1章:レイジの秒針

第3話

ヴィエルジュ神殿は空に浮かぶ。


王国の湾から街の中心部に向かった先、広大なクレアシオン広場に広がる円状の海からは、珊瑚礁や海藻、心地良さそうに泳ぎ回る魚の群れが見える。神殿内への立ち入りが許可されずとも、観光客が日々変わる天然の水族館を覗きに毎日神殿の周囲を賑わしている。


原理は解明されていないが、その巨大な円状の海の南部から中央部にかけて道を作るように茂る、無数の蓮の葉の集まりに聳え立っているのがヴィエルジュ神殿だ。

青く澄み切った空を映し出す海に浮かんだ神殿を、観光客は皆空に浮かんでいるようだと口を揃えて感嘆している。


§


「リューシー、サリア、もう少しだ。ほんの後もう少しで……会えるからな」


本島の中層部にそびえ立つミシムナ城内。

その玩具の散らかる一室にて、アルカイオスは家族の写真立てをじっと見つめつつ、そこにあるはずだった空間に唇を噛み締め、消え入りそうに語りかける。


「ミネルヴァさん、二十歳を迎えたそうですね?」


透き通るような優しい声が子供部屋の入口から聞こえた。

振り返らず、正面にある手作りのキャビネットに写真立てを戻す。


「無断で家族の部屋に上がるなと、躾られなかったのか?」


彼の静かな怒声に柔らかい笑顔で微笑みかけ、上品で美しい動作でタチバナはゆっくりとお辞儀をする。


「私の宗派には『家族』という概念は無く、皆、大地に吹く生命の息吹と考えています。死に逝く者であっても、この世界には永遠に在りつづけているので、微塵の悲しみも感じません」


「……お前とは生きる世界が違うようだ。俺の理解出来る言葉で話せ」


鼻で笑いながら後ろを振り返り、イヤらしい笑みを浮かべるタチバナに命令すると、「失敬」と一言告げてから言葉を改めてきた。


「私達、『都会人』には感傷なんてないんです。躾の原則にすらない。不快にさせたなら申し訳ないです」


「ふん、『都会人』か……男も女も無作法な者しかいない、そう認識をさせてもらう」


苛立ちを隠せないアルカイオスの表情に、タチバナはその艶かしくスレンダーな身体付きを起こし、整った小さな顔を横に振る。


「私は私なんです。男でも女でも、ありません」


「どちらでも良いことだ。しかしな……」


野に放った猛獣のような、鋭く血走った目つきでヘラヘラ笑うタチバナを睨みつけながら歩み寄ると、身につけている白スーツの胸ぐらを掴んで警告を与える。


「この部屋に入れば殺すぞ」


「ふふふ」


§



クレアシオン広場に向かう為の沿岸近くにある、軒を連ねた市場通りを早足気味に歩いていると、鉢巻を巻いた体格の良い魚屋の店長が呼び止めてきた。


「ようミネルヴァちゃん!今日もクールだねえ、パラディンの初日頑張れよ」


「ああ」


底の見えない濁った瞳で、視線をそらしながら素っ気なく返事を返し、その場から逃げようとするも、店長に腕を掴まれ引き止められると、目を閉じて回想にふけこむように語りだしてきた。


「思えば小ちゃい頃から船に乗せてやったもんなあ……あのミネルヴァちゃんが立派になってよ。両親もきっと……」


「済まないが!」


「え?」


「済まないが、昔の事はあまり覚えていない」


店長の腕を振り払い、先を急ぐと一礼してその場を逃げるように走り去ってしまった。


「随分照れ屋になっちまったねえ」


ほっこりとした表情で両手を力強く振り、成長した逞しい背中を見送る。


『ミネルヴァも大人になったら世界を駆け回ってみるんだ! 自分の足で歩き、景色を目で見て、聞いて、感じるんだ。世界を拡げろ!』


本島にある山岳地帯の頂上から、アルカイオス王国の街並を眺めるミネルヴァの父。

優しく、力強いあの眼差し。

瞳を閉じても拭い去る事の出来ない思い出に、怒りがふつふつと湧き上がってくる。


「(その戯言の結果が蒸発か? 人間の屑めッ私と母を置き去りに消え失せたお前など……お前などーー)」


「ーーきゃっ」


「うおッぷ」


周りを見ずに走っていると、突如路地の横から出てきた男と激突し、足を挫いて転倒してしまう。


「(私とした事が……ん?)」


よく見ると、ミネルヴァの下に蠢く奇妙なロープがクッション代わりになっており、事なきを得ていた。


「(これは一体……動力はなんだ?)」


「大丈夫?」


ロープから降りた後、好奇心からか動物を撫でるように、夢中で弄くり回して分析していると、横から大きな人影が日陰が近付き、はっと我に返る。


「ああ、済まない。悪かったなこぼしてしまって。これを良かったら……」


顔を見上げ、カキ氷を丸被りした男にハンカチを差し出して謝る最中、男の右眼がぼたりと音を立てて地面に落ちたのを見逃さなかった。


「な……っ」


「「きゃー!」」


慌てふためく周りの観光客が、自身の仕出かしたミスを自覚させられ、顔色が次第に青白くなって身体が硬直し始める。


「ん? あ、気にすんな。お前のせいじゃないよ」


「い、いや。私の責任だ……本当に、本当に済まない。どうしたら……病院か。しかし……」


今迄に経験のない出来事にミネルヴァは、頭の中のキャンパスを真っ白にしていると、平然としている男は、ミネルヴァの頬をつねり意識を引き戻す。


「痛っ、何を……」


「大丈夫だって、ほら義眼だよ」


「……!」


右眼を拾い上げてミネルヴァの眼前に見せつけ、無邪気な子供みたくニッコリと笑う。


「な?」


「(言われて、見ればだが……)」


見れば見るほどに精密な作りで、瞳が男の意思とは関係なく蠢いている。

あまりに薄気味悪く冷汗が滲み出てきた。


「だが……」


「ま、どうしてもってんならさ、今度何か奢ってよ。じゃ、バイバイ」


「あ……ああ」


強情にも食い下がるミネルヴァの肩を優しく叩くと、ポッカリ空いた右眼部分の穴に義眼を押し込んで、男はその場を立ち去ってしまった。


「(義眼、か……いけない、悪い癖だな)」


掻き立てられた好奇心を抑えて、初仕事に遅れないように急いでクレアシオン広場へと走っていく。


「……へへへ」


ミネルヴァが去った後、路地横からひっそりと、気の抜けた顔を出す男。


「可愛いボブちゃん。神殿偵察任せたぜ」


彼女の髪型を皮肉混じりに貶しているその表情からは、抑えられない笑みで溢れていた。

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