刺激的な恋愛小説 直人side①


 四月初旬、都内、某出版社

 俺の目の前で、小生意気な編集者がパラパラと原稿を数枚めくり、パタンと閉じた。


「只野さん、出だしからインパクトに欠けますね。読者を惹き付ける力がない。はっきり言って、あなたの作品はつまらない。どうせ書くなら、大人向けの恋愛小説を書いたらどうですか?」


「恋愛小説……ですか? 俺は歴史小説しか書けません。特に戦国ものは得意分野です。戦国武将といえばなんといっても織田信長でしょう。戦国の世は実に奥深い」


 編集者は苛ついたように前髪を搔き上げた。胸ポケットから煙草を取り出し口にくわえると、ライターで火を点け、脚を組む。

 丈の短い黒いタイトスカート。白い太股と赤いハイヒールが目の前にちらつく。

 こいつは女だ。しかも俺よりも若い女。


「読者は刺激的な恋を求めてるんだよね」


 フーッと煙草の煙を吐き出し、つまらなそうに右手の人差し指で原稿用紙の端をいじっている。

 世の中に禁煙マークが蔓延る時代に、編集者が作家の目の前で白い太股をちらつかせ喫煙するのか。こいつの上司は部下にどんな教育をしているんだ。


「刺激的な恋?」


「昔、地方新聞で受賞した経験がおありだとか。それ何年前ですか? はっきり申し上げて、作品を商業化したいならプロローグはインパクトのある刺激的なものにしないと。一瞬で読者の心を摑まないと、どんなに素晴らしい作品でも今の若い子は飛び付かないですよ」


「飛び付かなくて結構」


 俺はスクッと立ち上がる。自分の原稿を乱暴に摑み編集者を睨み付けた。


「刺激的な小説だと? この俺に官能小説を書けというのか」


 冗談は顔だけにしろ。小説のプロローグとお笑いタレントの摑みを一緒にするな。


「誰もそこまで言ってませんよ。こちらはアドバイスしたまで。今回は残念ながら採用出来ません。お引き取り下さい」


「こちらから願い下げだ」


 その後、都内にある出版社を数社訪問したが、どこにも相手にされず、原稿を読まれることもなく受付で門前払いされた。



 只野直人、三十歳。職業は作家。サラリーマンがスーツを着用するように、作家の俺は、亡き母が仕立ててくれた着物を着用している。


 二十二歳で初めて執筆し、地方新聞の公募に応募。見事大賞を受賞した経歴がある。

 紙面には大型新人作家誕生と持て囃され、当時大学生だった俺は企業の内定を辞退し、意気揚々と作家の道に進んだ。

 大学時代、友人のいなかった俺。受賞の翌日は注目の的となり大勢の学生に囲まれるかと思いきや、地方新聞だったためか殆どの学生は、俺の華々しい作家デビューを知る由もない。


『只野君凄いね。小説で受賞したんだって? いつか一緒に仕事ができたらいいね』


 唯一、話し掛けてきたのは見ず知らずの学生。


『誰だお前? 俺が少し有名になったからといって、馴れ馴れしい口をきくな。お前は乾燥ワカメか』


 後日俺はネット上で奴に『偏屈只野』と異名をつけられ、その書き込みはあっという間に世間に拡散された。


 俺のどこが偏屈なんだ。

 増える乾燥ワカメじゃあるまいし、有名になった途端、ムクムクと見ず知らずの『友達』や『親戚』が増殖する方がおかしいだろ。


 この一件で俺はますます大学で孤立する。それでも作家として生計を立てていけると信じていた。


 しかしその後、何編公募に応募してもかすりもしない。受賞どころか、最終審査にも残れない。数年が経過し痺れを切らした俺は、直接出版社に持ち込むことにしたが、たいていはこの有様だ。


 受賞してすでに八年か……。


 同世代の者は、大学卒業後、就職した会社で役職につきバリバリ仕事をしているはず。



 最後に立ち寄った出版社。

 編集部に案内されテーブルに座り、出されたお茶を飲みながら担当者を待つ。


「只野? 只野直人君だよね?」


 誰だよ、お前? 偉そうに。やけに馴れ馴れしいな。

 そこにいたのは、俺に『偏屈只野』と異名をつけた張本人だった。


「セシリア社の一樹二太郎です。ニタだよ、只野君懐かしいなぁ」


 ニタ? そんな愛称知らないよ。

 奴は俺に名刺を差し出す。名刺には『セシリア社 第一編集部編集長 一樹二太郎』と印刷されていた。


 コイツが……この出版社の編集長!?


