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「ご注文お決まりになりましたら、そちらのボタンを押してお呼びください」
店員は決まり文句を言い終えると、さっさとレジのほうへ戻って行った。
「ほら、気づかれないものでしょ。コウは演技が上手なんだって」と、子供多下は満足げに腕を組み、こちらにそのどや顔を見せつけた。
気づかれないも何も、特に怪しい動きをお互いにしているわけでもないし、ここまで大胆にしていていぶかしく見られていたのなら、その人は妖怪か読心能力のある人間か、『名』探偵ではなく『神』探偵といっても過言ではないだろう。証言や証拠なしに、事件を解決する人間が現れたなんて時が来たら、それこそミステリに価値なんてなくなってしまう。
そうこう考えているうちに、子供多下は料理のメニューを見始めていた。これもいいな、こっちもおいしそうと目移りしている少女に、1品だけだからな、と先手を取るとブーイングするように頬を膨れ上がらせて、また真剣に悩み始めた。
「お兄さん。別でメロンクリームソーダとかは頼んじゃだめかな?」、遠慮がちにそう言う子供多下に、
「それくらいならいいよ」と、返事をすると、「やった」と答えて、テーブルに備え付けられていた呼び鈴を押した。
颯爽と現れた店員は注文内容を聞くと、例のごとく決まり文句を言ってまたさっさと戻って行った。
「お兄さん頼まなかったけどよかったの?」
「ああ、大丈夫」
とは言いつつも、本当は腹は減っている。それでも頼まなかったのは、俺の懐事情が原因だ。子供多下が頼んだ料理は、当店自慢の特性オムライスとメロンクリームソーダの二品だったが、まあ随分と俺の予想を超えた値段であった。すっからかんになるわけではないけれど、これ以上小銭、しかも十の位以下の硬貨で財布を重くするのは避けたかった。
俺は水だけで十分だよ、とコップにある氷をカランと鳴らして水を一口啜ると、さっき走って疲労が溜まった喉を一気に潤した。コップを置くと、「じゃあコウのも飲んで」と言って、子供多下は律儀に自分の分を移動させた。間の抜けたカランという音がしたと思ったら、子供多下から譲り受けたコップの中身は氷以外、空っぽになっていた。
「からじゃん」、そう俺が言うと、
「何言ってるの、氷」
子供多下は氷の部分を強調して返答し、分かるように指を突き出して、コップの外側から氷の存在を主張した。
俺は氷だけ入ったコップを掲げ、軽く振って音を鳴らした。
「これ、間接になるけど大丈夫か?」
俺がそう言うと、子供多下は少しの間フリーズしていた。脳内処理が終わったのか、素早い動きで俺が持っていたコップをひったくると、「別に問題ないけど、一応、ね」と言って、自分の手元に収めた。もっとオーバーなリアクションをとるのかと思っていたが、案外あっさりしている。そういったところが、未来の多下幸を作り上げる一つの要素になっているんだろうなと、一人で納得していた。
「そういえばお兄さんの名前聞いてなかったね。教えて」
子供多下の質問は唐突だったが、俺も少女の話を聞くだけで、自分のことを話していないことに気が付いた。どこまで話したらいいだろうかと、少々考えたが、まだ不確定要素であるタイムスリップの話をするわけにはいかず、当たり障りのない普通の自己紹介をする。
「名前は澤村京谷。高校二年生だよ」
「へー! 高校生だったんだね。どうりで背が高いわけだ」
「背で判断しているのか?」
「え? あ、ううん。そんなことはないけど大きくなったなーって思って」
微妙に返事がおかしかったけれど、そんなに気にならなかった。今の、正確には、俺が元いた時間から八年前になるけれど、このくらいの年の子はみんな、ちょっとだけ大人っぽい態度を取りがちなのだろう。最近も、テレビドラマで見ていた子役の男の子が、バラエティー番組で綽綽と質問に答えているさまに驚かされた。俺よりもはきはきしてて立派だなと、数年後輩の児童に尊敬の念を抱いたのは忘れようにも忘れられない。なんともみっともない思考で、また自信を喪失するのだった。
「じゃあ、コウは京谷くんのことを京谷くんって呼ぶようにするね」
そんな俺のことなど露知らず、子供多下は俺にそう宣言して、忙しなくテーブルの上にあるものを片っ端からいじりたおしている。俺はその様子を動物園の客のように、まじまじと眺めているわけにもいかず、ズボンの左のポケットに手を入れる。無意識にやってしまうのは、俺がいつもズボンの左ポケットにスマホを入れているからで、しかし今回はその感触がない。今更ながらに、自分の貴重品が無くなっていることに気が付いた。
「ない!」
俺の顔から血の気がすっと引いていく。
その声に驚いた子供多下は、なに、と動きを止めて、俺に問うように言った。
「コウちゃん、俺のスマホ見なかったか?」
「スマホ?」と頭に疑問符を浮かべた子供多下は、テーブルの下を一回覗いて、
「なくしちゃったの?」と再度問い返してきた。
「……みたい」
俺は慌てて、衣服のポケットがある部分を叩いて、ものの存在を確かめる。しかし、やはりどのポケットにもスマホの感触は見受けられない。
公園かもしれない。ちょっと見てくる。と、言おうとした直前に、子供多下が頼んだ品がテーブルへと運び込まれた。店員は商品名を言うと、オムライスがのった皿とメロンクリームソーダが入ったグラスを、静かに机の上に置く。ご注文は以上でお間違いないですかという問いに、子供多下が、はい、とうなずくと、店員は最後の決まり文句に、ごゆっくりと言ってレジのほうへ戻って行った。
俺と子供多下は二人で顔を見合わせる。
「食べ終えてから探しに行こうか」
そういう決断に至り、子供多下は嬉しそうに、鉄製のスプーンでオムライスを掬い上げ、自分の口に運んだ。「おいしい!」という感嘆の声を上げる子供多下は、夢中になってオムライスを食べ続ける。ゆっくりでいいからな、という俺の声はまたしても少女には届いておらず、自分の食事の世界に没頭しているようだった。
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