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 整理はつかないかもしれないけど、とりあえず校長室に行こうか。ここじゃ冷える。という田嶋校長の言葉で、俺は現在、校長室の片隅に設けられた応接用の椅子に腰かけている。


「あんまりいい茶葉じゃないけど」

 田嶋校長はお盆に載せた茶碗を僕の目の前の机に置いた。

「ありがとうございます」


 もう一つの茶碗を俺の向かい側に置いた田嶋校長は、そのままそちらの席に座った。校長室に据え付けられている時計の秒針が、カチカチと一定のリズムを刻み、広々としたこの部屋の静寂を際立たせている。


「初めてかい? この部屋に入るのは」

「はい。初めてです」

「そうかい。あまり緊張することはないから楽にするといいよ」


 田嶋校長はそう言うと、手前の茶碗を両手で添えるように持つと、お茶を一口啜った。ふうっと一息つくとまた、静寂に戻る。お互いに話を切り出すタイミングを探っているような姿勢が多少続いたが、教育者という立場から経験が豊富にあるのか、自然に切り出したのは田嶋校長からだった。


「わたしはね、こう見えて昔はやんちゃしていてね。意外にも……自分で意外って言うのはちょっとおかしけど、SFとかオカルトものが大好きでね。子どもの頃に流行っていたってのもあって、多くを調べたものなんだけど、かつて一回だけそのことで過ちを犯してしまったことがあるんだよ」


「そうなんですか?」と俺が問うと、田嶋校長は続けて、

「ええ。昔はパソコンなんて便利なものは無かったから、現在のようにSNSで噂が爆発的に広がることなんてなかなかなくてね、基本的には何でも人伝ひとづてに広まるか、テレビとか雑誌の情報から発信されるっていのうのが普通だったんだよ。だからきみと同じように、わたしが高校生の頃は自分が何かしらの発信源になっても、そう遠くまでは広まらなくてね。それでも、近隣への噂の広まりかたは現在に引けを取らないくらいに早くてね。ある日、わたしが発信源となった噂は、みるみるうちに学校内に広まったんだよ。今思い出すと馬鹿馬鹿しく思えるけれどね」


「校長先生が噂を広めたんですか? どんな?」

「そう、わたしが。題して学校七不思議。よく見る言葉だけど、あの頃は非常に魅力的な響きでね。わたしは四六時中そのことで頭がいっぱいだったよ。懐かしいことではあるんだけど、あまりそう思っちゃいけない感じがしてね。それがわたしの犯した過ちなんだけど……」


 田嶋校長はそう前置きをすると、細部まで鮮明に思い出そうと目を細めて、虚空を見つめた。



『峰館林高校屋上飛び降り事件』

 それが田嶋校長が高校生の時に作り上げた最初で最後の七不思議で、犯した過ちの延長戦の名前だ。


 学生時代の田嶋校長は、他の生徒よりも飛びぬけて勉強ができたことを自負しており、七不思議などのオカルト物の定番、トイレの花子さんや理科室の骨格標本よりも複雑で魅力あふれた七不思議を作れる自信があったらしい。霊感がない田嶋校長にとって、呪いなどの噂は信憑性にかけるし、広めたところで本物がない限り、遊び半分で生徒たちに実験をされて嘘だとばれるというのが大体のおちだ。そう考えた田嶋校長は、廊下で話し込んでいる数人の女子生徒の話をたまたま聞き、『タイムスリップ』をキーワードに噂を作り始めた。


 峰館林高校のOBである田嶋校長は、昔は出入が完全に禁止になっていた屋上を舞台に、細かな日にちや時間指定を作り、同級生で最も噂好きで有名だった男子生徒に匿名で、概要が載った手紙を渡したのだ。

