エレベータースゴロク 編
第四十三話 ストロークス
柚田小秋と柚田願の二人は、雷神百貨店の警備員室にいた。辺りには、黒いスーツを来た人物たちが椅子に腰かけていて、操作盤を弄っている。皆、願の部下だった。二人も手近な椅子に座り、壁に所狭しと並べられたモニター群を眺めていた。
そこには、デパートの各階の様子が映し出されていた。そのうちの一つに、青足松久の姿があった。
「松久の負けだね」願が言う。「やつの負け。知ってのとおり、この勝負は、先にゴールに至ったほうの勝ち。しかし松久は、このままじゃゴールに着くのは、勝負相手より後になる」にやり、と笑い、小秋のほうを見る。「どう考えたって、彼の敗北だ」
小秋は、彼女のほうは見ず、まだわからないわよ、と言った。「彼のことだから、何か、とんでもない一手を打ってくるかも。あなたと戦った時の、ドラ13のように」
「ふん。とんでもない一手、ねえ……そんなことより」願は右手の拳から、人差し指と中指を開いた状態で突き立てた。「わかっているよね? この勝負で、松久が負けたら、彼が、どうなるか」
「わかっているわよ」やっと、小秋は彼女のほうを見た。「去勢手術を受けさせるんでしょ」
「そのとおり」願は、人差し指と中指を、ちょきん、と閉じた。
ただいま、と言って、松久は自宅の玄関扉を開け、中に入った。小秋は、お邪魔します、と呟き、入り口をくぐった。
二人は今日、ワイニング・ファンタジーのイベントに、デートがてら参加してきたところだった。会場では、「チケット」というゲーム内アイテムを入手することができ、それにより、通常は一回二千円する「スペシャルガチャ」を無料で十回も引くことができた。
しかし、彼が昔から切望している、「ロマネ・コンティ」という擬人化美少女キャラクター──そもそも、松久がワイニング・ファンタジーを始めたのも、そいつに一目惚れしたからだった──を獲得することはできなかった。まあ、なにしろスペシャルガチャ限定で、出現確率は〇・〇〇〇〇〇一パーセントだ、そう簡単にはゲットできないとわかっているが。
松久が、願との北風と太陽の麻雀に勝ってから、二ヵ月近く経っていた。すでに車椅子も松葉杖も卒業していて、彼は運動やスポーツの類いこそ止められていたが、普通に立って歩くことができていた。
拳銃ジャンケンでもうっすら感じていたことだが、他の人よりも、体力や怪我の回復力が高いほうなのかもしれない。もっとも、さすがに左脛の真ん中から下は復活せず、義足をつけていたが。
靴を脱ぎ、廊下に上がる。「今日は、親御さん、いらっしゃらないのよね?」と小秋が言った。
「ああ、旅行でな」答えながら、リビングに向かう。「だが、家族ならいるぞ。愛咲(めさき)が」
「あら。妹ちゃんが」小秋は意地悪そうに、くく、と笑った。「それじゃあ、夜は、声、抑えないといけないわね。それとも、聞かせてあげましょうか」
「愛咲の部屋は、ピアノがあるせいで防音仕様だ。心配しなくても聞こえねえさ」そう言いながら、松久はリビングの扉を開いた。
ソファーに、青足愛咲が座っていて、テレビを見ていた。前髪や横髪は短いが、後ろ髪を長くて太い一本の三つ編みにし、右肩を通して、臍近くまで垂らしている。胸は真っ平で、身長は彼より低く、小秋より高かった。
「あら」愛咲はこちらに気づくと、顔を向けた。「兄さんに、小秋さん。どうしたんですか」
「今日、小秋が泊まることになった」
「そうですか。では、夕食、母さんが作り置きしてくれた分では足りませんね。何か買いに行きましょうか」
「出前でも取るさ」彼はキッチンに向かうと、冷蔵庫から麦茶の入ったペットボトルを取った。
わかりました、と彼女は言い、テレビに顔を向けた。松久もつられて、画面を見る。ワイドショーで、どこかの室内温水プールにて、ビキニの女性にインタビューをしていた。
愛咲は舌打ちすると、リモコンを手に取り、チャンネルを変えた。彼は思わず、ええ、と呟いた。「お前が性的なものを苦手としていることは知っていたが、ビキニでも駄目なのか」コップを持ち、ダイニングのテーブルにつく。
