第三十五話 エンターズ

「どういうことだよ、小秋」彼女の部屋で、松久は抗議の声を上げた。「聞いてねえぞ、俺と願が勝負するなんて」

 食事室と同じように、豪勢な部屋だった。天蓋つきのベッドや高級そうなオーディオ機器、凝ったデザインの勉強机などがある。彼らは、革張りのソファーに、並んで腰かけていた。彼女によると、この椅子だけでも、一般サラリーマンの生涯賃金の三倍はするらしい。

「ああでも言わないと、姉さんは私たちが付き合うことを認めてはくれないわ。私に似て頑固だし、目的のためには手段を選ばない節があるから」

 嫌なところが似たなあ。松久はそう思ったが、もちろん口には出さなかった。

「言うまでもないことだけれど」小秋は、じろ、と彼を睨んだ。「勝ちなさいよね、絶対に。もし、私と別れたくて、わざと負けたりしたら、姉さんに──」

「おれに乱暴された、とでも言うんだろ。わかってる。わかってるって」松久はため息を吐いた。「それにしても、どんなギャンブルを提案するつもりなんだろう、願のやつは」

「さあねえ……姉さんの好きなギャンブルは、花札、クラップス、ブラックジャックとかだけれど……」

 数分後、肥後がやってきて、勝負の準備が整ったので来てほしい、と言われた。二人は彼女の後をついて、進んでいった。

 しばらくすると、「ゲームルーム」と書かれた札が扉の上に取りつけられている部屋に到着した。中に入る。

 食事室と同じような内装・広さの部屋だった。入り口と反対側の壁からは、一筋の通路が伸びている。脇の看板からして、先にはおそらくトイレがあるのだろう。

 部屋の真ん中には、ぽつん、と雀卓が置いてあった。その向こうには、願が座っていた。

「普段は、バカラ台とかルーレット台とか、もっといろんなものが置いてあるんだけど」彼女が言う。「今回は、使うやつだけ残して、あとは片づけさせたよ」

「麻雀か……ルールは知っているけどなあ……」松久はそうぼやきながら、雀卓の、願の向かい側についた。

 以前、根守野亜出奈にギャンブルに誘われた時、付け焼刃で覚えたものだ。実際に、ネット麻雀も何回かやってみた。しかし、お世辞にも強いとは言えない。

「心配しなくても、大丈夫さ」願は、にやり、と笑った。「今からやるのは、普通の麻雀じゃない……『北風と太陽の麻雀』だ」

「北風と太陽の麻雀?」松久は眉を顰めた。「なんだ、そりゃあ?」

「『北風と太陽』というイソップ寓話は知っているだろう? 北風と太陽が、旅人の服を脱がせる勝負をするという……この麻雀は、それを、端的に再現したものさ」

「再現って……」松久は首を傾げた。「どういう風に?」

「まあ、一言で言えば、『カン競争』だね」

「『カン競争』? それって、つまり……先にカンをしたほうが勝ち、ってことか?」

「そう。役も、面子も、雀頭も必要ない。暗カンでも、明カンでも、加カンでもいいから──とにかく、相手より先にカンをしたほうの勝ち。カンをすると、カンドラ表示牌を捲るだろう? いわばそれを、『服を脱がせる』という行為に例えているんだ」

「なるほどな」

「ただ──三つ、特殊なルールがある」願は右手の拳から、人差し指と中指と薬指を突き出した。

「特殊なルール……だと?」

「そう」願は頷いた。「まず、一つ目。【オールマイティ牌】の存在だ」中指と薬指を閉じた。

「【オールマイティ牌】?」

「ああ。この麻雀は、『北風陣営』と『太陽陣営』の二つに分かれて行うんだけど……『北風陣営』は【北】を、『太陽陣営』は【一筒】を、それぞれ【オールマイティ牌】、つまり、任意の牌として任意のタイミングで使える」

「ふうん……」

 松久は雀卓に目を遣った。牌の青い背には、ユズタ・ピクチャーズのロゴが彫られている。

「ただし、【オールマイティ牌】はすべて、別種の牌として扱わなければならないんだ。例えば、【北】二枚を、ともに【九萬】として使う、なんてことはできないのさ。一枚を【九萬】として使ったら、残り三枚は、【九萬】以外の牌として使わなければならない」

「【オールマイティ牌】は、最初から手元に持っておくことができるのか? それとも、すべて完全にツモ頼みなのか?」

「前者だね。四枚とも、最初から持っておくことが可能だ。つまり、配牌時の手は、【オールマイティ牌】四枚と、それ以外の牌九枚、になる」

「そうか……」松久はしばらく沈黙してから、言った。「二つ目の特殊ルールは?」

「【ポイント】だ」願は右手の中指を拳から突き出した。

「【ポイント】?」

「【ポイント】ってのは、カンした時に、手の役や牌の種類なんかで貰えるものでね……北風と太陽の麻雀では、この【ポイント】をお互い、競うことになる。青足君の【ポイント】があたいの【ポイント】を上回れば、青足君の勝ち、あたいの【ポイント】以下なら、あたいの勝ちだ」

