槍の先に青白い炎のオーラを纏わせ再び威圧する。
「おめぇッ! タつバナさんを侮辱したら串刺しにすんど!」
「いやお前も呼べてねぇじゃん」
「オラまでも侮辱すんのか!? こんの、青っ子がぁ」
「落ち着いて下さい。そう精神を乱すものじゃありませんよ」
背筋が凍る程に恐ろしく、しかし心の隙間に入ってくるような優しい声色でカッツェを諭しその場を収める。
カッツェが不服そうに溜息をつくのを耳にすると、甲冑に身を包んでいても穏やかでない表情だということは察しがついた。
「カッツェさん、二人きりで話をさせて下さい」
「……済んだら話しかけてくんろ」
「はい」
気落ちした様子で槍に込めたオーラを払い、階段の方へと向かって行ってしまった。
カッツェの足音が聞こえなくなると、タチバナは待ちわびていたかのように妖しく口元を緩ませる。
「……君と話がしたかった。レイジ君」
色気を感じさせる物欲しそうな眼差しをレイジに向けて、暫しこの貴重な時間を自分に預けてくれるように懇願する。
「どんな?」
ぶっきらぼうに返事を返すと、タチバナは机にひっ散らかしてあるレイジの所有物から一枚の写真を手にとり鉄格子に近づいた。
「五年前、西の地方にある学園で遺産の一つ、黄金鐘で回転翼を出現させた時の話です」
「……裏山な」
またそれか、と言った顔であからさまに面倒臭そうな表情でタチバナを睨みつけた後、再び仰向けに寝転がり、飽き飽きしている口調で何回も受け答えした台詞を吐き捨てる。
「つーか、詳しい話なら管理してるパラディンのバッちゃんに聞けよ……」
「貴方から直接伺いたいのです。魔法を生み出す力の源、精神力。貴方にはそれ自体が微塵も感じ取れない。純血である『都会人』ならまだしも、精神が皆無ならこうして会話すら出来ないはず。この子と遺産が関係しているんでしょう?」
第三者目線の突き放した話し方にも構わず、タチバナは鳶色の瞳を無垢な子供のように輝かせて食いついてくる。
その写真に写った、儚げに微笑みかけている、穢れ一つすらない白く輝いたワンピースを着た少女に指差しながら、よどみなくタチバナは喋り続けた。
「ナナミちゃんは家族ではないのですよね? 彼女は百年前から存在していた精神体で、貴方に取り憑いていたと……」
「……突飛な話で信じる気にならねぇだろ」
伝えるのは容易ではない、と言った複雑な表情になるとレイジとタチバナの間に張り詰めた空気が漂い始める。
「レイジ君。確かに私も【上】の存在なんて信じていなかった。学園で貴方に出会うまでは」
「……え? お宅いたっけ?」
気ままな学園生活を満喫していたレイジにとって、タチバナのような人物に会った記憶はなかった。
「はい、貴方は私に生命の息吹を吹き込んでくれたんです」
「は、はあ?」
心当たりの無い言葉に腑抜けた返事を返すと、かじりつくように鉄格子に張り付いていたタチバナは我に返ったのか、首元程しかない橙かがった金髪を掻き分け溜息をつく。
「ーー取り乱して失礼。プライバシーもありますし、今は詳しく聞かないでおきます。ただ、貴方は魔法が使えない身体という認識で良いか、それだけ聞かせてください」
「……ああ、そうだよ。俺の精神はソイツと【上】に在るってヤツな」
少女の写真を指して、お返しと言わんばかりに詩人のような口遊みをした後、タチバナが意気揚々とした声調で、静かな喜びに打ち震えていたのが分かった。
「ありがとうございます。ますます興味が湧きました、【上】の世界に」
「なあ、あんたさ。俺ばかり質問責めじゃあ、全然対等じゃねえじゃん」
「……」
「もしもぉし!」
レイジの問いかけにはすぐに答えず、暫く口を噤んでいると考えが纏まったのか小さくコクリ、と頷いた。
「そうですね……対価として教えて差し上げます。私がこの国に来た理由を」
「理由?」
「【上】に行く遺産が、この本島にあるんです」
§
「【上】に行く為の遺産が眠っているんですよ、あの神殿には」
天に指差しながら、ほのかな笑みを含んだ表情でレイジに語り始めた。
「(……あの扉か)」
薄汚い黄ばんだ染みがついた牢獄の天井を見つめながら、ミネルヴァの視界が捉えていた神殿の奥に立ち並ぶ異空間への扉をレイジは思い返していた。
近代的な扉の中でも一際目立つ年季の入った奇妙な扉。賢者の創りし遺産があるとすればあの場所にしかないと確信を得る。
