第二十四話 キシイズ

「ギャン……」松久はしばしの間、絶句した。「またかよ、おい……」

「今度は、私と勝負しなさい。あなたが勝ったら、口封じはやめてあげるわ。でも、私が勝ったら──」小秋は懐から、ナイフを取り出した。

「……あのな、『勝ったら殺さない』なんて、信用すると思うか?」松久は彼女を睨んだ。「どうせ、勝っても殺すんだろ? 拳銃ジャンケンの時のように。手帳を見られた可能性があるからな、生かすはずがねえ」

「あら、やっぱり気づいていたのね、私の思惑に。……手帳の件まで、推理しているなんて──さすがだわ」小秋は嬉しそうに言った。「それでこそ、──私の、好きになった人よ」

 松久は、あんぐりと口を開けた。「好──なんだって?」

「な、何度も言わせないでよ」小秋は、知り合ってから初めて、狼狽えた様子を見せた。「だから──惚れたのよ、あなたに」

「…………う、嘘をつくなっ!」松久はどん、とマットレスを殴った。「そんなもの、信じられるかっ!」

「あら、覚えてないのかしら? 私の好きな男子のタイプは、『私よりギャンブルが強い人』よ」小秋は髪先を弄り始めた。「あなた、最終的に私をも欺いて、生き延びたじゃない。あそこまで追い詰めてきたのは、あなたが初めてよ」

「いや、だとしても──そうだ。けっきょく、お前が防弾チョッキを着ていたせいで、殺せていねえじゃねえか」松久はボストンバッグを指差した。

「そうよ。そこが問題なのよ」小秋は身を乗り出してきた。「あなたは私を完全に欺き、殺す寸前まで行った。でも、結局殺せなかった。かといって、すぐさま愛想を尽かすのもためらわれるわ」

「……そういうもんなのか」

「そこで、今回のギャンブルよ。あなたが勝ったら、私の恋人になる、っていう条件付きで、生かしてあげるわ。手帳の件は……まあ、気にしないでいてあげる」

 小秋はボストンバッグから、まったく同じデザインの、小さな陶器製の碗二つを取った。その後、松久が、拳銃ジャンケンの際、小秋を欺くのに使った、血塗れの空薬莢も出し、それぞれを机に置いた。

「ルールは、旅富の二者択一ギャンブルと同じよ。この、二つの碗のうち一つに、空薬莢を入れて、混ぜるから」

 そう言い、空薬莢を右の碗に入れ、フタを閉めた。その後、左と一緒に、しばらく後ろ手でシャッフルした後、机に置いた。

「どちらに入っているか、当ててちょうだい。なんなら、今、選んでくれてもいいわよ」

 松久はしばらく黙った後、言った。「分かった。選ぼう」

「そう来なくっちゃ」小秋は嬉しそうに笑った。

「ただし」松久は語気を強めて言った。「俺が選ぶのは、変でも不変でも、右でも左でもねえ──『第三の選択肢』だ」

「えっ?」小秋は怪訝そうな表情になった。

「……その前に、ここの窓を開けてくれ」松久はすぐ横の窓を指差した。「空気を入れ替えたい」

 小秋はしばらくの間、彼を凝視した後、「助けを呼ぼうとしたら、殺すわよ」と釘を刺した。窓に近寄り、がらがら、と音を立てて開ける。

 次の瞬間、彼女の頭の横を、碗が二つ、通り過ぎて言った。そのまま飛んで行って、地面に落下し、ガチャン、と音を立てて割れた。

 松久は、満足げに伸びをしながら、んんーっ、と唸った。「一回、やってみたかったんだよ、ギャンブルの道具、やっている最中にぶっ壊すの」

 小秋は、じろり、と彼を凝視した。「どういうことかしら?」手にはナイフを握り締めていた。

「ああいうことだよ」松久は、台の上のノートパソコンを指差した。

「……その、ノートパソコンが、どうかしたの?」

「お前が、俺たちを雇う内容を説明した日にくれたアドバイスどおり、SNSを始めてみたんだ。あのノートパソコンで、ついさっき。便利だよなあ、『日時指定投稿』なんて機能があるんだってよ」松久は、にやり、と笑って、小秋を見た。「手帳の内容を、思い出せる限り、そこに書いた。投稿されるのは、二週間後だ」

 彼はぺらぺらと、やってもいないことを喋り続けた。ハッタリであることを気取られぬよう、平然を装った。

 小秋は無言で、頬をひくつかせていた。

「もちろん、投稿はしねえ。二週間が経つ前に、投稿日時を、もう二週間延長する」松久は手を下ろした。「分かったか? 俺を殺すと、手帳の内容が、二週間以内にインターネット上に公開されちまうぞ」

 小秋は、ぶるぶる、とナイフを握った手を小刻みに震わせていた。

「『柚田小秋』の名前つきで出せば、お前のことを知っているやつが……例えば、賭場や裏カジノで、お前の活躍ぶりを見た他の客とかが、見つけるかもしれねえなあ」

 小秋は、恐ろしくも美しい顔で、松久を睨みつけていた。

「これが、『第三の選択肢』だ」彼は勝ち誇った顔で言った。「殺されはしねえし、お前とも付き合わねえ」

 小秋は、やがて、「はあー……」と大きなため息をついた。ナイフをボストンバッグにしまう。

「まいったわね……まさか、ギャンブルすら受けてもらえないなんて」小秋は頭をかき、ふふ、と微笑んだ。「あなた……強者ね。完全に、好きになったわ」

「俺は嫌いだがね」松久はそっぽを向いた。「俺を殺そうとしたやつなんざ。いくら美少女でもな」

「あら、そう。残念ね」

「さあ、早く帰りやがれ」松久は、しっしっ、と追い払うジェスチャーをした。

「分かったわ」小秋は立ち上がり、出入り口に向かった。「今日のところは、引き下がってあげる」

「きょ……なんだって?」

 小秋は振り返った。「いつか絶対、あなたを、私の恋人にしてみせるから。どんな手を使ってでもね」

「どんな手を使ってもって」松久は失笑した。「どんな手だよ」

「そうね」小秋は、かつかつ、とベッドに改めて近づいてきた。「例えば、こういう手よ」

 そして、松久の頭を両手で抱え、彼の唇に、軽く、自分の唇を重ねた。

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