刺激的な恋愛小説 まひるside
最悪だ……。
早退した私は直ぐにシャワールームに飛び込む。
クンクンと鼻をひくつかせると、プーンと卵の生臭い匂いがした。
人材派遣会社に登録し職を転々とし、スーパーKAISEIに派遣されて半年が経過した。けれどミスばかりする私に、契約更新は望めないかも。
世田谷駅前にあるマンション。1DKプラスS(サービスルーム)。現在私はここでルームメイトと共に暮らしている。ルームメイトは相武みやこ、同郷の幼なじみだ。
ルームメイトといえば聞こえはいいが、現状は親からの仕送りをストップされて家賃が払えずアパートを追い出された私が、みやこのマンションに転がり込み、月二万の家賃で三畳のサービスルームを間借りしているに過ぎない。
大学進学と同時に故郷を飛び出し上京。当時はまだ夢と希望に溢れ、東京へ行けば夢は叶うと信じていたんだ。
就活が始まり、出版社への就職を目指して何度もトライしたけど……全て撃沈。夢は夢でしかないと半ば諦めかける。
そんな私を見かねて、特に志望する企業などなかったみやこが、私を元気づけるために大手出版社・セシリア社の採用試験に付き合ってくれた。みやこ曰く『自分は一次試験で惨敗する予定』だったらしい。だが、奇跡は起こる。一次試験、二次試験と難関を突破したのは、出版社に興味のないみやこの方だった。
運命の神様は意地悪だ。こんなことなら、友達と一緒に採用試験なんて受けなければよかった。
自分の才能のなさと運のなさに打ちのめされ、私はそこで夢を手放す。
結局、私は大学卒業後も就職出来ず、人材派遣会社に登録。現在に至っている。
みやこよりも私の方が帰宅時間は早いため、夕食作りは私の担当。
人も羨む美人で恋多き女のみやこは、酔うと男性をお持ち帰りする習性があり、そうなると当然居候の私はネットカフェでお泊まりすることとなる。
いくら個室とはいえ、狭いマンション内でみやこと男性が戯れていると思うと、独身で男性経験なしの私には刺激が強過ぎるから。
強いて言わせてもらえるなら、せめてお持ち帰りする時はメールで事前に知らせて欲しい。
同居人に連絡することも出来ないくらい、泥酔して帰宅するみやこ。無理な要望だということは十分わかっているが、情事に溺れる二人と薄い壁を隔てて眠ることは、拷問に等しい。
シャワーを浴びて、部屋着に着替えキッチンに立つ。
スーパーでぶつかった男性のカゴの中身は、すき焼き用の牛肉と鍋の材料だった。ボサボサの髪、顎髭、着物に下駄。お祭りでもないのに着流しなんて、明らかに異質だ。
以前から風変わりな人だと思ってはいたが、まさか作家だったとは。
あの人、有名な作家なのかな? どんな作品を書いているのかな。
そんなことを考えながら夕食を作る。今日のメニューはクリームシチュー。
昨日作ったマカロニサラダにゆで卵を混ぜ合わせてアレンジし、レタスやトマトの生野菜と一緒に器に盛り付ける。
ゆで卵は私が壊した卵のパックに残っていた相棒たち。あのまま廃棄するのは心苦しくて持ち帰った。
みやこは何を作っても黙って食べてくれる。作り手としてはとても有り難い。
「まひる、ただいま」
「みやこ、お帰り」
「あー疲れた。今夜はシチューなんだ。美味しそう」
みやこはキッチンの鍋に顔を近づけ、クンクンと鼻を鳴らす。まるで、腹ぺこの仔犬みたいだ。
「着替えておいで。食事の用意しとくから」
「うん」
みやこが部屋着に着替えている間に、私はダイニングテーブルに食事を整える。
「まひる、脱衣所生ゴミ臭くない? 腐った匂いがする。また何かしでかした?」
「ごめん。卵なんだ。あとで洗濯するから」
「卵? 今度は何したの?」
「生卵を頭から被ったの」
「え? 自ら?」
「スーパーでタイムサービスの卵の値札貼り替えてて、脚立から足を踏み外したの。バランス崩して陳列棚に激突、卵と一緒に床に撃沈。最悪だよ」