「そのとおりです。あんな衣装……視界に入れているだけで、吐き気がします」
「それじゃあ、海とか、プールとか、行けないんじゃないの」小秋がテーブルについてそう言った。
「そんなところ、こちらから願い下げですよ。まあ、水泳の授業は、仕方ありませんが……」
「温泉とかどうすんだ。全員、裸だろ」
「あれは、単に、体を洗うための場所ですから、別に、大丈夫ですよ」
「そういうものなのかしら?」
「そういうものなのです」
先程から愛咲は、むすっ、とした顔でテレビを視聴していた。見ている、というよりは、睨みつけている、という印象を受ける。よほど、ビキニが気分を害したのだろうか。
「……しゃあねえなあ」
松久は、ぼりぼり、と頭を掻くと、ソファーに向かった。愛咲の隣に座ると、彼女の頭を、わしわし、と撫で回す。
「ほら。これで機嫌直せ」
愛咲は、むう、と低く唸ると、自分の頭を軽く撫で、「わかりましたよ」と言った。「もう、大丈夫ですから」にこっ、と笑った。
「そりゃよかった」
ふと、視線を感じた。テーブルのほうに目を遣ると、小秋が、微笑ましいものを見るような表情──目以外──で、こちらに顔を向けていた。
「……どうした?」
「私も」小秋は自分の頭を指さした。「私も撫でなさいな」
別にいいけど。松久はそう答えると、彼女に近づき、頭をさすった。
二週間後の、十二月二十四日土曜日、午後七時。
松久と小秋は、雷神百貨店の最上階にあたる三十階の、展望レストランにいた。このデパートはまだ、オープン前で、二人以外は従業員しかいない。願の経営するユズタ・ピクチャーズが、この百貨店に大幅出資していたため、特別に入れてもらい、料理を作ってもらうことができたのだ。
松久は、灰色のシャツに黒いジャケット、濃紺のスラックスを身に着けていた。いっぽう小秋は、白い長袖ブラウスに薄い水色のミニスカートという出で立ちだった。心なしか、上も下も、下着が透けているような気がする。右手には、ピンク色の綿製の手袋を嵌めていた。
夕食は午後八時二十分に終了した。エレベーターホールに移動し、昇降籠に乗り込む。松久は、左手をポケットに突っ込んで、右腕を垂らし、小秋は、その右腕を己の両腕でかき抱いて、額をくっつけていた。
「ねえ」
「何だ」
「この後、私の家に泊まりなさいな」
「……あんまりセックスはできねえぞ。明日はワイニング・ファンタジーのイベントが朝早くから市の電気街であるんだ、体力を残しておく必要がある」
「思春期の男子にあるまじき発言よ、それ」
しばらくして、一階に到着する。扉が開いたので、ホールに出た。そのまま、食料品売り場を通り過ぎ、正面玄関の前に抜ける。
そこには、願が立っていた。「やあ。待っていたよ」彼女は、いつものように髪を腰までのポニーテールにし、黒い礼服に身を包んでいた。
「姉さん」小秋が松久の腕から額を離し、驚いた声で言った。「どうしたの。こんなところで」
「君たちに用があってね。食事が終わるまで待っていたのさ」
「用って、何の用だ?」
「正確には、用があるのは、私じゃないんだけど。ほら」
正面玄関近くには、雷神百貨店のパンフレットが挿し込まれた鉄製の棚と、横に長い木製のベンチがある。願は、そこに座っている人物に呼びかけた。そいつは、立ち上がると、彼女の隣に移動し、松久たちのほうを向いた。
「……愛咲? 愛咲じゃねえか」彼は怪訝そうな顔をした。「お前、どうしてこんなところに……用って?」
愛咲は、しかめっ面をしていた。眉を寄せ、松久を睨みつけている。明らかに、機嫌が悪そうだ。灰色の長袖コートと、ベージュのロングスカートを身に着けている。
「兄さん」彼女は低い声で言った。「去勢手術を受ける気はありませんか?」
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