インクの中の恋心

夕方の図書室。私はいつものように読み終わった本を返却する。鞄から取り出すのは分厚い外装の恋愛小説。最近、キラキラした恋愛の物語からもっと古典的な核心に迫る愛の物語に目移りするようになった。

難しそうな本をよく日のあたる窓際なんかで読んでいると深窓のお嬢様かよ、だなんて友達にからかわれたりする。ちょっと前の私も今の私を見たらロマンチストなんだなってそれだけしか感じなかったと思う。でもあの時、たまたま出向いた図書室で私は変わった。

私は多分恋に落ちて、それが本当に恋なのか知りたくて、恋する女の人たちの物語を読むようになった。報われる恋、報われない愛、愛とも言えない淫らなものも読んだ。でも未だに見つからない。

今日も私は西洋文学の棚に立ち、数あるタイトルの中からシンパシーを感じるような一冊を探す。あらすじなんかじゃ分からないから、適当に。

私は固い表紙の本を手に取る。黒っぽくくすんだ表装、特に珍しさの感じる本でもなかったけど、私は何かが気になってじっと本の表紙を見つめる。

ーーそうか、この本にはタイトルが書いてないんだ。

背表紙、裏面に返しても何も書いてない。ただのくすんだ黒。私はタイトルを探してページを開く。でも、すべて白紙で私の知りたいものは何もない。

私は必死になってページをめくる。たった一言を知りたくて。


 ふと気がついたとき、私はベットの上だった。チクタクと刻む秒針の音の狭間に微かに聞こえるカラスの鳴き声。電車内の喧騒の中から突然、夜空の下に放り出されてしまったかのような異世界感が私を包む。嫌に現実感のある夢だった。

外はすっかり日が落ちて、窓から漂う冷気が肌寒く感じる時間帯だった。身体中が汗だらけで少し気持ちが悪い。

私は運の悪さと不摂生がたたって、インルフエンザにかかってしまった。もう、記憶がおぼろげな程眠っていたから体調は戻っている。でも、家族にうつしてしまわない為に自室に自主監禁していた。

欠伸をして寝返りをうつと目の前に小説が現れる。素敵だけど共感できない物語。彼女は彼への切実な愛のためにその命をなげうち、消えていく。ありふれた恋愛話。その本を脇に寄せ、その下にある携帯を取る。

昼に暇を持て余した勢いでレビューみたいなものを書いたんだっけ。小学生の感想文みたいなレビューが投稿されずに残っていた。一瞬消そうかとも考えたけど、私が思ったことを消す必要もない。私はそのまま投稿を押してしまう。願わくば、人目に触れないようにと祈っておく。

そんなとき、丁度良いタイミングで友達から連絡が入ってくる。ポストに見舞いの品を入れておいたから、ありがたく受けとるようにとの事。

私は重たい腰を持ち上げて、マスクを装着してから友の献上品を取りに向かう。

誰にも会わないだろう。完全に油断しきった私は何も考えずに玄関のドアを開け、起こってほしくない奇跡な出来事が起きてしまった。

「……具合は大丈夫?」

塀の向こうから顔を出し、紙袋を手に固まってある彼と対面した。言わずもがな、私の恋する彼である。

「えと、大丈夫だよ」

驚きすぎて片言の日本語しか喋れない。

なんでここにいるの。なんて運命的なタイミング。髪の毛はボサボサだし、しばらくお風呂に入れてなかったし、マスク着けてるけど完全にすっぴんだし、なんて絶望的なタイミング。

「なんか分からないけど、この小説を届けてやってくれって言われたからさ。プリントと一緒に持ってきたんだけど?」

固まってる私に気まずさを感じてか、困ったような笑みを浮かべながら彼は柵越しに紙袋を差し出した。

あまり近寄りたくないと思ったけれども、受けとるしか他に出来ることはなく、仕方なく彼に近づいて紙袋を受け取った。

「そういえば、恋愛小説をたくさん読んでるんだったよな?」

私は目を丸くして彼を見た。私と恋愛小説が結び付くのは分かるとして、どうして彼がそれを口にするのか。

「なにかお薦めの小説があったら教えてほしいんだ」

「いいけど、なんで恋愛小説を読みたいの?」

彼は困り顔で頬を掻く。

「それをお前に聞かれるとは思わなかったな」

「ごめん、でもちょっとイメージ無くて」

「まあ、そうだよな。俺も自分でそう思う。

なんでかってのは少し言いづらいんだけどーーーー俺もお前と一緒の本を読みたくなったんだよ」

私は訳もなく顔が熱くなる。た、ただ私の読んでる本に興味が湧いただけで、私に興味が湧いた訳じゃないから!

「お前がいつも難しそうな顔をしてたり、悲しそうな顔をしたりするのを見てさ。読んだらお前がなに考えてるのか分かるかなって思ったりとか」

彼も私とたぶん同じくらいに顔を真っ赤にしながらゴニョゴニョと言い訳めいた理由を話す。私の事を見てた?私の事を知りたいの?

どぎまぎとして何も話せないでいる私に気づいた彼は、はっとした顔をしてまくし立てる。

「ごめん、長話。お、俺はもう帰るから、身体を大事にしろよな!」

呆然としていた私を残して、彼は逃げるように帰っていった。私は彼から受け取った紙袋を抱き締めて自分の部屋に駆け戻る。

心臓が高まり、身体中が熱っぽくなる。きっとこれはインフルエンザじゃなくて、恋煩いだ。

私は紙袋の中の一冊の本を取り出す。

黒っぽくくすんだ表紙に金文字で書かれたタイトル。私が夢の中で探し求めた言葉。でもそんなものは最早必要なかった。

私の中にある言葉、それは確かに恋心だった。

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