第21話

 前触れもなく振動する足下に、エリはマオから眼を背けた。眉ひとつ動かさず聞き慣れた衝突音のする方向を見ると、敷地内の建物が崩れ落ち粉塵が舞い上がっていた。


 あれの下敷きになっても、きっとぼくらは、まだ生き延びることができるのだろう。と、エリは鼻の上に横じわを作る。


 ノゾミがいなければ無理かな……


 眼を伏せたエリの頬を花の香りが撫ぜた。しゃがんだマオの背中から漂っているのだろうと眼を上げると、ソラの手を握りしめたアユムが通り過ぎて行った。


 ソラはアユムより少し背が高いけれど華奢にできているせいか、倉庫に眠っていたどの衣装に袖を通しても襟口から肩が出た。ニナが適当に選んで着せた服も、風を含んで膨らんでいる。走り去るアユムの腰紐にはエリが与えた金属棒が結わえられていた。






 あれは本当に偶然だった。ギィーの獲物は生き残った人間や動物たちだったから、不用意に出歩かなければ標的になることはないと思っていた頃だ。確かにまだ生物が存在した頃には、目的もなくふらつく大量の人形を襲うことはあまりなかった気もする。今になって思えば、怯えて逃げ出す者の方が単に見つかり易かっただけかもしれない。


 ノゾミが言うところの〝カガクヘイキ〟だとか〝セイブツヘイキ〟だのという大昔の〝よくないモノ〟も、残った者たちを危険に晒していた。よくは解らないが、〝ドク〟というモノは、知らぬ間に〝命〟を蝕むのだ ──とも聞いた。その〝ドク〟のせいなのか、人間も動物も居なくなった世界で、ギィーは〝彷徨うニナ〟を襲いはじめた。「ぼくらとは違う」と彼女たちを冷やかに見ていたのに、魂のない、ただの人形だと思っていたのに、裂かれた肢体はエリに恐怖を習得させた。


 物を見るのが苦手な分だけ、エリは鎧の軋む音には敏感だった。それなのに、ギィーは海岸で目撃されることが多かったので、工場近くではつい気を抜いてしまったのだ。風が砂を運びながら壁に突き当たる音や、天井が崩れる音で聞き逃したのかもしれない。永遠に地上を漂う塵からほんの少し自由になろうと、崩れ残った高い壁に寄り掛かり風を避けたときだった。


 ギィ…………


 壁越しに聞こえた。エリが咄嗟に壁から離れ、飛ぶように走ったと同時に、ギィーは脆くなった壁を破った。ふり返る余裕などなく闇雲に逃げ回るエリに、鎧が擦れ合う音が近づく。


 ギィ、ギィ、ギィ…………


 来ないでくれ。


 足下に散らばる建物の残骸を幾つか飛び越えた先に、格子状の金属柵が構えていた。跳びついたエリはよじ登り、両足を揃えて空中を飛んだ。浮かんだつま先が柵の先端に当たり、腰をひねりながら地面に叩きつけられる。起き上がろうとしたけれど、折れた脚は風になびく髪の毛のようだった。


 二度と修理が利かない体になってしまったら?


 転がって見上げた上空から鎧が降ってくる一閃の間に、そんな疑問が湧いた。覆い被さるギィーの輝きで眼が眩む。恐怖に貫かれたエリは、その瞬間が来ないことを何にでもなく祈っていた気がする。ちぎれた体は突風に煽られて散り散りになるだろう。そうしてやがて砂になるのだ。


 アユム、アユム……


 繰り返し心で叫び、きつく眼を閉じた。が、あの音が、突然、止んだ。そろそろと眼を開けると、エリにまたがるギィーは、それ以上動かなかった。


 しばらくそのままで、何が起きたのかを考えた後に、両肘を手繰るようにして這い出ると、ギィーは四つん這いで固まっていた。建物の残骸から飛び出した鋭利な骨組みが、その頭部を串刺しにしている。


 ノゾミも知らないことをぼくは発見した。長いこと怯えていたのに、意外と簡単じゃないか。


 エリは腕だけで折れた脚を引きずり、地面を這いながらニヤとわらった。それから建築物の一部を腰に差して持ち歩くようになったのだ。




 

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