第13話
「(くそ……)」
ミシムナ城から城下町へと繋がる通りは、急斜面になっている道が非常に多い。徐々に強くなる頭痛に耐えながら、疲れを癒すべく女性宿舎へと霞む視界の中おぼつかない足取りで自重を支えつつ向かっていく。
「(汗を流せば、すぐに気分も良くなるハズ)」
そう自分に言い聞かせながら、周りに悟られぬよう、澄まし顔で斜面を下っていこうとする。
ミシムナ城付近の通りは何処と無く物静かで寂れており、城に仕える騎士や兵以外に人を見かける機会など滅多にはない。
神官を守護する立場の人間が初日から体調不良などと、そんな不甲斐ない姿を一般人に晒したくない。
そう言う意味では、この通りは人々の喧騒から離れているし、極端な陽射しも浴びずに宿舎へ辿り着ける、ミネルヴァにとって最も都合の良い道なのだ。
「ーーミネルヴァ!」
「(こんな時に……まずい)」
声のする坂の下り側の方から、大勢の女性騎士達が列をなして坂を上り歩いてくる。
「(リッタ達か)」
先頭を行く黒金の甲冑に身を纏う騎士を凝視していると、騎士達はミネルヴァの前で列を乱すことなくピタリ、と歩みを止めた。
「具合が悪いのか、ミネルヴァ」
黒金の騎士は兜を取ると、すらりと長い白髪にこんがり日焼けした褐色の美しい顔を露わにした。
「私は平気だ。それより……どうした? そんなに騎士達を率いて」
あくまで平然とした態度を装いリッタに尋ねると、彼女は言い辛そうに咳払いする。
「実はだな……パラディン就任で忙しくしてるのは重々承知の上なのだが、早急に伝えなくては、と……」
女性騎士達の表情に躊躇いの色が濃くなる。性格からしてバッサリと言い捨てるタイプのリッタが口篭るとは、そうミネルヴァは嫌な予感がしていた。
「今朝、お前の部屋が荒らされているのを管理人が見つけた。金目の物ではなく、クローゼットが散らかされていた……恐らくだが……その」
「……何処も彼処も下らない奴が湧く」
『盗人』関連のワードにはうんざりしていたというのに、ここにきて自分の部屋に下着泥棒が忍び込んだと聞かされ、憤りを通り越してミネルヴァは心底呆れ返る。
「ブッチャーが怪しいと部屋に踏み込んだが、見つけることは出来なんだ。未だ消息は掴めていないが、十中八九奴が犯人だろう」
「今からアルカイオス王に報告して、あの豚を牢獄にぶち込む許可を頂くのよ! 大体、前々からミネルヴァ様や皆に対していやらしい目で……」
話途中で怒りが蘇った騎士達は、騎士としての誇りにかけて処分すべきだと騒ぎが大きくなってくる。
「……」
周囲の憶測には耳を貸さずに、ミネルヴァは唇に人差し指を当てながら冷静さを欠くことなく犯人を推測していく。
「(品の無い下着泥棒には興味はないが……関わっている奴が気になる)」
パスカードを持ち合わせていないブッチャーだけでは、魔法障壁で囲い込まれた女性宿舎のセキュリティを突破するなど不可能。仮に入り込んだとしても、あの巨体であの性格。隠密行動がとれるハズもない。他に手引きしている者、共犯者が必ずいる。
間抜けな顏で笑う義眼の男が脳裏をよぎったが、レイジは昨晩から城の地下牢獄にずっといた。所持品の検査もしている。彼のアリバイはミネルヴァ自身が証明出来る。
こんなタチの悪い行動を起こせるのは……。
と、ここまで行き着くと『いつものように』ミネルヴァは考える事を辞めた。
「奴の部屋に証拠になる物があったのか? そこまでブッチャーだと言い切るなら私の下着が一着や二着くらいあったんだろう? 」
「それは……でも……」
しょうもない事件に苛立ち気味で女性騎士達へ尋ねるも、誰かを庇うように戸惑ってばかりで返事が一向に返ってこず、諦めてミネルヴァは深く溜息をついていると、ようやくリッタが重い口を開いてくれた。
「ブッチャーの部屋に幾つか都会品があった。お前に執着している証拠<しゃしん>もな」
リッタから手渡された一枚の写真で確信を得たミネルヴァは、聞く耳を持たれないと知りつつ、共犯者の名をそれとなく挙げてみる。
「……タチバナが絡んでいる可能性が高いな。奴が原因ではないのか」
眉をしかめてタチバナを取り調べるようリッタに催促すると、周りの女性騎士達の反感を買ってしまい、タチバナの潔白を晴らそうと鬼気迫る表情で喋り出してきた。
「あんな優しい御方が……卑劣な真似などありえない!」
「タチバナ様は素晴らしい人よ」
「都会の人は苦手だったけど、私はあの人を尊敬しているの」
「間違いなくブッチャーだけの仕業よ。間違いなく……間違いないわ。間違いなく間違いないわ」
やはり、とミネルヴァは真犯人への道筋は断たれたと諦観視に入る。
タチバナ様はそんな卑劣な事しない。そう騎士達は口を揃えて反論してきたのだから。
ーー狂信者。
とまでは言い過ぎだが、ここ一年でタチバナが王国に来てから、少しずつ、だが確実にこの王国は蝕まれている気がしてならなかった。
城に仕えていた頃のミネルヴァ自身は、別にタチバナから侮辱や屈辱を受けたワケでもなく、至って普通の接し方で日々を過ごしてきた。
だが、男女問わず騎士達のタチバナへ寄せる、異常なまでの信頼感には密かに不安に思っていた。
「リッタ……タチバナは……」