「いつか只野君と一緒に仕事がしたいと思っていたんだ」


 この俺と? 『偏屈只野』の烙印を押したくせに、どの面さげて言ってる。


「セシリア社の代表取締役社長は俺の父なんだ。父の職業柄、学生時代君が受賞したことを教えてくれたんだよ」


 ……なるほど。父親が出版業界だから、地方新聞の公募で受賞した俺のことを知ってたのか。大学名も公表されていたから、息子と同じ大学で興味深かったのだろう。


 俺はコップの置かれたコースターを抜き取り、ボールペンで『作家、只野直人』と手書きし、一樹に差し出す。


「あいにく名刺は持ち合わせていない」

「どうも……。君は相変わらずだね。只野君、まだ持ち込みしてるんだ。もうどこかの出版社の専属で、担当がついてると思ってた」


 相変わらず失敬な奴だな。


「芥川賞や直木賞のノミネートが発表されるたびに、君の名前が掲載されていないか探したものだ」


 完全に俺をバカにしてる。

 一樹は俺の原稿を数頁読み、パタンと閉じた。どうせ、ボツだと言いたいのだろう。


「これは預からせて下さい。只野君、実は今月大人の女性をターゲットにした、紅ローズ文庫が創刊されます」

「紅ローズ文庫?」

「略してベニロ」


 一樹は自信満々に胸を張り、にんまりと笑みを浮かべる。何がベニロだ。何でも略せばいいってもんじゃない。

 大体、俺に恋愛小説は無縁だ。しかも女性向け。そんな得にもならない情報は必要ない。


「ちょうど才能豊かな作家を探していたところだ。只野君は恋愛小説は書かないのかな」


 編集長という立場を利用した完全に上から目線。腕組みをし見下したような一樹の眼差しに、俺はつい口を滑らせる。


「恋愛小説だと? 俺に書けないモノはない」


 正直恋愛小説など一度も書いたことはないが、一樹の挑戦的な態度に思わず見栄を張った。


「ですよね。只野君、紅ローズ文庫から小説を出版しませんか?」


 書き下ろし……ってことか? 俺の反応を試しているのか。


「まずはセシリア社の女性向け週刊誌で連載し、好評ならば秋頃の出版で如何ですか?」

「女性誌で連載?」


 まさかの商談。

 八年もの間、書き溜めた作品が何ひとつ相手にされなかったのに、一頁も書いていない作品が、出版社に売れた?


「週刊誌なので、毎週原稿をいただく形になりますが、執筆するお時間はありますか?」


 俺は作家だ、他に仕事はしていない。強いてあげるなら、家事と家庭菜園くらい。時間なら掃いて捨てるほどある。


「弊社で担当をつけますよ。是非書いていただけませんか? おーい、相武」


 一樹に名前を呼ばれた女性が、スッと立ち上がる。スレンダーで容姿端麗。いかにも仕事が出来そうなキャリアウーマンだ。

 先程訪問した某出版社の小生意気で派手な編集者とは、雰囲気が全く異なる。


「はい、編集長」

「相武、こちらは只野直人先生、俺の学生時代の友人だ」


 俺が、先生……?

 初めて呼ばれた。ちょっと気持ちいい。


「私は週刊pamyuの小説部門を担当しております、セシリア紅ローズ文庫の相武みやこと申します。宜しくお願いします」

「訂正しておくが、彼とは同じ大学に在籍していただけで、決して友人ではない」

「えっ?」


 彼女は困ったような眼差しで、一樹を見つめた。


「はははっ、只野先生はちょっと変わってるんだ。学生時代に地方新聞の公募で大賞を受賞された優秀な方だから。週刊pamyuに只野先生の恋愛小説を連載し、ベニロで秋刊行予定だ」

