二人だけの異世界譚

 彼女はいわゆる高嶺の花だった。

誰よりも可愛くで成績は優秀、とても頑張り屋さんだから誰もが彼女を応援する。男子から見れば一種の聖域のようで彼女の笑顔に晒されるとやましいことを考えていた自分に激しい劣等感を抱くことになる。ある特定の男子たちはそれによって大きく歪んでしまったとも聞く。

とにかく、彼女はそれだけ僕たちにとって神聖なところにあり、僕なんかはこうして同じ時間を過ごせるだけで感謝するくらいだった。

 同じクラスで生活していれば彼女の趣味なんかもそれなりに噂になって伝わってくる。どうやら彼女は絵を描くことが趣味なんだそうだ。見たことは無いんだけれど、コンテストで表彰される類いのものではなくて、もっと可愛らしいポップなキャラなんだとか。いずれにせよ、天は二物を与えるものなのかと思ったりもした。

 そんな凡人の僕にも趣味というものは存在する。僕は小説や映画、漫画、ドラマ、ゲームに至るまで物語というものがとてつもなく好きで、日々それらに触れては構成の分析をしてみたり、たまにオリジナルのシナリオを作ってみたりもしていた。やっぱり一流の人たちには知識も技量も足りなくて、作品の出来に歯噛みをすることも多々あるけれど、なによりそれが楽しくて仕方がなかった。

僕がそんな趣味を見つけたのは随分経つ。今では習慣化してしまっているくらいだ。でも、彼女のように僕は真剣にそこを目指していないから技量はいつまでも人のちょっと上のまま、それも比べたことがないから自分で思っているだけのものだった。

 そうした特別だけどありきたりな日常の中、偶然の出来事から僕の物語は大きく彩りを変える。

特に部活にも入っていない僕は帰宅している途中に課題で数学のノートが必要なことに気づき、斜陽が差し込む教室に戻ってくる。だべって残っている奴等も帰っているようで教室には一見誰もいなかった。僕は自分の教室に足を向けて気づく。

僕の机。日中は最も日が当たり、眩しく温かいために健康な成績不良者が育まれる場所。そこにあの彼女が座り、幾分柔らかくなった日差しを使って紙に向き合っていた。

真剣な横顔、だけど心から楽しそうで見ているこちらもワクワクしてしまう。周りのことは何も見えていないのだろうか、そこには近寄りがたい彼女の世界があるような気がする。

僕は女子、高嶺の花、聖域の壁と数学教師の激怒の号砲とを比べて、帰ろうと思ったけど僕の足は知らずに彼女に惹き付けられていく。

近づくにつれて心臓が早鐘を打ち、緊張なのか興奮なのか分からない高まりが僕の身体を駆け巡る。強張った身体は何故か彼女に気付かれまいと音を立てない最大限の努力を行い、深い呼吸をして変態と勘違いされないようにした。

 長く険しい十数歩を乗り越え、彼女の手元に描かれるものを見たとき、僕の頭はそこに広がる別世界へと引き込まれていった。

 月夜に煌めく街頭、ルーンのような装飾の施された銀の腕輪、エルフ耳をした可憐な少女と精悍な少年が紙に描いた魔方陣に期待を込めた笑顔を向けている。

彼らが期待する先には何があるのだろうか、彼らにとっての別世界、新たなるモノとの邂逅、はたまた未知への探求だろうか。

もっと知りたい、もっと深くまでと手を伸ばした瞬間、僕の意識は現実へと引き戻される。正面には少し驚いた顔をした彼女が大きな瞳でこちらをじっと見つめていた。そりゃあ、気配無く忍び寄って無遠慮に手を伸ばしては不審に思われもするだろう。僕の顔に血が上っていくのを感じる。

「えっとーーーー……」

彼女も状況に混乱しているのだろう。曖昧な笑みを顔に貼り付けて固まっている。そして、変な沈黙が流れる。

先に音を上げたのは、そういう事態に少しも慣れていない僕の方だった。ごめんだとか、わるいだとかそのような言葉を言い残したような気がする。もつれる足で、どうにか転ばないようにだけ気を付けながら僕はその場を逃げた。玄関に辿り着いて、走って行くのは無様だなと考え直し、歩いて家に帰ることにする。家に帰った後、どちらにしても逃げ出したのは無様だったなと思い返して、布団の中でゴロゴロと悶え苦しんだのだった。