「ーーミネルヴァ。疲れているのに呼び止めて済まない。良かったら私の部屋を使っていい。そこでゆっくり身体を休めるんだ」
「いや、私はヴィエルジュに……」
「疲弊しきった顔だと逆に気遣われてしまうだろう? 一睡だけでもしておくんだ」
頭に血は上っていても、体調が体調だったのでミネルヴァは弱々しく頷き、彼女の言葉に甘えてブッチャーの件は全面的に任せるとリッタに託し、その場を後にする。
「(ざわつきが収まらない。私も、この王国も……)」
振り返り女性騎士達の行く先に聳え<そびえ>立つミシムナ城を見つめていると、不穏な影を暗示するかのように、王国に覆いかぶさる暗雲がすぐ側まで忍び寄ってきていた。
§
クレアシオン広場からミシムナ城方面へ少し歩くと、道幅が狭く人通りの多い街路沿いがあり、その通りは小洒落たオープンカフェが建ち並んでいる。一通り守衛との話を終えたサイトウはそこでスレイルと打ち合わせをしていた。
「久しぶりですね、スレイル先輩二十年ぶりですかね。もっとかな」
ハキハキと話すサイトウからは依然より遥かに大物のオーラを纏っていた為、スレイルは帽子を取って薄毛の頭を露出すると、おどおどと気弱な態度でへつらった笑みを見せていた。
「い、いやぁ……本当ですね。すっかり出世しちゃったみたいで……」
「今は二人だけですから、昔みたいな関係でいきましょうよ。先輩と後輩で」
片手に持ったコーヒーカップをくいっと上げ、スレイルとの再会に軽い形式で乾杯をする。
「あの……正直な話、守衛さんを持ち場に帰して良かったんですか?」
カフェでの聴き込みが終わり、守衛が席を外した頃を見計らってサイトウに話し掛けはしたものの、守衛の身の安全が保障されているのかが気掛かりで、不安気に尋ねると、注文していたクリームソーダをストローで思い切り吸い上げる。
サイトウは乾いた笑みを浮かべながら熱々のブラックコーヒーをちびっとすすった後、観光客らしき騒がしい団体を流し目に、バッサリと言い捨てた。
「良くないでしょうな」
その一言を聞いて、スレイルは申し訳無さそうに肩をすぼませる。
「早急にギルドに連絡して人材を手配して貰うべきなんですよ。しかしこの国はどうだ。守衛もそうだが、ギルドだけには助けを乞うなと一点張りだ」
「……面目無い」
「このポリネシアにギルドが設置されていないのも、お国柄ってヤツですか?」
顎の不精髭を弄くりながら若干皮肉じみた言い方で質問を投げかけると、頼りなさげにスレイルは小さく頷いた。
「魔人フリードの手下である魔族の一匹、クラーケンが昔この島国を襲撃してきた事をサイトウさんは……?」
「話だけなら。私はすぐ『都会』へ務めることなったので」
数十年前から幾度となく繰り返されてきた、いわば魔族と人類との存亡を賭けた世界大戦。ディープな話になるだろうと、サイトウは腰を浮かせて深く座り直しスレイルの話に耳を傾ける。
「……当時は近くの地方にあるギルドにすぐ支援要請をしたんです。しかし、間に合わなかったんですよ。彼らが到着する頃には東の国は壊滅状態になっていた。この坂道を登っていくと、旧市街もとい廃墟通りがありますが、そこに住まわれていた人の大半は命を落としています」
「なるほど。ま、当時は各地に現れたサキュバス狩りの方に人員を割いていたみたいですしね。対応が遅れたのも致し方ない」
「そうです、確かに仕方ないんですよ。でもこの島国の人々は多くの家族や友人を亡くしている。はいそうですか、と簡単に納得出来る人なんていない」
「……」
無力な自分を責めたてるように拳を震わせるスレイルを、サイトウはただじっと見つめて傾聴していた。
「結局、国を救ったのは現大神官様の母方と、民を率いてクラーケンに立ち向かった、国王アルカイオス様です」
サイトウはおもむろにカップを手に取り、温くなってきたコーヒーを喉を鳴らして飲み干すと、そっと受け皿に戻す。
「ギルドには頼らず、自国の力だけで解決する。妻と子を亡くされたアルカイオス様の意向でもあるんです。それでこの国にはギルドに依頼をかけるのは恥ずべき行為だ、という習わしが出来てしまった」
ひと段落ついたのか、話しを終えたスレイルはやり切れない思いを込めて溜息をつき、暑さですっかり溶けきったクリームソーダをストローでかき回していた。
「成程、頑固な王様の法令か……」
「……」
暫く話の余韻に浸っていると、サイトウが眉をくいっとあげつつ口を開いた。
「……先輩、何にしましょうか?」
「へ?」
何の脈絡も無い話題にスレイルは腑抜けた声を返すと、サイトウはニッコリと微笑みながらメニュー表を開き、右下隅に描かれた店員のシルエットマークにタッチする。
「食事が終わったら、気分転換にミシムナ城にいるお猿さんを観に行きましょうか」
「猿?」
「昨夜、神殿に躾のなっていない猿が潜り込んだらしいですよ」
タッチした呼び出しマークが光ると、メニュー表から注文を受け付ける店員の声が聞こえてきたので、腕を組んで首を傾げているスレイルに、注文の品をどれにするか決めるよう催促した。
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