第十八話 リアライジイズ

 松久は、今までの人生の中で、物事が上手くいかなかった際に、「最悪」という言葉を多用してきた。しかし、今回ほど、その言葉がふさわしいシチュエーションはなかった。

(最悪だ……1ターン目、提婆の弾丸がゼロ発であることが確約されている状況で、【バリア】を選ぶだなんて)

 まさか、【バリア】のカードもしわくちゃになっているとは。きっと、先ほど、撃たれて激しく痙攣している時に、ズボンの中で折れ曲がってしまったんだろう。

 今、提婆は、弾丸を一発込めており、しかも、自分がまったく装填していないことを知っている。このギャンブルにおいて、まさに、考えうる中で最悪の状況と言えた。

(クソ、次は何を選べばいいんだ……撃たれる可能性があるのに【チャージ】は選びにくい……なら【バリア】か? しかし、俺に勝負を引き伸ばしている余裕なんて──)

 指が、扇状に開かれた二つのカードを、左から右右から左へ、断続的に移動する。激痛や焦燥に気をとられ、思考は上手くまとまらなかった。

(ああ、ちくしょう……もう、逃げ出したい──)

 ちらり、と小秋を見た。しかし、彼女は松久を睨みつけてきていたので、慌てて目を逸らした。

(クソが……さっきの1ターン目みたいに、余所見してくれてればよかったのに──)

 松久は舌打ちした。そして、ふと、疑問に思った。

(待てよ──なんで小秋は、1ターン目のシンキングタイムの終わり間際、余所見していたんだ?)

 真っ最中なら、まだ、理解できる。松久だけでなく、提婆も監視しなければならないから。

(しかし、あのときはすでに、終了のベルが鳴り始めていた)

 小秋は、松久が、ベルが響いている間にカードを提示できるかどうか、確認しなければならなかったはずだ。余所見している余裕など、あるわけがない。

(……そうか。提婆がカードを提示したのも、ベルが鳴ってからだったんだ。だから、そっちに目を向けていた)

 これで、先ほどの疑問は解決した。しかし、新たな疑問が湧いて出た。

(なんで、【チャージ】以外、選ぶもんがねえ1ターン目において、そんなに時間をかける必要がある? 俺みたいに、気絶していたわけでもあるまいに……)

 松久は眉間を押さえ、提婆の心理を推測しようとした。しかし、そう上手くいくものではない。

(ああもう、分からな──ぐっ!)銃創がずき、と痛んだ。(ちくしょう、早くやつを殺さねえと、死んじまう──)

 そこまで考えたところで、閃いた。

(そうか! 提婆は──わざとシンキングタイムに時間をかけ、俺を出血多量で、死亡させる気なんだ!)

 シンキングタイムは五分、セッティングタイムは約一分、プレイングタイムは十秒。合計で、1ターンを終えるためにはおよそ六分十秒が必要である。

(仮に、1ターン目で【チャージ】を選んだ後、その後の、2ターン目から6ターン目までのすべてで、【バリア】を行うとする。7ターン目のシンキング・セッティングタイムも含めると、撃たれる危険にまったくさらされることなく、四十分以上稼げることになる)

 致命傷でなかったとはいえ、腹部を撃たれた状態で、四十分も放置されたら。

(──間違いなく、死ぬ)

 松久の頭に、絶望が押し寄せた。しかし、彼はもはや、いちいち落ち込むこともなかった。

(でも、これで、この3セット目での、提婆の行動は予想できる──次は【ショット】、その次は【チャージ】、そして、それからずっと【バリア】だ)

 2ターン目では松久に撃たれる心配がないのだから、【バリア】をするはずがない。また、どうせ時間経過による失血死で決着をつけるのだから、【チャージ】をして、装填している弾丸の数を増やす必要もない。

(それよりも、【ショット】にしたほうが、俺が急いて【チャージ】を選んだ場合、撃ち殺せる。仮に、【バリア】を選んだとしても、その次の3ターン目、相変わらずこっちの弾丸はないのだから、【チャージ】を行うことにより、残り【バリア】使用可能回数を減らさずに、時間を稼げる)

