第3話 パゴ助、千思万考!

 長閑な土曜日の昼下がり、私立ペングィン学園は騒然としていた。園内で息絶えた人間が発見されるという学園始まって以来の大事件に、宿直の教職員も、たまたま登校していた生徒たちも、体操服姿で部活に励んでいる女子ペンギンをこっそり盗撮していたおっさんも、皆、驚きを隠せなかった。


「これは、どう見ても事故ですな」


 鑑識からの報告を聞いた刑事(人間)は面倒くさそうにそう言った。


「この男、トボガンの操縦に不慣れだったのでしょう。廊下をうまく曲がれずそのまま壁に激突。頭を強打してそれが致命傷になった。まあ、そんなところでしょうな」


 刑事の説明を聞いてもデリ子は釈然としない。


「妙です。ゲンさんはいつもトボガンを使わず、歩いて魚を運んでいました。どうして今日に限って」

「マグロが重かったんでしょうよ。この冷凍マグロ、50kgはありそうだ。マグロ丸々1匹購入したのは今日が初めてだったんでしょう。それならこれまで使わなかったトボガンで運ぼうとしたとしても不思議じゃない」

「それは、そうですが、でも……」


 どんなに重くてもゲンさんなら肩に担いで運ぶはず、デリ子はそう言いたかった。が、あくまでもデリ子の推測に過ぎない。むしろ刑事の主張通り、重いマグロをトボガンで運ぼうとしたと考えた方が自然である。


「さて、それでは我々は引き上げます。皆さんも解散されて結構ですよ」


 刑事は帰って行った。絶命したゲンさんは運ばれて行ったが、冷凍マグロは廊下に放置されたままである。取り敢えず当初の予定通り家庭科室の大型冷凍保管庫に運び入れ、パゴ助、デリ子、ペラ美の3羽はお茶を飲んで一服することにした。


「本当に事故なのかしら……」


 デリ子がつぶやく。まだ疑念を払拭できないようだ。


「刑事さんが事故だと仰っているのよ。そう考えるしかないでしょう。それにあの状況のどこに事件性があると言うの、デリ子さん」


 第一発見者のペラ美は刑事と同じ考えのようだ。デリ子はお茶を飲み干すと今度はパゴ助に話しかける。


「パゴ助君はどう思う。あれは本当にただの事故だと思う」

「おいらは……」


 口籠るパゴ助。その先を言っていいものかどうか迷っているようだ。が、思い切ったように言葉を続ける。


「おいらもデリ子さんと同じ意見だ。あれは事故じゃないと思う」

「ふっ、お二方とも大した妄想力ですこと。推理小説の読み過ぎではなくて」


 馬鹿にしたような口調のペラ美に対して、パゴ助は真面目な顔で答える。


「ただの空想で言っているわけじゃないんだ。引っ掛かる点が幾つかあるんだよ。ひとつはトボガンのブレーキが壊れていたこと。刑事さんは衝突の衝撃で壊れたと言っていたけれど、ブレーキはトボガンの後方にある。衝突のせいで壊れたとは思えない」

「つまり、誰かが故意に壊した、と言いたいのですか」


 ペラ美の問いに無言で頷きながらパゴ助は続ける。


「もうひとつはマグロだよ。どてっ腹に何かが突き刺さったような小さく深い穴が開いていた。そして腹も鋭利な刃物で割かれていた。いずれも切り口は新しい。冷凍されてから付けられた傷であることは間違いない。もしかして、犯人の動機はそこにあるのかも……」

「誰! そこにいるのは誰なの!」


 突然、ペラ美が大声を上げた。驚いて家庭科室の出入り口を見るパゴ助とデリ子。僅かに開いた扉の向こうに鳥影が見える。


「あなた……あなたひょっとして、3年のルトさんではないですか」


 デリ子の言葉を聞いて隠れていても無駄だと悟ったのだろう。扉がゆっくりと開くと、そこには1羽のフンボルトペンギンが立っていた。


「あら、ルト代さん。どうしてこんな場所にいらっしゃるの。今日はお休みのはずでしょう」

「あ、え、えと、その、今日、噂になっている新入生の入部試験があると聞いて、それで気になってしまって……」


 しどろもどろの喋り方と上気して桃色に染まっている頬。随分と上がり症のペンギンのようだ。パゴ助が小声でデリ子に訊ねる。


「ねえ、あのルト代さんってどんなペンギンなの。どうしてすぐにわかったの」

「さきほど部室でお話したでしょう。2年間で計48回の入部試験を受けて一度も合格できないペンギン、それが彼女なのよ」


 なるほどとパゴ助は思った。そこまで印象が強ければデリ子の脳裏に焼き付いてしまうのも無理はない。


「そんな所に突っ立っていないでお入りになれば。お茶でもいかが」

「は、はい」


 ペラ美に言われて素直に中へ入るルト代。パゴ助は己の隣に座ったルト代をまじまじと眺めた。桃色の肌から突き出した嘴、僅かに開いたその嘴からほのかに漂ってくる香り。パゴ助の中にある考えが浮かび上がった。


