第四十一話 インクリージイズ

 願は、並べた手牌を眺めた。【白】【白】【白】【中】【中】【南】【南】【西】【西】【北】【北】【北】【北】。普通の麻雀なら、字一色や四暗刻が狙える配牌だ。

(くくく……まさか、最後の最後で、こんな手が入るとはねえ)彼女はにやり、と笑った。(あたいが【白】を三枚確保しているから、青足には絶対に、「白」の役は入らない……それどころか、【オールマイティ牌】を使えば、速攻でカンできる)【白】を撫でる。(一巡目、私のターンで、勝つ)

 願は松久の手牌を見た。【二萬】【三萬】【七萬】【一索】【二索】【九索】【三筒】【四筒】【九筒】【一筒】【一筒】【一筒】【一筒】。ものの見事にばらばらだ。

「おいおい、何やっているんだ」松久が言う。「早くドラを捲ってくれ」

 はいはい、と言って、願はその牌をひっくり返した。【南】だ。

(ドラは【西】……あたいはドラ2か)彼女はその下のカンドラ表示牌に目を遣った。(カンドラ表示牌は【中】、よってカンドラは【白】……おやおや、ドラ3、あわせるとドラ5かい)

 願は次に、ヤマのうち、一巡目で松久が入手する牌に視線を向けた。【東】だ。まあ、なんにせよ、何を取得したって、彼はカンできないが。

「さあ、そっちこそ何しているんだい?」両手を広げる。「早くツモっておくれよ」

 彼女がそう言うと、松久は顔を自分の腹に向け、ゆっくりと臍の当たりを撫でた。頭を挙げ、願のほうを見る。

「腹がいてえ。トレイに行く……いいだろう?」

「……早く済ませてきな」

「あんがとよ。いちおう、こいつは持って行かせてもらおう」松久は手牌十三枚をポケットに入れた。「覗き見防止のためにな」

「覗かないよ」

 願がそう言うと、松久は、車椅子を押す小秋とともに、トイレへと向かった。


「待たせてすまんな」

 約三十分後に、松久は帰ってきた。雀卓の前まで来て、牌を十三枚、窪みに並べる。

 ARでは、きちんと【二萬】【三萬】【七萬】【一索】【二索】【九索】【三筒】【四筒】【九筒】【一筒】【一筒】【一筒】【一筒】が表示されていた。すり替えたわけではなさそうだ。

「じゃあ、ツモるぜ」

「どうぞどうぞ」

 松久は牌をツモった。そして、次の瞬間、信じられないことを言った。

「カン」

「はっ?」願は口を半開きにした。「カン?」

「そう……」松久は手牌をすべて倒した。「カンだ」

 願は絶句した。

 松久の手牌は、こうだった。

【東】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】【西】。

「ドラ13。13P獲得」彼は、にやり、と笑った。「逆転だな」


 願は、しばらくの間、ぽかん、として、松久の手牌を眺めていた。数秒後、はっ、と我に返り、「いや、いやいやいやいや」と言う。「駄目だ。駄目だろう、これ」

「駄目って……何が?」

「何がじゃないよ、これ」願は彼の手牌を指差した。「【西】が十三枚?! あり得ない! すり替えたんだろう?! さっき、トイレで!」

「おいおいおいおい」松久は、狼狽する彼女を鼻で笑った。「すり替えてなんかいないさ。手牌を並べてみたら、なんと、【西】が十三枚もあったんだ。それだけの話さ」

「つっ、通用すると思ってんのかいっ」願は雀卓に左手をつき、右手で彼の胸倉を掴んだ。「そっ、そんな幼稚な言い訳、通用すると──」

「第一、あんた、言っただろうっ!」

 松久はそう叫んだ。その迫力に気圧され、びくっ、と願の体が震える。彼は静かに、「あんた、言っただろう、『この雀卓のシステムに不正として検知されなければ、なんでもあり』って」と言った。

「そうだ、システムだ! なぜアラームが鳴らない?!」

 願は再び、松久の手牌に目を遣った。ARの表示と実際の牌が一致しているのは【東】のみで、後は、【西】の横に「【二萬】」「【四筒】」といった吹き出しが浮かんでいる。

 彼女は、吹き出しが「【一索】」の【西】を、手を置く窪みに押しつけた。

 何の反応もない。

 ぐりぐりぐり、と擦りつけてみた。やはり、何の反応もない。

(い……いったい、どういうことなんだい?!)

【西】を掴んだまま、固まる。そのうち、妙なことに気づいた。

 触感が違うのだ。自分の手牌の【北】を左手で握り、触り比べてみる。願の牌はつるつるしているのに対し、松久の牌は、ほんのわずかだが、ざらついている。

(なぜだ……なぜ、触感に差がある?)

