第二十六話 スレートゥンズ
「会場ってどこ? どんなところなんだ?」
三人が乗った車が動き出した後、松久は肥後にそう訊いた。窓にはカーテンが引かれていて、外の様子が見えないのだ。
「とある別荘でございます。綺麗に掃除しておりますので、心地よくギャンブルをプレイされることができるかと」
「ふうん……」
「Nシステムや、防犯・監視カメラの類いに、車が映らないようなルートを選択して走行しますので、少々お時間がかかりますが、ご了承くださいませ」
「どうして、そんなことをする必要があるんだい?」
肥後は笑みを絶やさずに言った。「いちおう、非合法なギャンブルでございますので」
その後、しばらくの沈黙があった。耐えきれなかったのか、亜出奈が口を開いた。「そういや、青足君」
「なんだ?」
「ボクが東屋に来た時に、君がやっていたゲームって、ひょっとしてワイファン……ワイニング・ファンタジーじゃないのかい?」
「そうだが……」
「やっぱり!」亜出奈は嬉しそうな表情になった。「ボクもやっているんだよ、ワイファンを! 実は、今回ギャンブルに参加するのも、課金用のお金を調達するためで……」
「そ、そうか」いくらゲームが好きだからとは言え、そのためにギャンブルに参加するのか、と思い、若干引いてしまった。
「あっ、君、今引かなかった?」
「い、いや、別に?」
「そうかい。それならいいんだけどさ」
その後は亜出奈と、「ワイニング・ファンタジー」の話題で盛り上がった。彼女は松久とは違い、最近プレイし始めたらしいが、その熱中ぶりは、彼以上といっても過言ではなかった。
「ボクのパーティメンバーは、これだよ」
亜出奈はそう言って、スマートホンの画面を見せてきた。トマトをモチーフにしたキャラクターがリーダー、ピーマンがサブリーダーとなっている。ワイニング・ファンタジーは、SR以上のキャラクターは酒、R以下は酒の原料が元ネタとなっていた。
「なんで、その二人にしたんだ?」
「どっちも、ボクの大好きな野菜でね」
「そうなのか。俺は、片方は大好きだが、もう片方は大嫌いだな」
「そうなんだ」
「青足様。根守野様。会場に到着いたしました」肥後はそう言って扉を開け、先に降車した。「お降りくださいませ」
「おっ。もう着いたのか」
松久はそう呟くと、車を降りた。地下にあるらしいガレージで、窓の類いはなく、シャッターも閉められているせいで、外を見ることはできない。
「こちらでございます」
肥後はそう言って、歩き始めた。松久と亜出奈も、後に続く。玄関でスリッパに履き替え、しばらく廊下を進み、LDKに入った。
正方形をした部屋で、北の壁は窓らしく、カーテンが引かれている。西側はキッチンとなっており、その手前にはテーブルが置かれていて、机上には、遊園地や映画館でよく見る3D眼鏡のようなものや、ビデオカメラのようなものがあった。東の壁際には、テレビとソファーが部屋中央に向けて設置されている。そしてそこには、すでに一人、女性が座っていた。
「あちらは、今回のギャンブルに参加されるプレイヤーの一人である、旅富様でございます」
彼女は立ち上がると、ぺこり、と頭を下げた。「旅富三藤と申します。よろしくお願いいたしますわ」
三藤は、濃い紫色のベアトップのロングドレスを着ていた。前と同じ髪型に、前と同じリボンを巻いている。
彼女は顔を上げた。「……あら」目を丸くする。「あなたは……どこかでお会いしたような……」
「青足だ。ええと……ほら、前、廃校で、爆発ギャンブルをしたときに、挑戦者と一緒にいた……」
「ああ」三藤は左手の掌を右手の拳でぽんと叩いた。「あの時の、平々凡々とした……あ、失礼しましたわ」
松久は、ふん、と鼻を鳴らした。バッグをソファーに置く。
「旅富様。青足様とお知り合いだったのですね。ならば、いまさら紹介は要らないでしょう。あちらは、根守野様です。お二人とも、今回のギャンブルに参加されます」
「よろしく。そう言えば、主催者は来ていないのかい?」亜出奈がそう、肥後に問いかけた。
「お嬢様はすでに、二階の個室にいらっしゃいます。お三方が到着しましたので、もうそろそろ、下りてこられるはずです」
肥後がそう言った次の瞬間、松久の背後で、がちゃ、という音がした。次いで、「待たせたわね」という、聞き覚えのある声がした。
ばっ、と振り返る。小秋が、LDKの入り口に立っていた。いつものツインテール。赤色のノースリーブのブラウスに、薄い紫色のミニスカートを穿いている。濃い紫色の、綿製の手袋を右手に嵌めていた。