 すると、みるみるうちに噂は学校全体に広まり、一時的に問題にまで発展してしまい、急な全校集会が開かれることになった。



「――そういった噂が校内、今では他校にまで広まってしまっている。事前に担任の先生から連絡があったと思うが、そういった事実は一切ない。他にも迷惑がかかってしまうから今後一切、この噂を広めないように。どこかで話しているのを見つけたら即刻、謹慎処分を下すのでそのつもりで」


 全校生徒たちが集まる体育館内の檀上にいる教師はそう言うと、わきに備え付けられていた階段を下りて、他の教師が溜まっている所に戻った。じきに解散のアナウンスが流れ、それまで緊張していた生徒たちの話し声が聞こえてくる。


「本当に信じている奴なんかいないだろ」

「当然だよ」

「それでもこれだけ、しかも他校にまで噂が流れちゃってるんだよ」

「なんだお前信じてるのか」

「先生たちが抑止するために作った話かもってこと?」


 それぞれがばらばらに話し合い、体育館はこれから祭りが始まるのではないかと思うくらいにざわついていた。

 ふと教師たちのほうに目を転じた田嶋は、噂の発信源となった生徒が呼び出されたのか、教師と何かを話しているところを見かけた。悪いことをしてしまったと心では思っていたが、成績優秀で通っていた田嶋は自分への評価を気にして、名乗り出ることができないでいた。


「田嶋くん? なんだか顔色悪いけど、大丈夫?」


 そう言ってきたのは、クラスメイトの棚槻知世たなつきともよだった。彼女と出会ったのは高校が初めてでそれ以来、三年間同じクラスになっている。運命的なものを感じている田嶋は、棚槻を少しだけ気になっていた。


「ああ。大丈夫」

 田嶋は素っ気なく答える。

「そう? ならいいんだけど。ぼおっとしてると噂に引っかかっちゃうから気を付けてね」

「引っかかるって」

「でも素敵じゃない。タイムスリップなんて夢のようだけど、できるのならやってみたいって思う」

「なんで」

「それは言えないけど、みんな夢見ることじゃない? 最近はそういう宇宙とかの話で盛り上がってるし」

「そんなもんかね」

「そうよ。だけどうちの噂はやりすぎだと思うけどね。『屋上から飛び降りればタイムスリップできる』なんて、自殺教唆みたいじゃない」

「死んでくれって? そんなこと考えてこんな噂を作る輩がいるのか」

「いるよ。しかも犯人はこの高校の生徒だと私は考えてる」

「犯人ってか。まあ場所がこの高校ってことを考えたら妥当な考えた方だよな」

「名探偵になれるかも、私」


 棚槻は自信満々にそう言うと、田嶋を見据えてそのまま集会の終わった体育館から出ていく。正直、噂を広めた根源が自分だというのがばれてもいいと思っていた。ここまで周知することになるとは彼も計算をしていなかったことで、放課後になったらあの噂好きの男子生徒にも謝って、彼が望むのであれば教師たちに自分が噂の大本だと名乗り出ようとも決心していた。しかし、それよりも先に問題が大問題に変わり、この噂は全校で完全に消える、というよりも、強制的に忘れないといけない事件となってしまった。



 全校集会があった翌日、峰館林高校は一日のみ休校することになった。原因は、屋上から飛び降り、ひとりの女子生徒が死んでしまったことだった。外出禁止命令が学校から全校生徒に向けて通告されていたが、田嶋は変装して、現場検証で警察官たちが集まる峰館林高校に野次馬として見に行っていた。周りの野次馬から盗み聞いたことは、昨日の夕方頃に慌ただしくサイレンが鳴り始めたらしく、あっという間にパトカーや救急車で学校は埋め尽くされ、辺りは騒然となったこと。


 死んじゃった子の名前とかって――、とひとりの野次馬が訊いたのが聞こえた。田嶋はその声に集中して耳を澄ますと、野次馬の答えた名前に愕然とした。


「珍しい名前だから憶えてるわ。たしか、棚槻知世って名前の女子生徒ですって」

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