「同点なら、引き分けじゃないのか?」

「いいや──あたいの勝ちだね。ま、このくらいのハンデ、ひっくり返してくれないと、小秋の恋人として認めるわけにはいかないね」

「……わかったよ……」松久は溜め息を吐いた。「【ポイント】ってのは、通常の麻雀みたいに、最初にお互いいくらか持っていて、それを奪い合う、っていう風にするのか?」

「いや、違う。【ポイント】はあくまで、入手するだけだ。失ったり、失わせたりすることはない。最初は、0ポイントからスタートだ」

「ふうん……で? 【ポイント】は、どういう風につくんだ?」

「まず、ドラだね。ドラとカンドラ。これらに相当する牌が手の中にあれば、1P(ポイント)。

 次に、役だ。さっき、『役も、面子も、雀頭も必要ない』って言ったけど、勝利するのに必要ないだけで、一応、役は、あることはある。

 まあ、そう、複雑なもんじゃないよ。まず、『白』『發』『中』。これは、そのまんまだね、【白】を三つ以上、【發】を三つ以上、【中】を三つ以上揃えれば、それぞれ、1P付加される。

 次に、『門風牌』と『荘風牌』。【東】【南】【西】【北】のうち、『門風牌』『荘風牌』にあたる牌を三つ以上揃えれば、それぞれ、1ポイント付加される。

 でもまあ、基本的にはこの麻雀、場風は南で統一しているから。【東】【西】は、三つ揃えても何もないし、【北】は三つ揃えられないけれど、【南】は三つ揃えれば、南家は2P付加、それ以外は1P付加、と覚えておくといい。

 あ、そうそう。今、風の話題が出たから、ついでに言うとだね、自風は、お互い、南家と北家とする。前回の勝負に勝ったほうが北家、負けたほうが南家だ。なにせ、南家は「南」という役で2P稼げる分、少しだけ有利だからね。まあ、一回戦目は……そうだね」願は、にやり、と笑った。「あたいに南家を譲ってもらおうか。少しでも勝負を有利に進めたいからね」

「……どうぞ」

「親だとか子だとかも、存在しないよ。南家であれ北家であれ、入手できるポイントは同じ。親だから一・五倍、なんてことはない。配牌やツモは、通常の麻雀と同じように、南家からやってもらうよ。

 でもって、三つめは」願は右手の薬指を拳から突き出した。「明カンについて、だ。

 普通、明カンってやつは、暗刻でしか成立しない。ポンで作った刻子に、さらに相手の捨て牌を加えてカン、っていうことはできない。

 でもこの、北風と太陽の麻雀では、明刻で明カンをしてもOKだ。なに、大した理由じゃない、こっちのほうが面白いんだよ……なにせ、相手が晒している刻子と同じ牌をツモっちまった場合は、もうそいつは切れないからね。

 特殊ルールについては、こんなところさ。あと、通常の麻雀と違うところと言えば……鳴き、かね。対面の捨て牌で、ポンやチーをすることが認められている。まあ、チーなんて、せいぜい、相手の切ったドラを手中に確保するくらいにしか使われないだろうけどね。

 後は……そうそう、王牌だ。普通は七トンだけど、この麻雀では、ドラ表示牌とカンドラ表示牌さえあればいいから、一トンしかない。

 それと、これは不正を防ぐための当然の処置だけど、牌を室外に持ち出すことはできないからね。牌が部屋の入り口や窓をくぐろうとすると、中に埋め込まれている機械が反応して、アラームが鳴る仕組みになっている。トイレに行く際、覗かれないよう手牌を持っていきたい、というようなことがあれば、この」願は背後にある通路を指さした。「ゲームルームの中にある便所に行ってもらわないといけない」

「なるほど」

「勝負は、全部で六回戦。すべて終わったところで、合計ポイントを比べることになる。シンキングタイムは一巡につき五分。

 もう、今日で六回戦とも、やってしまおう。先送りは、よっぽどの事情がない限り、認めないからね」

「わかったよ。俺だって、今日中にケリをつけたいと思っている」

「そうそう、さっき、『不正を防ぐための処置』って言ったけど、他にもイカサマを牽制する策は講じているんだ。それが、この雀卓さ」

「雀卓う?」

「この雀卓は特注でね。まず、洗牌時に牌を3Dスキャン・撮影・分析して、ガンのための傷や汚れがついていないかどうかをチェックする。さらに、卓上に出てきた後は、中に埋め込まれている機械によって、『どの牌がどこにあるか』を逐一チェックしている。もし、ガンや、牌の不自然な移動が見つかった場合は、アラームが鳴るようになっているよ。

 北風と太陽の麻雀における不正は、すべてこのシステムでチェックするものとする。言い換えれば、それさえ免れれば、何でもありということになる。

 雀卓の上に、窪みがあるだろう? 手牌はそこに置いてくれ。検査のためだから」

 松久は雀卓を見た。牌がちょうど十四枚、横に並べて立てられるような、三ミリ程度の深さの窪みがある。

「ルール説明は、以上かな。何か質問は?」

 松久は腕を組み、考え込んだ。そう言えば、以前、小秋が旅富三藤と戦った時、訊いていたことがあるな、と心の中で呟く。

「どうして、こんなルールにするんだ? 別に普通の麻雀でもいいんじゃないのか?」

「普通の麻雀となると、プレイヤーが四人必要だ。当然、そっちは小秋が入るだろう」願はため息を吐いた。「小秋は、こと博打においては強いからね。こちらが苦戦するのは目に見えている。

 でも、北風と太陽の麻雀なら、ほら、二人で戦えるから、彼女を加える必要もない。君だって、麻雀は初心者なんだろう? このギャンブルは、ただのカン競争だから、ビギナーにだって優しいさ」

 その物言いに、松久はわずかに、謎の違和感を覚えた。しかし、正体もわからぬまま、忘却の彼方に置き去られる。

「さて、北風と太陽の麻雀を選んだ理由は、これくらいかな。何か他に質問は?」

「……いや、ねえ」

「よろしい」願は、にこっ、と笑った。「じゃあ、始めようか」

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