チョコスティックゲーム 編

第二十五話 パーティシペイツ

 五桁だ。何度見ても、間違いない。五桁だ。テレビ画面に映し出されている文字列の、五桁目と四桁目の間には「億」という漢字が入り、一桁目の右側には「万円」という漢字が並んでいる。

 なんということだ。このギャンブルですでに、一億円以上もの金を喪失してしまった。

 そして、残すゲームは、あと一回。仮に、一世紀に一度の奇跡が起きたとしても、一回きりでは、最大で一億円弱しか獲得できない。

 もはや、損失を帳消しにすることは、不可能だ。

 彼──青足松久は、頭を抱えた。


 金がない。

 借りていた英和辞典を返却しに、図書室を訪れた松久は、そう心の中で呟き、溜め息を吐いた。

 病室で小秋にキスをされてから、二か月が経過していた。季節は九月に入り、学業は二学期に突入していた。例の、別荘の地獄絵図に関しては、警察に根掘り葉掘り訊かれたが、ひたすら「何も覚えていない」「よくわからない」と答えたところ、「事件のショックで、記憶が混乱しているのだろう」と勝手に解釈してくれたらしく、深い追及はなかった。退院した後も、マスコミや同級生にしつこく付き纏われたが、同じように対応したところ、やがて興味を失ってくれたらしく、今では事件以前と同じ生活を取り戻していた。

 小秋は病室で、「いつか絶対、あなたを恋人にしてみせる」などと宣言していたが、彼女からのアプローチは、今までまったくなかった。諦めてくれたのだろうか、熱が冷めてくれたのだろうか。

 約束の一〇〇万円は、宅急便で届けられた。正直な話、あんなやつから札束を貰いたくなんてなかったが、金には困っていたため、仕方なく頂戴した。

 松久は、帆柱私立大学への進学を志していた。しかし、なにしろ私大のため、学費が高い。具体的には、あと三〇〇万円ほど足りない、と親から言われていた。小秋から貰った一〇〇万円を加えても、二〇〇万円不足している。奨学金の類いを、借りるしかないのだろうか。

 少しでも資金の足しになればと、バイトをいろいろと掛け持ちしていた。明日からの土日月の三連休も、土曜日の正午から月曜日の正午まで、帆柱私大でとある実験の被験者になる仕事の予定がある。しかし、焼け石に水、という気持ちはどうしても拭えなかった。

 手帳の中身を知っていると小秋を脅し、金を引き出す、という考えも頭を過った。しかし、けっきょく却下した。それをして、小秋に敵意を持たれたりしたら大変だ。殺すとSNSの日時指定投稿で手帳の内容がばらされる、と言ってはいるが、それを防ぎたいなら、自分を拉致し、拷問でもして、アカウントのパスワードを聞き出せばいいのだ。そうしないのは、今のところ、好意を抱いているからだろう。

 突然、ぐう、と腹が鳴った。平日はいつも、学食で昼飯を食べているのだが、最近はそれすら節約しているのだ。飲み物を買ったり、家から持って行ったりするのも惜しく、学校では常にウォーターサーバーを利用している。

「青足君」

 空腹なうえ、憂鬱でいると、背後から声をかけられた。振り返ると、クラスメイトの根守野(ねもりの)亜出奈(あでな)が、立っていた。松久と同じくらいの身長で、かなりの貧乳である。

「根守野か。どうしたんだ」

 亜出奈は、ゆっくりと顔を近づけてきた。松久は面食らい、少しばかり自分の顔を後退させた。彼女は、黒髪を肩までのツーサイドアップにしていて、白いフリルのついたカチューシャを着けていた。

「お金に、困っているんじゃないのかい?」そう小声で尋ねられた。

「か、金? 確かに困っているが……」同じように、小声になる。「どうして、そのことを?」

「前に教室で、そう話しているのを小耳に挟んだことがあったからさ。……それで、本題なんだけれど」亜出奈は右の口角近くに手を当てた。「実は今、知り合いの開催するギャンブルの、参加者を集めているんだよ」