 願は【北】を捨て、松久の【西】の六面すべてを両手で撫で回した。強く握り締めてみたり、前後に引っ張ってみたりする。

 ぱちん、と音がして、牌は二つに分かれた。

 あんぐり、と口を開け、分裂した【西】の半身、それぞれの内側を見比べた。

 四角い空洞が、二つあった。片方には、雀卓が牌を取り扱うための磁石が埋め込まれており、もう片方には、システムが牌の位置や種類を判別するための機械が入っていた。

(なっ、なんだこれ──なんだいこれ?!)願の開いた口は、未だに塞がらなかった。(割れただって?! そんな、そんな──)

 彼女は自分の手牌から【白】を取った。前後に引っ張っても分かれない。

(そうだ──これが正しいんだ)願は【西】を見つめた。(ということは、これは……偽物?! 青足が複製した、偽物かっ?!)

 しかし、そんなもの、どうやって作ったというのか。

 願は、【西】を隅々まで眺めた。字体、字や背の色、ユズタ・ピクチャーズのロゴ。見た目は完璧に、本物と同じだ。

(牌は、ゲームルーム外に持ち出そうとすると、アラームが鳴るようになっている……それなのにどうやって、複製したって言うんだい?)

 例え、窓から出そうとしても、反応するはずなのに。願はそう心の中で呟いて、窓を見た。

 ガラスの向こうの景色に、雷神百貨店が見えた。

 その屋上には、3Dプリンターの広告看板が取り付けられていた。


 願の体に、衝撃が走った。「ああっ──あれかいっ!」と叫ぶ。視界の端で、松久が、にやり、と笑った気がした。

(間違いない──青足は、あれを使って、複製したんだっ!)ぎりり、と歯を食い縛る。(ゲームルームに機械一式を持ち込んで、牌をスキャンし、コピーする……3Dプリンター専用のプラスチックで作ったから、触感が微妙に違ったんだ……)

 いや、待てよ。それには、大きな問題がある。

(青足は……いつ、牌を複製したんだい? あいつは、先週の土曜日にトイレの窓から飛び降りてから、ずっと病院にいた……そんな作業をしている暇なんて──)

 いや、違う。

(どうして、青足一人で牌を複製した、なんて決めつける? やつには、協力者がいるじゃないか……)

 小秋だ。

 彼女が複製したのだ。

(小秋は、青足が落下した翌日、丸一日ゲームルームに閉じこもった……きっと、その時、すべての牌をスキャンしたんだろうね。そしてその翌日、自分の部屋に閉じこもった時に、手に入れたデータを基に、3Dプリンターを使って、製造した)

 松久がトイレから飛び降りた真の理由は、自殺ではなく、彼女が牌を複製する時間を稼ぐためだ。きっと、願と同じように、窓から「雷神百貨店」の、3Dプリンターの広告看板を見つけ、そのアイデアを思いついたんだろう。

(小秋は、青足が飛び降りた直後、スマートホンを見ていた……きっと、やつが彼女に、「自分が入院している間に、牌を3Dプリンターで複製してほしい」と、メールか何かで連絡したんだろうね)

 しかし。

(いくら、時間を稼ぐためだからって……窓から飛び降りるかい? 地面はコンクリート……下手をすれば、死んでいたんだよ。実際、青足は、左脛の真ん中から下を失ってしまった……)

 だが、それ以外に、時間を稼ぐ方法がなかったのも事実だ。勝負を先送りにするには、大怪我をしなければならず、大怪我をするには、窓から飛び降りなければならなかった。

(なんてやつだ)

 松久は【東】をツモる前、手牌十三枚を持ったまま、トイレに行った。おそらくはその時に、携帯電話か何かで、ゲームルーム近くの部屋で待機していた協力者に連絡をとったんだろう。そしてそいつは、ドラである偽【西】を十三枚持って、便所の窓の横に移動し、彼に渡した。

(本物のほうは、ハンマーか何かで砕き、中の機械を取り出して、偽物に入れたんだ。材質は違うけれども、見た目は完全に、本物と同じ。機械も、ちゃんと動作している。雀卓のシステムは、材質の違いまでは検知できない……。

 これで、イカサマとして判断されない、偽物の【西】十三枚の出来上がり、というわけだ)

 願はたしかに言った。「雀卓のシステムが不正として検知しない限り、何でもあり」という旨のことを。

「……わかったよ」彼女はため息を吐いた。「わかった。認めよう、その【西】十三枚を」

「それじゃあ──」

「これで六回戦終了。あたいの獲得ポイントは12P、あんたは13P」願は松久を見つめた。「あんたの勝ちだ。認めよう、あんたが小秋と、恋人として付き合うことを」

 松久は、よっしゃあっ、と叫び、両手でガッツポーズをした。車椅子の後ろから、小秋が、やったわね、と言いながら、抱き着く。

 いでででで、と彼は悲鳴を上げた。

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