第三十四話 イーツ
柚田家からは、その日中に電話が来た。かけてきたのは肥後で、十月十五日の午後七時から、当宅で行われる夕食会に参加してほしい、とのことだった。どうせ断れるとも思わなかったので、松久は承諾した。
二日後の午後六時、家の前に黒塗りで細長いリムジンがやってきた。平々凡々な住宅街に、いかにも金持ち然とした高級車が停まるのは、まったく似合っておらず、かなり人目を引いた。
松久は逃げ込むようにしてそれに乗った。ラフな衣装で行くのもどうかと思い、高校の制服を着ている。
柚田家の屋敷には、三十分ほどで到着した。彼は客室に通され、午後六時五十分になったら肥後が呼びにくる、と言われた。それまでの間、ひたすら「ワイニング・ファンタジー」をプレイし、暇を潰した。
伝えられたとおり、ちょうど五十分に肥後は来た。それから屋敷の中を、彼女について歩き、五分強かけて「家族用食事室」に辿り着いた。
名前から察するに食事のためだけの部屋であるくせに、室内は豪勢だった。天井には巨大なシャンデリアが複数取り付けられており、壁には美術の教科書で見たことのある絵画が架けられている。床には毛足の長い深紅の絨毯が敷かれており、クラシック音楽がBGMとしてうっすら流されていた。入り口の脇の台には高そうな壺が置かれており、そこに差された美しい花から、いい香りが漂っていた。
テーブルは一辺が三メートルほどの正方形をしていた。白いテーブルクロスが引かれており、アンティークな椅子が三脚──北の辺に一脚、南の辺に二脚、という風に置かれていた。
それらのうちの、南東にある席の前に、「青足 松久 様」と書かれたネームプレートが置いてあった。彼はそこに座った。
しばらくして、小秋がやってきて、南西の椅子に腰かけた。彼女も、高校の制服を着ていた。右手には白い綿製の手袋を嵌めている。家族である実姉に会うわけだから、私服ではいけないのだろうか。
数分後、がちゃり、と音がして、食事室の扉が開かれた。二人は、部屋の西側にある入り口に目を向けた。
願が、そこにいた。顔立ちはそこら辺の男性よりもきりっとしており、腰まで伸ばした黒髪をポニーテールに纏めている。黒い礼服に身を包んでいた。身長は松久より高く、胸は完全な平坦だ。
彼女は北の席に座った。その後、「あんたが、小秋の恋人かい?」と、彼のほうを見て尋ねた。
「は、はい」松久は立ち上がった。「そうです。妹さんとお付き合いしております、青足松久と申します。よろしくお願いします」ぺこり、と頭を下げ、上げた。
「ふうん」願はじろじろと彼を眺めてから、言った。「まあ、座りなよ。あたいは、小秋の姉の、柚田願さ。よろしく頼むよ。……さてと、まずはご飯、食べようか」
彼女はそう言って、机の上にあったベルを鳴らした。すると、部屋の扉が中にいた使用人により開かれ、メイドたちが、銀の丸いフタや緑色の瓶、各種食器を載せた台車を押しながら現れた。
その後、特にトラブルもなく、食事会は進行していった。トラブルどころか、三人とも、言葉の一つも発さない。黙々と、出された食べ物や飲み物を口に運んでいた。料理自体は絶品であり、味蕾がフル活動していた。
(まあ、そりゃそうだろう)松久は心の中で呟いた。(何しろ、今日のメインテーマは、十中八九、俺と小秋の恋人関係についての話だ。それが控えているというのに、談笑など、できるわけがない)
しばらくして、食事が終わった。願が、「ところで、小秋と青足君の恋人関係のことなんだけど」と言ったのは、食器がすべて片づけられた後だった。
「認めるわけにはいかないね。小秋には、許婚がいるんだ。それを蔑ろにはできない。お二人には、別れてもらう必要がある」
「嫌よ」そう彼女が言った。「別れないわ。松久君とは」
願は彼のほうを見た。「あんたも同じ気持ちかい?」
「まあ、そうです」松久は渋々そう言い、嫌々頷いた。
「じゃあ、こうしよう」願は身を乗り出した。「君たちが別れてくれるなら、君たちの望みを、我が企業の力をもってして、叶えてあげよう。大金でも、物欲でも、進学でも、就職でも。何でもだ」
「願いはただ一つ。私と松久君が付き合うことを、認めてくれることだけよ」
そう小秋が言った。松久は、いや、俺は別れたいけどなあ、と心の中で呟いた。
願は、椅子の背に凭れかかり、ふうう、とため息を吐いた。「参ったね」と呟く。「どうしても駄目かい?」
「もちろんよ」
「じゃあ──」願は半目になった。これだけはしたくなかったんだけどね、と言う。「無理矢理にでも、君たちを別れさせないといけない。君たちの大切なものを人質にとるなり、君たちに暴力を振るうなり、君たちに借金を負わせるなりして」
「そんなことをするなら」小秋も半目になった。「私たちは、駆け落ちするわ」
願は、面白そうに、ふふっ、と笑った。「我が企業の捜索から、逃れられるとでも?」
「ええ。私だって、それなりに準備しているのよ。──でも」小秋は、ゆらゆら、と首を横に振った。「できれば駆け落ちなんて、したくないわね。今の、贅沢な生活が、なくなってしまう」
「よくわかっているじゃないか」願は怪訝そうな顔をした。「でも、あんたはあんたで、別れる気なんて、ないんだろ?」
「ええ。さらさらないわよ。──そこで、こんなのはどうかしら?」小秋は松久と願の顔を交互に見比べた。「姉さんと松久君が、勝負をする。姉さんが勝てば私たちは別れ、松久君が勝てば姉さんは私たちが付き合うことを認める、っていうのは」
彼は小秋の顔を見た。事前に知らされていない展開だ。
願はしばらくの間、考え込んだ。数分後、「そりゃあいいね」と言う。「でも、本当に、別れてくれるんだろうね? あたいが勝ったら」
「ええ」小秋は頷いた。「ギャンブラーとして、嘘は吐かないわ」
提婆明光と俺が戦った時は、約束を破ろうとした癖に。松久はそう思ったが、黙っておいた。
「なんなら、明日にでも、許婚と結婚式を挙げてもいいくらいよ。そのかわり、姉さんも、松久君が勝ったら、彼と私が付き合うの、認めなさいよね」
「……いいだろう、認めてあげる。青足君が勝ったらね。……さて」願はそう言って立ち上がった。「それじゃあ、今から、どんな勝負をするか考えるから。二人は、小秋の部屋にでも行って、待っていてくれ」
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