「ただですね、『普通の人間』じゃあ遺産のある場所へは辿り着けないんですよ」
「ふーん」
勿体ぶったタチバナの口振りから、自身の経験と合わせることでおおよその察しはついたが、レイジは恍けた口調で話に乗っかる。
「すでにご存知でしょうが、魔の血を受け継ぐ者だけが遺産への扉を開けることが出来るんです。その鍵は既に手中にあります……」
「へーそーなんだー」
両足を上下にバタつかせ、興味なさげに返事をするレイジを見ても、なおタチバナは流暢に語り続けている。その様子はまるで長年の親友に再会したような、気分が高揚した状態に見えた。
「どうして気落ちしているんですか? 遺産はレイジ君が求めているモノなんでしょう? ワクワクしてきませんか?」
「ワクワクはするけどさあ、罪のない人を物扱いしてる奴は嫌いなんだよね」
「……」
すくっと立ち上がったレイジは欠伸をしながら鉄格子へ近寄り、無気力な言葉遣いで一蹴する。
言い捨てられた言葉に笑みが一旦途絶え、タチバナは顔を俯かせて弱々しく何かを呟いていた。
「レイジ君……私は貴方に……」
「んだよ」
口籠った呻き声が途切れると、タチバナは引きつった笑い顔を上げてレイジの左眼をジッと見つめた後、いつものように微笑む。
「彼女は、人ではありません」
「あ?」
何かにつけて浮かべるタチバナの笑顔には、『普通』とは呼べない、何処かズレている狂気じみた雰囲気を感じさせ、それはひしひしとレイジの身体の芯へ伝わってくる。
ただレイジには同じ穴の狢<むじな>だと感じ取れたからなのか、不気味に感じていたり恐怖を覚えたりというわけでなく、一番に込み上がってきていた感情は哀れみであった。
「ふふ、ふふふ」
「さっきから何が可笑しいの? 便所でも笑ってそうな勢いだな、お宅」
「魔族は人じゃあ、ありません」
「あっそ。お宅とは仲良くなれそうにないわ」
目の前から消え失せるよう手で払う仕草をしている最中、満面の笑みを保ちつつ少女の写真をレイジの眼前に見せつけるタチバナ。
「ーーおい」
「魔族は滅す。世界の掟ですよ」
そのまま写真の端にスーツポケットから取り出した『ライター』を近づけ、親指を二、三回動かし写真に着火させると床に放り捨てた。
「てめぇ」
「燃えちゃいましたね」
止める隙も無くレイジの所持品であった少女の写真が、焦げ臭い煙を立ち上らせて、彼女の生きた証をこの世から消滅させてしまう。
「寂しい事言わず……仲良くしましょうよ」
焼け残りの写真だった燃えかすを、革のブーツで態とらしく思い切り踏みにじる。
終始タチバナの勝手な振る舞いに憤りのゲージが超えて、ぶちり、とレイジの頭の中で何かが切れた。
「……そうだな、握手をしようか」
猛獣の如く殺気じみた眼差しにぞくりときたタチバナは、恍惚とした表情で鉄格子の隙間から手を差し伸べるレイジを見つめ返す。
§
とある建物の屋上からクレアシオン広場に群がる民衆を、塗りたくられた蜂蜜に集う虫達を見るかのように、蔑んだような目で見下ろす小柄な男。
男は宿舎から盗んだ、紫に統一された下着を身に纏い、露出させた肌からは風のように舞う黄緑色のオーラを吹き出し全身を風景に溶け込ませることで、自身の内なる変態性を紙一重に隠しながら、そのスリルを味わっていた。
「僕の精神は加速している。誰にも追いつけない」
タチバナから貰った小袋から、薬草とは一風変わった小さな固形の白い粒を取り出すと、一粒歯に挟んでゆっくりと噛み締め、静かに横たわる。
「ん〜……ッ! ッ! ッ!」
性的行為から得られる快感や、権力を振りかざす快感とは訳が違う。それらを遥かに上回る、人類を超越したかのような圧倒的開放感と優越感がじわりじわりと脳に溶けてゆく。
次第に意識は常に先へ、先へと加速していき、その影響は視界にも現れ魚眼レンズのように見えるもの全てが歪んで見えていた。
「追いつかれてはならない。私はミネルヴァ。追いつかれてしまえばミネルヴァで無くなってしまう。彼女と同化して私は皆から称えられる。加速しろ。ほほ、ほほほほ」
サイズの合わないブラジャーの肩紐を何度も戻しつつ、クロスボウに矢を装填して準備に取り掛かる。
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