「久しぶりね、松久君」
「ゆっ、柚田っ」松久はぶるぶると震える手で彼女を指した。「な、なんでお前がここに? お前もプレイヤーなのか?」
違うわよ、と彼女は言った。「私が、今回のギャンブルの主催者なのよ」
数秒間、沈黙した後、松久は低い声で、帰る、と言った。「肥後さん、車を出してくれ」
小秋が「ちょ、ちょっとっ」と、狼狽した声を出した。「今回のギャンブルは、プレイヤーが三人いないと成立しないのよ。帰ってもらっちゃ困るわ」
「知るか、そんなこと!」松久は喚くように言った。「とにかく俺は帰る。帰るんだ! お前の開催するギャンブルなんかに、参加してたまるか! さあ、早く車を──」
「仕方ないねえ」
亜出奈は、松久の台詞を遮ってそう言うと、彼にゆっくりと近づいた。
「な、何だよ」
「君が強引に帰ろうとするなら、ボクも強引な手段をとらせてもらうよ。──それ」
亜出奈はそう言って、松久のポケットからスマートホンを取り出した。そのまま、唖然とする彼を置いてキッチンまで行き、シンクの蛇口を全開にし、水を出す。
どぼどぼどぼ、という音で、彼はようやく我に返った。「な、何をする気だ!」
「ボクにはどうしても、お金が必要なのさ。ワイファンのためにね。もし、君が帰るって言うんなら」亜出奈は松久のスマートホンを水流のすぐ横に差し出した。「こいつを水浸しにしてや──動くな!」
松久の動きを察知したのか、彼女はそう叫ぶと、スマートホンを水流に近づけた。彼は慌てて、全身を硬直させると、なぜか両手まで挙げて、「わかった、動かない、動かないからっ」と言った。
(いざという時に備えて、ワイファンは引き継ぎ設定をしているが……携帯電話の、すべてのデータのバックアップをとっているわけじゃない。壊されたら困る)
亜出奈は、水流に近づけたまま、スマートホンを弄り始めた。いったい何をしているんだろう、と訝しむ。パスワードロックをかけているから、操作できないはずだ。
しばらくして、彼女は口を開いた。「君の、ワイファンのアカウントの、引き継ぎ設定のパスワードを、変更した」
「んなっ……」松久はしばらくの間、絶句した。「んな馬鹿な……だってスマートホンには、ロックが──」
亜出奈は十桁の数字を口にした。「パスワードは、これだろう?」
松久は再び、絶句した。それは間違いなく、スマートホンのロックの暗証番号だったからだ。
「実は、君がワイファンをやっていることは、前からわかっていたんだ。腕のいい探偵を雇ってね。君のケータイのパスワードを調べてもらったついでに、知ったんだ」亜出奈は、にやり、と笑った。「こいつが、防水でないこともね。さあ、データを破壊されたくなければ、このギャンブルに参加してくれ。そうだね……口先だけじゃあ信用できないから、念書を書いてもらおうかな」
「わかった、書く、書くよ。だから、早くスマートホンを──」
「何言っているんだ、念書が先に決まっているじゃないか。──肥後さん、紙とペンを用意してくれ」
肥後は近くの棚から、メモ帳と万年筆を取り出した。松久はそこに、亜出奈に言われるがまま、ギャンブルに参加するという内容の文を書き、名前を書いて拇印を押した。
「ほら。書いたぞ!」
「どうだい、肥後さん──彼はちゃんと、書いているかい?」
肥後はしばらくの間紙を眺めると、ふむ、と言った。「たしかに、根守野様の仰ったことが、書かれております。サインと拇印も、きちんと」
そうかい、と亜出奈は言い、蛇口を閉めた。そして、携帯電話を松久のところに投げて寄越した。
彼はそれをキャッチすると、いくつかの操作をした。そして、スマートホンが正常に動作することを確認すると、ポケットにしまい、溜め息を吐いてから、亜出奈めがけて走り出した。
「青足様。落ち着いてください。落ち着いてください」肥後が素早く、彼を後ろから羽交い絞めにした。
「うるせえ! あいつを一発、殴らせろっ!」
「今回のギャンブルでは、暴力行為は禁止されております。もし犯したなら、ペナルティーとしてマイナス一億円──それでも、殴りますか?」
松久は、ぎり、と歯を食い縛った。しばらくの間、亜出奈を睨みつけた後、「いや……」と言い、両腕の力を抜いた。
「賢明なご判断、感謝いたします」肥後はそう言って、ふう、と溜め息を吐き、羽交い絞めを解いた。
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