「pamyuで連載ですか? 失礼ですが、只野先生の代表作は?」

「相武、只野先生に失礼だよ。取り敢えず、担当はお前に任せる。来月から連載開始するからな。只野先生、スケジュールは大丈夫ですよね?」


 来月って、いきなり連載するのか。


 一樹もチャレンジャーだな。そんなに俺の作品が欲しいのか。ならば、その要望にこたえてやろう。


「問題ない」

「では、来週までに急ぎプロットを作成してもらえますか?」

「問題ない」

「さすがだね。あとは相武から詳細を聞いてくれ。相武、頼んだぞ」

「はい、編集長」


 彼女はキャビネットから書類を取り出した。


「セシリア社には複数のグループ企業があります。出版関連では月刊誌、週刊誌、男性誌、女性誌と多種多様。セシリアSF文庫、セシリアコミック、セシリアプリティ文庫、セシリアセクシー文庫等からは、数々のベストセラー作品を世に送り出しました。こちらがセシリアグループのパンフレットです」

「なるほど」


 一樹の父親がこのグループ企業の代表取締役社長とは驚きだ。


「こちらが契約書となります。これから印税等に関して説明させていただきますね」


 彼女は書類をテーブルに置き、淡々と契約書を読み始めた。俺はそんなことより

も、恋愛小説のプロットをどう書けばいいのか、頭を悩ませている。


「只野先生、何かご質問はありますか?」


 質問か、それならば山ほどある。まずは一樹の話で盛り上げ、本題に入るとしよう。


「一樹は既婚者か?」

「はい」


 数秒で終わってしまった。


「君は既婚者か? それとも恋人はいるのか?」

「は?」


 軽蔑の眼差し。別に編集者をナンパしたいわけではない。プロットの参考までに聞いただけだ。


「只野先生、私は独身ですが、担当と作家の恋愛は禁止されておりますので、そのようなお話は……」

「俺はそんな目的で聞いたのではない。恋人がいるのかと問うたまでだ」

「一応……恋人はいますけど。それが何か?」

「ならば問題ない」

「どうも……。契約に関しての話を続けさせていただきます」


 彼女は仕切り直し、説明を続けている。

 透き通るような白い肌、澄んだ美しい瞳、男を惑わす魅惑的な唇。美人だが凜としている。

 ダメだ、美人を目の前にしても何も閃かない。寧ろ完璧過ぎてつまらないのだ。


「この内容で問題なければ、こちらに署名捺印をお願い出来ますか?」


 取り敢えず、サインしてから考えよう。

 俺はボールペンを手に書類にサインをする。


「ありがとうございます」

「君はオフィスラブの経験は?」

「あの……私の恋愛遍歴を只野先生にお話しする必要はないかと」

「問題ない」


 ガードの固い女だ。

 何かヒントをくれてもいいだろう。


「作品のプロットに関しては、来週早々提出していただけますか? 出来ればプロローグと一章の原稿もお願いします」

「来週? 連載は来月からだろう」

「そうですが、pamyuは週刊誌なので、のんびりしている暇はありません。校正や校閲の時間もいただかないと、書き下ろしをノーチェックで掲載するわけにはいきません。もし未発表の完結作品があればそちらでも構いませんが、連載は十二回の予定なので各章四百字詰めの原稿用紙二十五枚となります。全体の文量は三百枚です。書き下ろしであれば期日は必ず守って下さい。宜しくお願いします」


 未発表の完結作品なら山ほどある。ただし恋愛小説ではない。戦国時代の武将達の生き様を、ミステリアスなタッチでリアルに描いている作品ばかりだ。

 この俺に、来週までに恋愛小説のプロットと一章をよこせと? 書けるはずがないだろう。それが書けるくらいなら、俺はとっくの昔に恋愛小説作家として脚光を浴びている。


「それでは只野先生、読者が胸キュンするような作品を楽しみにしています。本日は貴重なお時間をありがとうございました。原稿はパソコンで送っていただいても、ファックスで送っていただいてもどちらでも構いません。こちらがアドレスになります」


 パソコンやファックス?

 送り先を誤ったらどうするんだ。そんなもの使用したこともない。


「俺は原稿用紙にしか書かない」

「わかりました。ご連絡下されば、私がご自宅まで取りに伺います。それで宜しいですか?」

「問題ない」


 いや、問題だらけだ。

 そもそも胸キュンとはなんだ。さっぱりわからない。

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