第8話
「神聖な場所に潜りこむとは、他所者だろうと厳罰は免れんぞ」
「あはは……固いこと言わずに見逃して下さいよ。まだ何もしてないですし」
ごまかし笑いを浮かべながら両手を上げてゆっくりと起き上がり、徐々に距離を詰めてくるモナンへ抵抗の意思は無いことを表明する。
「まだ……か。ふざけた奴だ。賊の類か」
血管を浮かび上がるまで握りしめた拳に、浅紫色のオーラを集約させていくと、足元の水面に幾つもの波紋が重なって広がり、付近の蓮の花がモナンを避けるように揺れ動いていく。
「な、何してんのオッサン?! 迷い人ですよ僕は」
「黙っていろ」
空間を押しつぶしていくような強烈な威圧感に尻込みしている義眼の男は、自分の足先にある魔法爆弾を軽く蹴飛ばし、そのまま後ずさりして祭壇の階段を登っていく。
「ーー逃げぬように両脚をへし折る。」
問答無用。
能天気な義眼の男でも感じ取れる『凄み』に、恐怖を隠せなくなる。
「そ、そんな……うわああ! やめてくれぇえッ!」
身体をガタガタと震わせながら喚き叫び、バシャバシャ、と水音立てて腰を抜かす男。
手元にあたる、祭壇上から流れてきた蓮の花を混乱しながら掴んでは、力無くモナンに目掛けて投げつける。
「下らん」
虚しくも見えない壁に阻まれているかのように、モナンの眼前で蓮の花が弾かれてしまい、当然物ともしない様子で義眼の男との距離を詰めてくる。
「安心しろ。ゴッドハンドの誇りにかけて命は取ら……」
ぐしゃり、とガラス玉を踏み潰したような感触の後、水に浸かる大理石がまるで沼地のようにぬかるみ出す。
「ーー何だこれは……?」
モナンの両脚が沈み込んでいく。
蟻地獄にはまったかのように。
「へへ! いっちょ上がりだぜ」
瞬間、義眼の男の震えはピタリと止み、先程までの情けない振る舞いから、打って変わって爽やかに笑い飛ばし、何事も無かったかのように平然と立ち上がると、グーサインを掲げた。
「な……ッ」
「勝利と敗北の境界線は、薄皮一枚ってね」
「貴様……! この……ッ」
もがけばもがく程沈む速さが上がり、ついには膝まで大理石に浸かってしまうと、身体のバランスが崩れたモナンは両手を地面につけ、まるで許しを乞うようなみっともない姿を晒し、賊に劣る未熟な自分に唇を噛み締めている。
「油断は命取りだと言うことさ、チョコボール。安心しな! トレジャーハンターの名にかけて命は……」
得意そうな表情でモナンへ語っている最中、ふと自身の足元に視線を配らせると、祭壇に流れていた海水が凍りついており、義眼の男も例外なく氷に包まれ、下半身の身動きが出来なくなっていた。
「あ、あれ……?」
神経を直接刺激するような冷え冷えとした感覚が、みるみる義眼の男の体温を奪い取っていく。
「ーーミネルヴァか!」
ハッとしたモナンは祭壇の横を覗きみようとする。
「油断しているのは貴様の方だ、凡俗」
祭壇に突き立てていたレイピア、『コキュートス』を鞘に納めてモナンの元まで駆け寄ると、ぬかるみの外から手を伸ばし、モナンを引き上げようとする。
「モナン殿! 遅れて申し訳ありません」
「殿は要らんというのに……助かった、ありがとう」
「(マジかよ……)」
義眼の男は静かに瞳を閉じて、諦めに近い、投げやりな気持ちで瞑想にふける。
「だがなミネルヴァ、今は奴を捕らえるのが先だ」
伸ばしているミネルヴァの手を叩いて、祭壇にいる凍りついた男に指を差す。
「……ただちに済ませてきます」
氷のように冷め切った目つきで睨みつけ、再び鞘から『コキュートス』を引き抜き、手首を内側に捻りあげ構える。
蛇の如く、睨み殺すしなやかな剣先。
レイピアの尖端を男の首筋一直線に狙いを定めると、足元をすくわれないよう気を張り詰めながら近づいていく。
「妙な奴だとは思っていたが……賊だったとは。恥知らずめ」
罵倒を浴びせられた途端に、しかめた表情でチッチッと立てた人差し指を左右に振る。
「トレジャーハンターだっての。そこんとこ宜しくな、ボブ」
肩をすくませ言葉を改めるよう指摘するが、ミネルヴァは呆れ気味に嘲笑うと、唐突に義眼の男の右肩へ刺突をくらわせた。
「ーーぐッ」
尖端部から、沁み渡るように男の身体を凍てつかせていき、血の一滴すらも滴らせない強力な冷気を『コキュートス』に込める。
「屑には……変わりない……ッ」
「待てミネルヴァッ 殺すな! 神聖な場所で血を流してはならない!」
制止の声は耳に届かず、ミネルヴァはさらに一歩階段を踏み出し肩を貫き通す。男の右半身は完全に凍りついてしまい、指一本たりとも身動きが出来なくなっていた。
「(あ……ワングに借金返してねぇ……)」
とうとう左目の視界に暗闇のカーテンがかかり始め、人生という舞台の幕が一人の冷酷な女によって、容赦無く引き降ろされているのだと実感していった。
§
「朝だよパパ」「夜は終わったよ」「起きろー!」
布団を取り囲むように見下ろして揺さぶり起こしてくる、小さな太陽達に眠そうな声で挨拶を返す。
「オハヨう……メイ、リン、シャン。ママはお出かけ?」
大きな欠伸をして枕元にあるサングラスを手に取って掛けると、辺りを見回しながら三姉妹に尋ねる。
「うん!お出かけ」「また買い物だってさ」「起きろー!」
「ーーおぐッ」
野生のイノシシの如く、赤い向日葵の髪飾りをつけた少女が、凄まじい勢いでワングのみぞおちに突進し、一瞬、痛みを通りこして生気が無くなったような顔付きのまま、身体が硬直する。
「……シャン、パパ起きてるヨ」
「うん、知ってる」
「……」
傾いたサングラスの位置を戻してシャンを押し退けると、敷いていた布団の裏を覗いて、爆撃されたような畳の惨状が未だに戻っていない事を再確認し、元凶である義眼の男に対して、思い出したようにふつふつと怒りが湧き上がってくる。
「それはそうと、あのクレイジーはドコ?! 帰って来てたら今日という今日こそはユルさないよォ!」
三姉妹は互いに顔を見合わせ、義眼の男は昨夜から帰ってきていないと、一人ずつ順々に右手を掲げてワングへ伝えていく。
「ぐぐぐ……じゃあ、これからパパは彼を探しに本島へ行くから、ママにはタタミのことナイショよ?」
歯ぎしりをしながら怒りを鎮め、三姉妹にくれぐれも畳の件については話さず隠し通すようにと、本島のお土産と引き換えに取引を持ちかける。
「了解」「分かった!」「バレなきゃ喋らない!」
「アリガトー! ボクの愛する娘タチ」
三姉妹の快い返事に心底安堵したワングは、ギュッと三姉妹を抱き締め一人一人額にキスをしていく。
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