「ギャンブル?」

「うん。立ち回り次第では、大金を掴むことも夢ではない、そんなギャンブル。……どうかな、参加してみない?」

「ギャンブルって言ったって……」小秋の顔が脳裏にちらつく。「そんな怪しい話、乗れねえよ」

「……じゃあ訊くけど、青足君は他に、一獲千金の当てがあるのかい?」

 うぐっ、という声が出た。

「ないだろう? ……ここは、怪しいことを覚悟の上で、参加すべきなんじゃないのかな?」

 松久は頭をぼりぼりと書いた。「でもなあ……」と呟く。

「……じゃあ、これならどうだい? とりあえず、ギャンブルのルールを聴いてみる。それから、参加するかどうか判断するというのは」

「まあ、それならまだ……」

「決まりだね。じゃあ、明々後日の月曜日、長命(ちょうめい)公園の東屋に、午後三時に来てくれよ。そこから車で、ギャンブルの会場まで送ってもらえるらしいからさ」

「長命公園に、月曜日、午後三時、か」帆柱私大から、帰宅せずそのまま向かえば、なんとか間に合うだろう。「よし、わかった」


 三日後の月曜日、午後二時五十分。

 松久は長命公園の東屋のベンチに座っていた。服は、地味な色のシャツとチノパンを着用している。スマートホンゲーム「ワイニング・ファンタジー」をプレイしていた。

 ワイニング・ファンタジーとは、酒をテーマにしたMMORPGだ。ビジネスモデルとして、アイテム課金方式を採用している。金のない松久は、いわゆる「無課金勢」だった。彼はそのゲームを、小学三年生の頃からずっと遊んできていて、今ではランキングの上位に食い込むほどの実力者となっていた。

(それにしても、変な実験だったな……)

 先程まで参加していた、帆柱私大の実験のことだ。丸二日間、トイレ以外何もない部屋で、何もせずに過ごす、という内容だった。とった行動はすべて記録されており、また禁止されている行動もある。自傷行為や備品破壊などはともかく、自慰までわざわざ禁止されているのには閉口した。衆人環視の状況でオナニーなど、頼まれたってやるものか。

 しかし、これで五万円が貰えるのだから、嬉しい仕事ではあった。機会さえあれば、また参加したいくらいだ。

(いったい、どんなギャンブルをするんだろう?)

 松久はこの日のために、ポーカーや麻雀など、代表的な賭博のルール、基本・応用戦略などを調べてきていた。しかし、実戦ではたして役に立つかどうかわからない。そもそも、調べなかったゲームになるかもしれないのだ。

(まあ、今考えたって、仕方ねえか……「アレ」が上手く使えればいいんだがな。ギャンブルに役立つかと思って、急いで用意した、「アレ」が)

 松久はそう心の中で呟いて、隣に置いたトートバッグを撫でた。ベージュ色で、取っ手の近くに鰻のデフォルメ絵の缶バッジがついている。

「あれ。先に来ていたんだね、青足君」

 そんな声が聞こえたので、ゲームを一時中断し、顔を上げる。亜出奈が、近くに立っていた。いつものツーサイドアップとカチューシャ。紅色の半袖のブラウスに、ピンク色のホットパンツを着ている。

「ああ。まあな」松久はそう答え、腕時計を見た。「そろそろ、三時か」

「あっ。来たみたいだよ」

 亜出奈はそう言って、公園の入り口を指差した。松久も、そのほうに視線を向ける。

 黒塗りのリムジンが、そこに停まっていた。扉が開き、中から、女性が降りてくる。黒髪をショートにしていて、黒いスーツをビシッと着こなしていた。

 その女性は、公園に入ると、東屋までやってきて、二人に向かって言った。「青足様と、根守野様ですね?」

「ああ」

「そうだよ」

「私は、肥後(ひご)瑞希(みずき)と申します。これから、ギャンブルの会場までお連れします。あちらの車に、お乗りください」

 肥後はそう言ってリムジンを指差すと、そちらに向かって歩き始めた。松久と亜出奈は、その後を追った。

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