「話があるんだけど、ちょっといいかな?」

彼女が話しかけてきたのは放課後、数学教師にこってりと絞られて、気晴らしを考えていた時だった。もう昨日の事は存在しないことになったのだろうと油断を突かれた形になった僕は絞められた鶏のような返事をする。そうして、彼女に人気のない特別棟の屋上階段へと連れられた。

「昨日はごめん」

へ?と情けない声が僕の喉を震わせたのを感じる。彼女はとても深刻そうな顔をして、頭を下げていた。

「私が座ってたから宿題出来なかったんだよね。私が怖い顔してたから逃げちゃったんだよね」

僕の痴態を彼女は自分の責任と解釈していたらしい。天から二物を与えられた子は、こうも人に親切になれるのかと異世界交流したギャップのようなものを感じる。

「ち、違うよ。全然怖い顔なんてしてなかったし、むしろ楽しそうだったから近づいただけで」

しどろもどろに大袈裟な手足をつけて説明する。頭の中ではもっとクールに振る舞える予定だったけれど、僕にはその才能は無かったらしい。ともあれ、僕の慌ただしい説明にゆっくり大きく頷くとそれなら良かったと本当に可愛い笑顔で彼女は胸を撫で下ろした。

「私ね、集中しちゃうと周りのことが何にも分からなくなっちゃって、妹に顔怖いって言われるの」

「僕も多分同じ。シナリオ作ってるときは悪役の高笑いしてみたりして、母親に不気味がられてると思う」

彼女は僕のその様を想像したのだろう。吹き出すようにして笑い始め、その声が踊り場に響き渡る。

「それはヤバイね。親御さん絶対に心配するよ!」

「そうそう。前なんか資料のために調べた呪文の検索履歴を見つけられて、誰を生け贄にするつもりって凄まれちゃったし」

僕まで楽しくなってくる彼女の笑い声。彼女がみんなから好かれる要素はこれなんだろうなと一人納得する。

「そっかぁ、それなら私も心配ないね。怖い顔するくらい君と比べちゃなんともない」

「それに僕よりもヤバイやつは普通にいるからね。昨日のは単純に僕が帰っちゃっただけだから」

情けないのは僕で、君は何も悪くないよ。と心で呟く。心配事の溶けた彼女は随分とすっきりとした顔つきで、例えるならばおもちゃにじゃれつく猫のような表情で僕を見る。

「そういえばどうだったかな?」

「えっと……何が?」

「私の絵。見たんだよね?」

彼女の絵。あの引き込まれるような感覚を思い出す。

「うん、見たよ。あの子達って魔方陣で何をしようとしてたの?」

一瞬、彼女は目を丸くする。でも、次の瞬間は先程以上の笑みを満面に咲かせ始める。

「あの子達はね、夢を叶えようとしてるの」

夢?と聞き返すと肩が揺れるほどに大きく頷き、言葉を続ける。

「あの二人はね、空を自由に飛びたいって願っているの。星に手が届くほどに高く。その為にはね、飛行船なんかじゃダメ。空のすべてを自分のモノに出来るくらいじゃないと」

「つまり、あの二人が呼び出そうとしているのはドラゴン、あるいはグリフィンってところかな?」

彼女の笑みが少しぎこちないものに変わる。予想が間違ったかな?

「えっとね、そこはまだ決まってないの。ドラゴンって悪者のイメージだし、グリフィンもいかめついでしょ? だから、もっと優しくしたいかなって」

「なんとなくメルヘンっぽくなっちゃうけど、ペガサスとかはどう?」

うーん、と彼女はうなり声をあげる。

「僕はグリフィンは良いと思うけどな。初めはつっけんどんな感じてつつかれたりもするけれど、空を飛びたいっていう三人の共通の願いから仲良くなっていくみたいなの」

僕は目を閉じて、空を飛ぶ二人と一匹を想像する。きっと空は寒いだろうから、二人は厚着して息は白くなっている。風が思いの外強くて、試練もあるだろう。でも、その先にある景色が見る人の心を大きく動かす。手を伸ばせば届きそうな星々、僕はそこに手を伸ばす。

気づくと彼女は僕の手を握っていた。

「聞かせて。君が作った物語」

彼女の色、放つ光が僕の物語を照らす。今まで足りないと思っていたものが形を成し影を作って、そこに存在感を築き上げる。

この僕の物語はまだ一章にも満たない。これから僕と彼女は色々なことがありながらも一つの物語として交じりあっていく。そして、僕は彼女の存在に惹き付けられていく。でも、それはまた別のお話。

僕の彼女の物語の始まりはこれにて幕を閉じるのであった。

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