「相変わらずドジだね。怪我しなかったの? それで大量のゆで卵なんだ」
「店長に怒鳴られて買い取りしたの。だから、当分卵料理だからね」
「はいはい。卵好きだから、毎日でもいいよ」
みやこは優しいな。やっぱり持つべきものは友達だ。
「今日さ、変な人が編集部に来たんだ。ボサボサの髪に着流しで、最初ホームレスかと思っちゃった。でも住所見たら、世田谷在住。しかもここから超近いの。まひるのスーパーで見たことない?」
「あっ……」
まさにビンゴ。その風貌なら、あの人しかいない。
「作家、只野直人」
「そーそーソレ!」
互いが同時に、相手を指差す。みやこはゲラゲラと笑う。
「どうして彼が作家だと思ったの?」
「自分でそう言ったから。実は脚立から落ちて、その人の頭上に卵をぶちまけたの」
「まじ? 彼、激怒したんじゃない?」
「全然……。寧ろ薄気味悪いくらい。だって笑ってたんだよ」
「卵ぶちまけられて笑ってたの? 信じらんない。実はね、編集長の学生時代の友人らしいの。だからpamyuでいきなり連載だって。編集長の指示だから逆らえないけどさ、見るからに恋愛小説を書くタイプじゃないよね」
恋愛小説……?
人気女性誌pamyuで連載するくらい、あの人……有名な作家さんなんだ。
どうしよう……そんな人に私は卵をぶちまけた。
お詫びに行かないと……。あとからどんなクレームをつけられるかわからない。
もしあの失態をSNSで呟かれたら、すぐに拡散されて私はクビだ。
「みやこ、只野先生の住所知ってる?」
「知ってるけど、どうして?」
「お詫びに伺いたいの」
「お詫びか……。学生時代『偏屈只野』ってアダナがあったらしいから、早く行った方がいいかもね」
「偏屈只野?」
「編集長曰く、気難しくて性格が捻くれていて頑固で強情。コテンパンに貶すくせにそれでもpamyuの連載に大抜擢するなんて、学生時代よほど親しかったか、何らかの弱みを握られているかどちらかだね」
「彼が才能豊かな人だからじゃない?」
「そうかな。そんな風には見えないけど。来週プロットもらう予定だから、それで判断するわ」
「みやこは男には甘いのに、仕事には厳しいのね」
「仕事と遊びは別よ。編集長の友人だからって妥協は出来ないわ」
こうして遠慮なく何でも話せるのは、みやこだけかもしれない。
私は人見知りだし、他人と会話するのも苦手。口下手だし要領も悪い。特に男性は苦手。面と向かうとテンパって何を話せばいいのかわからなくなる。
この性格が、出版社に採用されなかった大きな理由かも。
文章を書くことや本を読むことは昔から好きだったけど、思い通りにはなかなか生きられない。
食事の途中、みやこの携帯電話が鳴った。みやこは電話に出ると、少し甘えた口調になる。
相手はきっと男だ。電話の相手に表情は見えないのに、なんであんなに色っぽいのかな。
みやこは話をしながら指先で皿のシチューを掬う。唇を少し開け、舌で指先についたクリームシチューを舐める。
「そんなに逢いたいの? それとも……私を抱きたい?」
私の目の前で、そんなセリフがよく言えるな。しかも、食卓だよ。
みやこは突然テーブルをバンッと叩く。
「ゲラはそうなってたはずよ。セリフを差し替えなくていいから。そんなことでいちいち電話しないで。あなたが担当者でしょう。いつまでも私を頼らないで校正は責任もってやりなさい。あとは宜しく」
……なんだ。仕事の話か。
ちょっとドキドキした。
みやこは夜も……結構激しいから。
みやこの声で、深夜目覚める時もある。
『食欲と性欲は、生きていく上で不可欠。胃袋も体も満たされてこそ、いい仕事が出来る』
これが、みやこの持論。
私には……未だに、その持論が理解出来ない。
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