 ――まさか……いいや、こんな大人しそうなペンギンがそんなことをするはずが……


 すぐにその考えを打ち消すパゴ助。しかし同じ考えはペラ美にも浮かび上がったようだ。氷のような冷たい声でペラ美は話し始めた。


「ねえ、ルト代さん。魚屋のゲンさんが亡くなったこと、ご存知でしょう。あなた、何か知らない」

「え、い、いえ、あたしは何も」

「警察は事故だと判断していますが、私たちは事件ではないかと思っています。誰かにあやめられたのではないか、と」

「えっ!」


 ペラ美を除く3羽が同じ言葉を発した。ルト代は驚きの声。パゴ助とデリ子は呆れ声だ。


 ――ペラ美様、先ほどまで『事故と考えるしかないでしょう』とか仰っていたくせに。何でしょう、この手の平返し。


 とツッコミたくなるデリ子であったが、もちろん何も言わずに黙っていた。


「ど、どうして事件だと思うのですか、ペラ美様」


 震え声のルト代を軽蔑の眼差しで眺めながら、ペラ美は冷たい声で話し続ける。


「マグロです。お腹に開いていた穴。それはまるでペンギンの嘴で突き刺されたような穴でした。ルト代さん、あなたの嘴に薄っすらと血が付いています。それはマグロの血じゃありませんこと」

「えっ、う、嘘!」


 慌てて嘴を拭うルト代。その行動に自信を深めたのか、ペラ美は更に畳みかける。


「ゲンさんを死に追いやったのはあなたです、ルト代さん!」

「そ、そんな、どうして、私がそんなことを」

「動機は単純。私たちの評判を落としたかったのでしょう。あなたは2年間入部試験を落第し続けています。その悔しさが恨みに変わったのです。密かに私たち南極お料理クラブを憎んでいたのでしょう。そこで魚屋ゲンさんを危険な目に遭わせることでその評判を落とそうとあなたは考えた。マグロ1匹注文するという無謀な行為、そのせいで魚屋さんが瀕死の重傷を負えば、南極お料理クラブの評判は地に落ちる。それがあなたの目論見。そう、こんな恐ろしいことを企んだのは、全て自分の腹いせのため。私たちへの復讐のため。そうなのでしょう」


 ルト代は震えている。肯定はしない。しかし否定もしない。口を閉ざしたまま身を固くして座っているだけだ。


「何も答えられないところを見ると、どうやら図星だったようね。何をぼーっとしているのですかデリ子さん、逃げられないように今すぐルト代さんを縛り上げるのです。もしかしたら凶器を隠し持っているかもしれません。直ちに身体検査を……」

「待って、ペラ美さん」


 それまで無言で事の成り行き見守っていたパゴ助が口を開いた。


「ねえ、みんな、お腹空かない? もうお昼をとっくに過ぎたのにお茶しか飲んでいないでしょう。何か食べようよ、おいらが作るからさ」

「そう言われてみれば……」


 デリ子とペラ美は顔を見合わせた。パゴ助の入部試験とゲンさんの一件が重なって、空腹であることすら忘れていた。時計を見れば既に午後2時近くになっている。


「せっかくだからマグロを使った料理にするよ。穴も開いて腹も切られているんだし、ちょっとくらい使ってもいいよね」

「そ、それは……」


 躊躇するデリ子。マグロは部費で購入したもの。個人的な食事に流用していいはずがない。が、ペラ美にそんな理論は通用しない。


「よろしいですわ。天才料理ペンギンの名に相応しい一品を作って御覧なさい」

「任せて」


 パゴ助は嘴包丁をセットすると冷凍保管庫へ入り、手際よくマグロの肉を切り出した。


「調理は部室でやりたいんだ。あそこの厨房の方が使い勝手がいいから。あっ、ルト代さんも来て。おいらどうしてもあんたに食べてもらいたいんだ」

「パゴ助さん、彼女は容疑者なのですよ。食べさせる必要などありません」

「そうだとしてもお腹を空かせたままじゃ可哀相だよ。取り調べは食事の後でもいいでしょ。さあ、行こう」


 パゴ助はルト代のひれを取った。すぐには動こうとしなかったルト代であったが、やはり空腹だったのだろう。ペラ美に気兼ねしながら立ち上がると、パゴ助と一緒に出入り口へ歩いていく。


 ――パゴ助君、何をするつもりなの……


 デリ子は感じていた。パゴ助には何か策があるのだ。この一件を解決に導くための策が……期待と不安を感じながら、ペラ美に続いて椅子から立ち上がるデリ子であった。

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