第2話 パゴ助、起死回生!

「へーい、お待ちー。マグロ持ってきたよ」


 突然部室の扉が開いて威勢のいいおじさん(人間)が入ってきた。いつも新鮮な食材を配達してくれる魚屋のゲンさんだ。突然の闖入者にペラ美の顔が曇る。


「あら、おかしいですわね。部室の冷凍庫は空きがないので、家庭科室の大型冷凍保管庫に配達するように頼んでおいたのですけれど」

「おっと、そうだったか。そりゃすまねえ。おや、なんだい珍しいな、生徒がハモを相手にしているのか」


 さすがは魚屋。開いてしまった後でも一目でハモと見抜いてしまった。


「やっぱりハモは骨だぜ。骨を骨と感じずに食わせるのが一番骨が折れるからな」

「ゲンさん、余計な口出しは控えてくださいませんか」

「ははは、ペラちゃんの怒った顔もまたカワイイねえ。そんじゃな」


 ゲンさんは扉を閉めて行ってしまった。部室の中には静寂が戻ってきた。しかしパゴ助の頭の中は違っていた。ゲンさんの言葉が鳴り響いていたのだ。


 ――骨を骨と感じずに食わせる……


 閃いた。直ちに鍋に水と塩を入れ火にかける。捌いている時から生臭さを取るための湯引きが必要だと感じていたのだ。同時に氷を砕いてボールに入れ水を張る。それが終わるとパゴ助は嘴包丁を外した。


「骨を切るには重くて真っすぐな、これだ」


 重量感のある嘴包丁を装着するや、すぐさま頭を振り始めるパゴ助。


「ペンペンペンペンペン!」

「ま、まさか、骨切りを!」


 ペラ美は狼狽していた。リズミカルに振り動かされるパゴ助の頭。等間隔に切られていくハモの骨。熟練した板前だけが成し得るハモの骨切りである。


「あり得ませんわ。ハモを見たことがなく、骨切りという技法さえ知らぬガラパゴス風情が、こんな高等テクニックを……」


 骨切りが終了したら食べやすい大きさに切り分け湯に通す。丸くなる形態の変化に驚きながら頃合いを見て引き上げ、氷水で熱を取り、ツマと一緒に器に盛る。最後に小皿へタレを注いで完成だ。


「できました。どうぞ」


 パゴ助が料理を乗せた盆をペラ美に突き出した。副部長のデリ子がそれを受け取ると食卓の上に並べる。ペラ美は席に着き、ペンギン専用の箸をヒレに装着した。


「ふ、ふん。見た目は良くても大事なのは味。付け焼刃のハモの落としなんて、食べられたものではないはず……うっ!」


 箸を嘴に突っ込んだままペラ美は絶句した。それでも口は動いている。頬はほんのりと赤く染まり、その目は懐かしい風景を見ているかのように焦点が合っていない。


「ペラ美様、どうかされましたか」


 デリ子が問いかけてもペラ美は答えない。解せぬ表情でデリ子もマイ箸を取り出しハモを口に入れた。


「こ、これは……!」


 デリ子もそのまま固まってしまった。不審に思った部員たちが書記、会計、庶務、広報と、役職の順番で箸をつける。皆、同じように固まってしまった。中には頬に涙を流す者まで出る始末だ。


「あ、あのう、それでおいらの料理はどうですか」

「素晴らしい出来です、パゴ助君」


 最初に口を開いたのは副部長のデリ子だ。それを切っ掛けに料理を食べた者から次々と称賛の嵐が降り注がれた。パゴ助の顔からようやく緊張が消え笑みが浮かんだ。が、次のペラ美の一言でその笑顔も消えてしまった。


「いいえ、この料理はダメです。入部は認められません」

「ど、どうして!」


 声を上げたのはパゴ助ではなくデリ子だ。他の部員の顔も一様に驚きの表情に変わっている。


「何故ですか、ペラ美様。これほど見事なハモの落としを作れる部員は、この南極お料理クラブには1羽もいません。それなのにどうして?」

「他の者の手を借りたからです」

「他の者? パゴ助君を手伝ったりした者などいないはずですが」

「いいえ、います。魚屋のゲンさんです。手を貸さずとも知恵を貸しました。骨を食べさせるという知恵、あれはパゴ助さんだけなら思いつかなかったはず。そしてこの料理も作れなかったはず。それを考慮すれば独力で試験を勝ち抜いたとは言えません」

「そ、そんな……」


 がっくりと肩を落とすデリ子。その時、部室の扉が開き1羽のペンギンが姿を現した。


「意地を張るのはそれぐらいにせぬか、ペラ美」

「が、学園長!」


 姿を現したのは紋付き羽織姿のエンペラーペンギンだ。私立ペングィン学園の創設者であるエンペラー・ペンペンの16代目の子孫にして、学園の最高権力者でもあるペラじょう学園長である。


