第三十九話 チーツ

(なんてことだ)

 松久は震える目で、己の手牌を見つめた。

 四回戦終了後、彼は絶望した。残り二回戦で、9P以上獲得しなければならない。できることといえば、配牌時にいい手が来るよう、祈ることくらいだった。

(勝利の女神というやつは、祈りに、応えかけてくれたみてえだ)

 最初ヤマから取った二トンは、何てことのない牌だった。【九萬】【九索】【四筒】【七筒】。しかし、その後に取った二トンが問題だった。こちらは、【三索】【五筒】【南】【南】。なんと、【南】が対子で含まれていたのだ。

(それだけじゃない)

 松久は、ドラ表示牌に目を遣った。それは、【東】だった。

(【南】がドラ……ドラ対子……!)

【一筒】の存在を考えれば、ドラ暗刻だ。つまり、この手でカンすれば、「南」ドラ3で、5Pは確実に獲得できる。

(残りの【一筒】をカンドラ扱いにすれば、6P……カンドラも【南】だったなら、8Pだ)

 一気に、逆転まで詰め寄れる。

 松久は深呼吸した。何としても、勝つ必要がある。

 一巡目、彼は【三索】を捨てた。願は【六筒】。お互い、ポンはしなかった。

 二巡目、松久は【東】をツモった。決してドラにならない牌だ。迷わず切る。

「ポン!」

 願はそう言い、手牌にある【東】と【北】を晒すと、捨て牌の【東】を取り、それらで刻子を作った。松久は思わず、えっ、と呟いた。

(【東】でポンだと……? どうして一巡目で捨てなかったんだ? ドラにならない牌など、重要度は低いだろうに)

 松久はしばしの間、考え込んだ。しかし、どうあっても答えは出なかった。頭を切り替え、ツモろうとしてヤマに手を伸ばす。

 どうも、疲れていたらしい。ヤマの一段目に置かれた牌を手に取った瞬間、隣にあった二段目の牌に指がぶつかり、ひっくり返してしまった。

【南】だった。

(んなっ……?!)松久は目を瞠った。(なんてこった……! 願さえポンしなければ、こいつをツモって、「南」ドラ5で7Pは確実に獲得できたってのに……!)

 松久は二巡目で【東】を捨てたことを激しく後悔した。しかし、もはやどうしようもない。大人しく、手に取った牌を見ると、それは【一萬】だった。ツモ切りする。願は鳴かずに、【二索】をツモ切りした。

 四巡目、彼は【二筒】をツモった。これも、絶対にドラにならない牌だ。一瞬、先程の【東】の件が頭を過ったが、しかし、重要度が低いのは事実なんだから、と思い直し、捨てる。

「チー!」

 またもや、願が鳴いた。彼女は、手牌の【三筒】と【北】を晒すと、捨て牌の【二筒】を取り、それらを雀卓の隅に寄せた。「この【北】は、【一筒】として扱うよ」と言った後、【五萬】を切る。

(チー?! チーだと……?! なんで──なんで、チーなんかするんだ?!)

 ポンなら、まだ理解できる。そうでなくても、【二筒】がドラで、ポイントを確保するためのチーだと言うなら、それも理解できる。しかし、今の願の鳴きは、そのどれでもない。

(まったく、わけがわからねえ……何か、意味があるのか? 俺には思いつかねえが……)

 五巡目は何事もなく、松久はツモ切りの【二萬】、願は手出しの【三萬】で過ぎた。しかし六巡目、松久のツモ切りした【五索】を、願が【北】を使ってポンした。

 彼女はその後、【北】を切った。間髪入れずに、「こいつは、【北】として扱うよ」と言う。

(【オールマイティ牌】を、防御に使ってきたか……手牌が対子だらけで、他に切る牌がないってことなのか?)

 そんなことを考えながら、七巡目、松久は【四筒】をツモった。

(やった! これで対子ができた! 勝ちに一歩近づいたぞ……)

【四筒】を手牌にしまい込み、代わりに【九萬】を切る。鳴くことなく、願はツモった。

「カン!」

 彼女はそう叫んだ。松久は思わず、えっ、と呟いた。

 願はツモった牌を晒した。【東】。文句なく、四枚揃っていた。

(ちくしょうっ! 先を越されたっ!)松久は思わず、己の右腿を強く殴った。(せっかくの、逆転に詰め寄るチャンスが……!)

「それじゃあ、カンドラを捲るよ」

 願はそう言い、カンドラ表示牌をひっくり返した。

【東】だった。

 松久は口をあんぐりと開けた。カンドラは【南】。もし、自分がこの五回戦で勝っていれば、8Pを稼げていた。

 願は、ふふっ、と笑った。「こりゃあ……運がいいねえ」

 松久は怪訝そうな顔で彼女を見た。願は残りの手牌すべてを晒した。

【南】【南】【九索】【五筒】だった。

「な……【南】が二枚だとっ?!」松久は大声を出した。

「【南】はダブドラだから、これで4P獲得だ」願は満足そうに言った。「もう、あたいの勝ちは、確定したようなもんさ」


 五回戦終了


 青足松久  0P

 柚田願  12P


「イカサマだ」松久は低く呟いた。「イカサマに違いねえ」

 彼は今、ゲームルームから伸びる通路奥に設置されているトイレのうち、男子用便所の、個室の中にいた。洋式便器やタンク、トイレットペーパー、外を遠望できる窓などがある。

 松久は便器の前に立ち、腕を組み、壁を睨みつけていた。(どう考えたって、五回戦での願のプレイはおかしい……第一に、【東】をポンしたこと)

 本来なら一巡目で捨てるべき【東】を、手牌に残しておいたことにより、鳴けた。さらには、それによりツモ番が変わり、松久が【南】を取得できなくなった。

(第二に、あいつが五巡目で【南】をツモったこと)

 松久は、願がツモり、牌を手に収める様子を、じいっ、と観察していた。彼女が五巡目でツモった牌の位置にあるのは、【南】だった。

(こいつは、四巡目でのチーがなけりゃあ、俺が取得していたはずだ……またもや、鳴きでツモ番を変えられた。それも、入手してもまったく意味のない【二筒】チーで。

 第三に、願が六巡目で、【オールマイティ牌】を切ったこと)

 五回戦終了後に彼女が晒した手から推測するに、六巡目で【五索】をポンした後の残り手牌は、【南】【南】【九索】【五筒】【北】だった。

 なぜ、【九索】でも【五筒】でもなく、【北】を切ったのか?

(決まっている……【九索】や【五筒】を捨てると、俺に鳴かれ、ツモ番を変えられるからだ……ツモ番を変えられたら、七巡目で願は【六索】をツモれず、カンできなかった)

 いくら何でも、運が良すぎる。鳴くたびに松久のカンを阻止し、自分のカンに至るために松久にポンされるのを食い止めるなんて。

(以上のことから、導き出されるのは、一つ)

 松久はため息を吐いた。

(願には、牌が見えている──「どの牌がどこにあるか」が、わかっている)

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