第五十話 ブラックス

 雷神百貨店一階の警備員室において、柚田願は、小秋に勝利宣言をした。愛咲が勝つのは、もはや確定したも同然、と判断したためだ。

「去勢手術は、今日、これからすぐに受けてもらうよ。心配せずとも、病院や医者はすでに手配してあるから」

「松久君が勝ったらの話でしょう?」

 願は、ふん、と鼻で笑った。「何言っているんだい、もう、愛咲の勝利は、決まったも同然じゃないか」

「まだわからないわよ。あなた、『北風と太陽の麻雀』の時も、そう考えていて、負けたんじゃないの?」

 うぐ、と願は呻いた。だが、すぐに、首を素早く横に振り、「いやいや」と言う。「今回ばかりは、松久の負けだ。前みたいに、イカサマのしようもない。物理的に、勝てるわけがない」

「あら、それは間違っているわ」小秋は、にこっ、と笑った。「松久君は、勝てる可能性があるわよ、物理的に」両手を机に置き、パソコンのキーボードをタイピングするような仕草をした。

 願は、眉を顰めた。「強がりも、そこまでにしときなよ」と言う。

「ま、今は、引き続き、松久君と愛咲ちゃんの戦いを見守りましょう」

 小秋はそう言って、モニターに視線を戻した。願は、「私はエレベーターホールにいるよ、勝者を出迎えるためにね」と言うと、そこへ向かった。

 到着し、南東の階数表示機を眺める。肥後の、「松久様のターンです。フロアを移動してください」という放送が聞こえた。

 数秒後、エレベーターが移動を始めた。数字が、減り始める。

 しばらくして、「5」で停まった。

(ん? ……どうして、五階なんだい?)願は首を傾げた。(八階から五階ということは、松久は、三階分しか進んでいないことになる……サイコロを振って、【3】以下の目しか出なかった、ということは考えにくい──意図的に五階に停まったんだろうが……いったい、何の目的で?)

 彼女はしばらくの間、腕を組んで考え込んだが、どうしてもわからず、やがて諦めた。案外、本当に、【3】以下の目しか出なかったのかもしれない。

 しかし、そこからが長かった。なぜか、肥後による、愛咲のターンが始まったという放送が聞こえないのだ。それが流れたのは、十五分弱経った後のことだった。

(いったい、何をしているんだい、松久のやつ──まあいい。どうせ次で、彼女は一階に到着する)

 しばらくして、北西の階数表示機の数字が、「2」になった。

(さあ──愛咲の登場だ)

 数秒後、数字が、「1」になった。

 願は再び、勝利を確信した。

 その、次の瞬間だった。

 目の前が真っ暗になった。


 何も、気絶したり、眠ったりしたわけではない。物理的に、真っ暗になったのだ。正確には、フロア中の照明が消えた。

(……はっ?)

 一瞬後、一部の照明が復活した。しかし、その明るさは弱々しかった。

(なっ、何だ今の──何だ今の?!)

 狼狽し、きょろきょろ、と辺りを見回す。ふと、先程まで動いていた、北西のエレベーターの階数表示機を眺めた。

「1」 で停まっていた。扉は開いていない。

(あっ──そうかいっ!)願は目を剥いた。(停電、したのかいっ!)

 そうに違いない。

 どうやったかはわからないが──松久は、雷神百貨店を意図的に停電させたのだ。

 そして、エレベーターを停めた。

(これかい、小秋の言っていた、「逆転の可能性」ってのは)

 昇降籠を停め、愛咲を閉じ込める。十五分が経過すれば、彼女はエレベーターの中にいながらにして「パス」をしたことになり、失格、自動的に松久の勝利となる。

(いや、待てよ……そう言えば!)

 願はロビーに行くと、鉄製の棚に差し込まれていた、雷神百貨店のパンフレットを手に取った。ぱらぱら、と捲り、「ある文章」を探す。

 やがて彼女は、それを見つけた。最後のページに、小さな字で、こう書かれていた。

「当デパートのエレベーターには、停電時自動着床装置を搭載しております。停電時には、専用バッテリーを使用し、速やかに近くの階に到着します」

(これだっ!)願はパンフレットを握り締めた。(停電時自動着床装置……こいつがあるから、パス扱いにはならない。問題は、一階と二階、どちらが「近い」と判断されるかだね……)

 一階に停まった場合は、愛咲の勝ち。二階に停まった場合は、次のターン、松久が非常用エレベーターで一階に来るから、彼の勝ち。

 願はホールに向かった。一階に停まっていてくれ、一階に停まっていてくれ、と心の中で必死に祈る。

 しばらくして、到着する。愛咲の姿は見えない。まだ、停電時自動着床装置が作動しておらず、昇降籠の中にいるだけかもしれない。そう思い、北西のエレベーターの階数表示機を見た。

「2」になっていた。


(まさかとは思いましたけれど……本当にデパートを停電させるだなんて)青足愛咲はそう心の中で呟きながら、エレベーターから降りた。(やりますね、兄さんも)二階は一階と併せて、食料品売り場となっていた。

 しかし、いったいどうやったのでしょう。彼女はそう疑問に思った。

(そう言えば……停電したのは、ここだけなのでしょうか? それとも、まさか、辺り一帯も?)

 そう考え、愛咲は近くの窓に近づいた。

 そこからは、ネオンも照明もいっさい点いていない、真っ黒な夜景が見渡された。もっとも、いっさいというのは語弊があり、ホテルや病院などは、非常用の自家発電装置のおかげか、明かりが灯っている。

(辺り一帯を停電させたんですか……しかし、どうやって──)

 愛咲は、夜景を眺め渡した。ふと、雷神百貨店のすぐ隣に目を遣る。そこは変電所になっていた。ちょうど、雲が晴れて、満月が顔を覗かせ、うっすらとだが施設の様子が見える。

 そこには、グランドピアノが落ちていた。

 ピアノはひっくり返っていて、本体を地につけ、脚を天に向けていた。何かしらの機械が複数、下敷きになっており、上部が粉々に砕かれていて、辺りに電子基板や導線などの部品が散乱していた。

(あれはたしか、五階の楽器売り場に設置してあったグランドピアノ……そうですかっ!)愛咲は、ぽん、と左掌を右拳で叩いた。(兄さんは、五階からピアノを変電所めがけて落下させ──各種装置を破壊して、停電させたんですかっ!)

 おそらく、松久は五階に到着した後、扉に何か障害物を噛ませることにより、閉まらないようにし、自分のターンを継続させた。サイコロや茶碗、カメラが置いてあるテーブルでも、使ったのかもしれない。

 そしてまず、全面ガラス張りの壁を割った。売り場に置いてある楽器を使えば、いくらでも破壊できるだろう。

 それから、グランドピアノを壁際に寄せた。かなり重たかったに違いないが、脚にはキャスターがついている、動かすのは、容易でなくとも不可能ではない。その後、愛咲のターンになった時、落下させた。

(それにしても、まさか、変電所を破壊するなんて……大掛かりで大迷惑なことをしましたね)

 このターン、松久は非常用エレベーターを使い、サイコロを振って【4】以上の目が一つでも出れば、一階へ行くつもりだろう。

 しかし。

(そうは、問屋が卸しませんよ。兄さん、あなたは、非常用エレベーターを使えない)

 なぜならば。

(私が、使えなくしましたから)

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