8
「コウ……ちゃんは星が好きなのか?」
「うん好き」
「どうして?」
「うーん……。」
子供多下は少しだけ考えて、続きを答える。
「見られなかったから……かな」
「見られなかった?」俺がその先を促すと、子供多下は開いていた本を閉じ、話に集中するように虚空を見つめて、
「そう。行けなかった。……あんまり詳しくは覚えてないんだけど、ね」
そう言って、精神だけどこか遠い場所に行ってしまったかのように遠い目をした。
「コウがね、もっと小さかった頃。たぶんまだこうして、良い事とか悪い事とかがうやむやだった頃に、家族で近くの天体観測ができる施設に行くことになったの。星を見たっていう記憶はないから、きっと見る前だったと思うんだけど……」
そこで子供多下の口が止まる。軽く口を開いて、何かを追っているような、そんなふうな表情のまま時間が停止している。
話の途中で気になりはしたけれど、これ以上、次を促すのは控えておいたほうがいいと思った。俺が話づらいなら言わなくてもいいと断りは入れたものの、子供多下は大したことはないと言うだけで、ゆっくりと噛みしめるみたいに再度声に出す。
「気が付いたら、コウは、病院にいた。目が覚めた時、コウの周りには誰もいなくて、カーテンだけがコウを取り囲んでた。ぼうっとしてたら強い光が目に入って、ちょっと痛くて。でもどこが痛いのか分からなくて。なんかいろいろ考えてたら、朝になってたの」
俺はそのまま黙って聞いている。
「途端にカーテンが開いたと思ったら、看護師さんが驚いてどっかに行っちゃってその後直ぐに、お父さんが一緒にコウのとこに来た。喜んでた。コウはそのままお父さんに抱きしめられて、何が何だか分からなくて看護師さんのほうを見たら看護師さんは泣いてた。お父さんは喜んでるのにって、変だなって思ってたんだけどね、いつの間にかお父さんの声が擦れてて、喜んでたのに泣いてた。
その後、詳しく説明があって初めて、コウは事故に遭ったことを知ったの。不思議に思ってた痛みとかも、やっと理由が分かって、その時に……弟が死んじゃったのも知った。全部全部早くて、流れ星みたいで、何にも分かりたくなかった。いつの間にか弟は木の箱の中にいた。周りには綺麗な白い花がたくさんあって、その中に弟が埋まってて、作り物みたいで、初めてやっと、本当にいなくなっちゃったことに気が付いたの」
「それで、その時買ってもらったのがその本?」
「ううん」子供多下は、小さく首を横に振った。
「直ぐには買ってもらってないよ。お父さんもお母さんも、おかしくなってたから。お父さんは忘れたくって、お母さんはいっつも思い出して泣いて、毎日喧嘩してた。離婚するって話してたこともあった。おばあちゃんとかと話してて、コウが駄々をここねたこともあってか離婚はしないってお父さんもお母さんも約束してくれて、いっぱいいっぱい周りの人に迷惑をかけったって、お母さんは謝って少しずつだけど泣いている姿を見なくなって、その時にまた行こうねって買ってもらったのがこの本なの」
子供多下は、ゆっくりとその本を持ち上げ、自分の胸に抱きかかえるようにした。
「忘れちゃだめだけど、いつまでも泣いてちゃいけないって。これは私への『いましめ』って言ってた」
子供多下の壮絶な過去に、俺はただ茫然と聞き入るしかなかった。幼くしてここまで深い過去を持った少女がいるとは、露にも思わなかった。本質を思い出してみれば、子供多下が言うように俺が本当に8年前の時間にタイムスリップしたのなら、大人多下の助けてほしいことっていうのは、事故前に、弟を助け出すのに協力しろということだったのだろうか。俺は回転の遅い頭を、できるだけ早くかき混ぜて、足りぬ脳で考える。この先に進むべきかそれとも、この話はこの場でお開きにするのが正しいのか。答えは出ていた、けれど、自分が今立たされている状況を考えてみると、その先を聞かないということは不毛な気がする。
俺はできるだけ、内容が深くならないように気を付けながら、子供多下に返事を返していく。
「じゃあ、今はお父さんもお母さんも仲良しなんだな」
俺は当たり障りのない、何気ないことから言葉にしていったのだが、俺の投げた返事は大暴投となり、不思議と身をすくめるような嫌な音が脳内に響いた。
「ううん。あの時よりも悪くなってるの」、子供多下は深刻そうにそう言うと、続けて、
「喧嘩まではいってないんだけどね、離婚するって。今回は、もう無理だって言ってた。……お父さんもお母さんも何も理由は言ってくれないし、コウ、どうしていいのか分からなくて……」
子供多下の目からは気が付かないうちに、大粒の涙が流れ出ていた。必死になって袖で目元を擦っているのだが、涙は留まることを知らずに持っていた本にも落ちていく。ぼとっと音がすると、見えないくらいに小さな飛沫をあげて、形の崩れた円形を作り出す。周りの視線が気になった。今の状況は俺が、見ず知らずの幼い女の子を泣かせている絵にしか、他人の目には映らないだろう。俺も必死になって、誤解を解くための言い訳を考えていたが、周りを見回してみると、全く注目の的にはなっていないようだった。
俺は携帯していたハンカチを子供多下に渡し、涙を拭くように促す。徐々に落ち着きを取り戻し、涙と嗚咽が少しずつ減っていくのを見て、一安心して安堵の溜息を吐いた。
「ごめん。嫌なこと訊いて」
「ううん。お兄さんは悪くないよ。コウが勝手に泣いたことだから……」
子供多下はそう言うと、貸りたハンカチ洗って返すね、と言って俺のハンカチをポシェットにしまった。そのままでもよかったけれど、もしも洗わずに取って置く気だとか思われてもいけないと思い、そこは子供多下がやりたいようにさせることにした。
隣で鼻をすする音が、この無情な空間を埋めていく。何もない静寂よりかは、心許ないが安心感がある。ふと空を見上げると、太陽が落ち始めていた。小学生が公園で遊んでいるわけだから、今日の授業は終わっており、時間は既に夕方近くなっていることは、時計を見なくとも分かった。初夏ではあるが、多少の気温の高さを感じる。今聞いていた話と相俟ってか、俺の額には汗が滲み出ていた。学生服の袖で汗を拭った。
子供多下が落ち着くまでそっとしておこうと思っていたが、案外立ち直りが早いのか、鼻声で切り出した後、驚くようなことを公言し始めた。
「お兄さん。コウを誘拐してほしい!」
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