第4話

 岩に寄り掛かり、眼をほそめてみた。限りなく澄み渡る水面が、澱んだ空の色を鏡のように映していることに、ようやく気づく。空と、海と、陸の区別がつかないほど、アユムの瞳が捉える世界は、何もかもが砂で覆われている。

 

 だけど……あたりまえだと思っていたけれど……この景色は、変わることなく、ここに、こうしてあったのかしら……


 空と海の境目を見据えながら、アユムは遠い記憶を手繰ろうとした。胸の奥に転がる小さな光の粒だった。でも、何もない。アユムの記憶には暗闇しかなかった。


 暗闇の中で、ざざざっ、と風が鳴った。一瞬、眼を閉じたアユムの鼻先で、さらさらと花の香りが漂う。そろそろと、てのひらで岩肌を探ると、指先をひらりと撫でられた。小指ほどの小さな花が一輪、きらりと輝き、ゆれている。アユムは、ぎゅうと、てのひらを閉じた。途端に、花の根元からぽろぽろと崩れた岩が足の甲に落ちた。思わず、握りしめていた手を開くと、花の香りが、ふわん、と湧き立った。


 一歩進んでは埋まる足をいちいち砂から抜いてやっとここまで来たのに、今摘んでしまったら、小さな花はひとりで飛んで行ってしまわないだろうか。と、アユムは風にはためくはなびらを撫でた。


 やがて辺りは闇に包まれ、ふたつの月だけがぼんやりと灯りを点した。


 昔……昔……あの月の後ろには、数限りない光の帯が、世界を包むように広がっていた気がする。いつのことかしら。誰と見たのかしら。


 退屈しのぎに思い出そうとしながら、アユムは、また歩き出した。ただ、ただ真っ直ぐに……


 嗅覚を刺激するあらゆるモノを練り込んだニオイと、波の音が近づいてきた。この先に海が存在していることを証明している。時折立ち止まり、てのひらに残る花の香りを嗅いだ。


 眉間に刃を突き立てるほどのニオイが立ち込めてくると、煙を上げながら足を呑み込んでいた砂が、じとりと湿ってきた。空が明るくなるにつれ、眼前に透明な海が広がりはじめる。海は、度々吹き抜ける砂嵐にも、小波ひとつ立てることをせず、どこまでも世界を映していた。

 

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