北風と太陽の麻雀 編
第三十三話 フォールズ
柚田邸はいわゆる漫画やアニメで描写されるような豪邸のイメージを一回り二回りも超えるほどに大豪邸だった。その敷地は近くにある高校の敷地よりも広く、その屋敷は近くにある高校の校舎よりも大きい。屋内外には、夥しい防犯カメラが設置してあり、撮影された映像はコンピューターが分析し、異状があれば警備員に知らせるシステムになっていた。
異状が知らされたのは、十月十五日土曜日の午後九時九分のことだった。警備員室は一瞬、強い緊張に包まれ、その後わずかに弛緩した。もしかしたらまた、虫だの鳥だのに反応したのではないか、と全員が感じたからだ。
「それで、どのカメラに異状が写っているって言うんだ」
室長の母安(ははやす)は部下の呉阿(くれあ)にそう訊くと、右手に持ったマグカップの中のコーヒーを少しだけ飲んだ。
「四百四十四番カメラです」
「四百四十四番っていうと……」母安は防犯カメラの配置地図を手に取って見た。「屋敷の外壁に取りつけられているやつか。じゃあ、また、誤作動じゃねえのかなあ。だって、敷地を囲む塀に設けられているカメラや、庭園にセットされたカメラには、何の反応もないのに、いきなり、四百四十四番だろ?」ため息を吐く。「怪しいなあ」
「まあ、とりあえず、見てみましょうよ。四百四十四番カメラの映像を、メインモニターに表示します」
呉阿はそう言って、キーボードを操作した。数秒後、壁に無数に設置されているモニターの中でも、中央に取りつけられている、ひときわ大きいものに、指定された映像が表示された。
そこには、電灯に照らされた、白い屋敷の壁と、灰色のコンクリートの地面が映っていた。そしてそこに、人が一人、俯せで倒れていた。
両脚が、関節でない箇所で折れ曲がり、ズボンを突き破って白い骨が飛び出していた。両腕の手首は、左手を下、右手を上にして重ねられていて、さらにその上に頭が載せてあった。そいつの体の周りには、血溜まりができていて、どく、どく、と現在進行形で広がっていた。
「なんだあ?! ありゃあっ!」
母安は大声を出した。マグカップを、中身が零れるのにも構わず、近くの机に乱暴に置く。
「もしかして……」呉阿の顔は真っ青になっていた。「屋敷から、落ちたのでは」
「落ちただと?! いったい誰が?!」
「俯せになっていて、顔がわかりません」
「見に行くぞ! 救急車も呼ばなきゃな……呉阿、お前も来い!」
そう言うと母安は、懐中電灯を持って警備員室を飛び出し、全力疾走で、四百四十四番カメラの設置されているところまで向かった。最近、まったく運動していなかったため、すぐに息が上がったが、なんとか、目的地に着くことができた。
彼は業務用のフィーチャーホンを取り出した。119番に電話をかけながら、倒れている人物の頭を持ち上げて顔を見、誰なのかを確認する。
「使用人の、制服じゃねえから、おかしい、とは、思って、いたが」呼吸を整えながら独りごちる。「こいつは今日、屋敷に客人として、呼ばれていたやつだな。確か、名前は……」
「青足」呉阿も中腰になり、肩で息をしながら言った。「青足松久さんです」
「松久君。まずいことになったわ」
二日前の十月十三日木曜日、高校の屋上で昼飯を松久とともに食べていた小秋は、そう言った。
「まずいこと?」彼は眉を顰めた。「まずいこと、って、なんだ」
小秋はため息を吐いた。「ばれたのよ。私とあなたが、恋人として付き合っていて、しかも、肉体関係まで持っているってことが。私の姉の、柚田願(ねがう)に」
「ええっ!」松久は大声を上げた。「柚田願っていうと、あの……『ユズタ・ピクチャーズ』の、現社長の?」
「ええ、そう。会社のトップの」
ユズタ・ピクチャーズとは、国内最大手の映画会社である。日本の映画市場の九割以上を占有しており、製作・興行・配給だけでなく、芸能プロダクションにCG制作会社、撮影スタジオにシネマなど、関連するあらゆる分野で成功している。
「……いや、ちょっと待て」松久は右手の掌を小秋に向けた。「別にばれてもいいんじゃねえのか? 何も、疚しいことをしているわけじゃねえし……いや、肉体関係はともかくとして」
「ええ、そうね。私に、許婚さえいなければ、ばれてもよかったわ」
許婚、と松久は復唱した。「そんなものが」
「誤解しないで。姉さんが、会社のさらなる繁栄・拡大のために、勝手に決めたものよ。いわゆる、政略結婚ね。私はぜんぜん、納得してないわ」
「どちらにせよ、許婚がいるんじゃ、そりゃあ、まずいよなあ。他の男と恋人になるなんて」
「そういうこと。……私は明後日の土曜日の午後七時、姉さんに、『大事な話があるから、一緒に夕食をとろう』と言われているわ。間違いなく、松久君と付き合っている件に関しての話でしょうね。きっと、あなたも呼ばれると思うわ」
「そうか……」彼もため息を吐いた。「憂鬱だなあ。俺まで叱られるんじゃないの。ある意味、被害者だってのに」
「言っておくけれど」小秋は、きっ、と彼を睨んだ。「私に弱みを握られて無理矢理恋人にされている、なんて言わないでよね。あくまで、お互い純粋に好きになって、付き合い始めた、という体で行くのよ」
「へいへい」
松久は適当に返事をしながら、金網の向こう側の景色に目を遣った。市一番の高さを誇る、三十階建ての巨大デパート「雷神百貨店」は、町のどこからでも見ることができる。建物の屋上付近には、高枝切り鋏や子供向けの学習本、静電気防止グッズや布団、はては3Dプリンターなど、さまざまな広告看板が取りつけられていた。
「妙なことを言ったら、私、『乱暴されて無理矢理恋人にさせられた』って、姉さんに言うから。例の動画もあるし。あれには、あなたに胸を揉まれるシーンしか、映っていないけれど……そんなもの、どうとでも言えるわ。
きっと彼女は、激怒して、あなたを殺害するでしょうね。SNSのアカウントだって、拷問してパスワードを聞き出すか、ハッキングして不正ログインするかされるわよ」
「わかってるわかってる」
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