「先ほどまでモニターで見ておった。ペラ美、おまえは明らかにパゴ助君の料理に感動しておった。そうではないのかな」

「な、何を証拠にそんな……」


 たじろぐペラ美。学園長は料理の乗っている卓に近付くと、誰もが遠慮して手を付けられずに残っていた最後のハモを口にした。


「もぐもぐ……なるほどな。ハモも見事だが特筆すべきはタレだ。オキアミを使っておるな」

「はい。部員のみんなは南極出身と聞いていたので、それならオキアミは好きだろうと思って使ってみました」


 パゴ助の返事を聞いてデリ子は納得した。ハモを口に入れた途端舌の上に広がった懐かしさ。胸に広がる望郷の想い。あれは久しく忘れていたオキアミの味だったのだ。


「聞いたか、ペラ美。料理とは大勢の者に対して同じ一品を出すべきではないのだ。体に合った服が1羽1羽違うように、その者の嗜好、体調、生き方に合わせて、その者だけが真に感動できる一品を作るべきなのだ。パゴ助君が天才的料理ペンギンと言われる由縁は、まさにそこにある。料理を味わう相手の心情を汲み取り、それに見合った料理を作る、それは容易たやくできることではない。オキアミのタレなど人間に食わせてもさして美味うまいとは感じぬだろう。だが南極に生まれたペンギンにとっては特別な意味を持つ。こうして故郷を離れて暮らしているのなら尚更だ。ペラ美、おまえがどんなに拒もうとおまえの舌に嘘はつけぬ。正直に認めるがよい。パゴ助君の料理に感動した、と」


 ペラ美は唇を噛み締めた。言い返せなかった。学園長の言葉は図星だったからだ。


「わかりましたわ。学園長がそこまで言われるのならパゴ助さんの入部を認めましょう。ただしあくまで仮入部です。3カ月様子を見て何の問題も起こさなければ、その時正式に部員として迎えることにします。デリ子さん、手続きはお任せしますわ」


 ペラ美は席から離れると静かに部室を出て行った。歓声を上げるパゴ助。デリ子以下他の部員の顔も喜びに輝いている。既に入学前からパゴ助の天才的料理の腕前は学園中に知れ渡っていた。その料理が毎日食べられるのだ、嬉しくないはずがない。


「パゴ助君、ペラ美のこと、許してやって欲しい。根は優しいのじゃが、幼い頃から少々頑固でな。こうと決めると聞く耳を持たぬのじゃ」

「幼い頃からって、もしかしてペラ美さんは学園長の……」

「そう、孫娘じゃ。まあ仲良くしてやってくれ」


 単なる部長とは思えぬほどのペラ美の高圧的な態度。その理由はこれだったのかとパゴ助は納得した。学園長の孫となれば他の生徒たちも一目置かざるを得ない。


「えっと、努力してみます」


 そう答えたパゴ助の肩を優しく叩くと学園長は部室を出て行った。デリ子が話しかける。


「さあ、パゴ助君、これであなたも私たち南極お料理クラブの一員です。まずはこちらの書類に記入をお願いします」

「あ、はい」


 ようやく肩の荷を下ろせる、安堵の息を吐きながらパゴ助は椅子に腰掛けると差し出された書類に記入を始めた。見守っていた部員たちも1羽2羽と部室を出ていく。今日は土曜日、授業はない。パゴ助の入部試験のためにわざわざ土曜日の午前に皆を集めたのだ。


「書けたよ、これでいいかな」


 書き終わった書類を渡すと、デリ子は入念にチェックを始めた。その横顔を眺めつつパゴ助は訊ねる。


「あの、デリ子さん。おいら以外にも入部希望者はいるんですか」

「ええ。今年は今日までに79羽の入部希望者がいました。その中で無事合格したのは7羽です。皆、エンペラーかアデリーペンギンでした」

「ああ、やっぱり南極に住むペンギンを選んでいるんだ」

「そうですね。でも南極のペンギンだからと言って必ず合格できるとは限りません。それに2年間挑戦し続けて一度も合格できないペンギンも……失礼」


 デリ子は話の途中で口を閉ざすと、セーラー服のポケットからスマホを取り出した。着信があったようだ。きちんとマナーモードにしている点がいかにもデリ子らしい。


「……はい。終わりました……はい……ええっ!」


 デリ子の顔色が変わった。急いでスマホをポケットにしまうと、入部書類を置きっ放しにしたまま部室を出ていく。パゴ助は慌てて後を追う。


「デリ子さん、何かあったんですか」


 問いかけてもデリ子は返事をしない。真剣な表情で廊下の壁面に設置されているトボガンをスタンバイし始めた。

 一般の高校と同じくペングィン学園も廊下を走ってはいけないことになっている。もっともペンギンの場合、その身体の構造上、走っているつもりでも人間の徒歩速度とほとんど変わらない。意識せずとも廊下を走らない規則は自然に守られているのだ。

 だが、時と場合によっては素早く移動しなければならない場合もある。そんな時のために廊下にはトボガンというそりが設置されている。この上に腹ばいになって乗り、廊下を高速移動するのだ。


「あ、あのデリ子さん、どこへ行くんですか」

「パゴ助君は部室で待っていて!」


 言い終わらぬうちにデリ子はトボガンに乗るとスイッチを押した。モーターの音が聞こえると同時にトボガンはたちまち動き出し、廊下を滑るように走っていく。


「待っていてって言われても無理だよ。おいらも……あ、あれ?」


 パゴ助もトボガンに乗ろうとしたが見当たらない。いつもなら複数用意されているはずのトボガンがひとつも残っていないのだ。仕方なく廊下をよたよたと走り出す。長い廊下の突き当りを右に曲がり、更に長い廊下を走り続けると、その先に2羽のペンギンが見えた。ペラ美とデリ子だ。


「はあはあ、ペラ美さん、デリ子さん、一体何が……ああ、こ、これは!」


 直接話を聞く必要はなかった。廊下の端に立つ2羽の足元に転がっているのは、トボガン、マグロ、そして魚屋のゲンさん。ゲンさんの頭からは血が流れている。明らかに絶命していた。

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