 では、次の2ターン目、自分は【バリア】を選ぶしかない。松久はそう結論づけ、カードを提示した。彼の予想どおり、セッティングタイムに入ったのは、五分ほど経ってからだった。


 2ターン目は、防護壁越しに、操作音が聞こえた。この状況下で【チャージ】を選ぶメリットは少ないから、おそらくは【ショット】だろう。

 ブザーが鳴る。松久はカーテンを閉め、心の中で呟いた。

(予想どおりだな)

 松久はさっさと、【チャージ】のカードを提示した。おそらくは今回も、提婆は時間をぎりぎりまで稼ぐのだろう。

 ずきり、と銃創が痛んだ。うぐ、と呻き、手でさする。

(クソ、痛え──なんで俺が、こんな目に遭わなきゃいけねえんだ……そもそも、裏切ったのは提婆で、俺は何もしてねえってのに)

 そこまで考えたところで、ふと、気づいた。

(そうだ──なんで小秋は、俺をこんな目に遭わせているんだ?)

 仲間が裏切り、かつて信頼していた者同士で、殺し合いになる。そんなシーンは、スパイ映画やサスペンスドラマなどで、幾度となく見てきた。

(でも、それと今回とは事情が違うだろう──殺す必要がねえ。裏切られたことに腹が立ったなら……金を払わずに、帰せばいいだけだ)

 どうせ、松久たちは何もできない。しょせんは、ただの一般人だ。

(暴力に長けちゃいねえし、武器も所有しちゃいねえ。裏社会のコネクションなんかもねえ。物騒な方法では、取り返せないだろう)

 何の証拠もないのだから、警察に通報してもどうにもならない。なにより、こんな非現実的な出来事、信じてもらえないだろう。信じてもらえたとしても、今度は、違法なギャンブルにかかわったとして、厄介事になる可能性が出てくる。学校で再会し、何か言われても、無視すればいいだけだ。それが嫌なら、転校、という手もある。

(なのに、なんで、俺たちのうち一人を、殺すことにしたんだ? しかも、不殺主義のせいで、自分じゃ手を下せず、ギャンブルで殺し合わせる、なんて面倒なことをさせている……)

 いくら人気のない廃別荘とはいえ、誰かが来てしまうかもしれない。いくらアサルトライフルで牽制しているとはいえ、隙を突かれ、逃げられてしまうかもしれない。このような、時間も手間もかかり、リスクも負うようなことは、極力控えるべきだ。

(ここに来た最初の頃は、小秋に、金を払う意思はあった。殺し合いの話になったのは、彼女がアサルトライフルを持ち出して、銃撃戦を終わらせてからだ……その間に、何か、心情を変化させるようなことがあったのか?)

 松久は必至で、その時の記憶を回想した。

(確か、最初に提婆が小秋を撃とうとしたが、弾丸は、彼女が羅針盤のオブジェの上に置いていた鞄に当たって……貫通しなかったんだっけか)

 小秋は倒れ、ボストンバッグも地面に落ちた。その拍子に、開いたファスナーから、中身がいくつかこぼれた。

(そして、油断した提婆は、無防備に、彼女に近づいた。その瞬間、足を殴られ、派手に転倒した)

 小秋はその隙に、トンネルの中へ逃げた。提婆も、痛みから回復した後、追いかけた。その時、ボストンバッグからこぼれたアイテムを、いくつか蹴飛ばしていった。

(何を蹴飛ばしたんだっけ? ……そうだ、確か、札束とか、手帳とか──)

 手帳。

(そうだ! 手帳だっ!)松久は心の中で叫んだ。(あの手帳──小秋にとって、実は、とても大切な……絶対に、他人に見られたくねえようなものだったんじゃねえか?)

 それこそ、見た人間を口封じしなければならないほどの代物だったのかもしれない。例えば、何かのパスワードとか、犯罪の証拠とか。

(しかし手帳は、あの時、開きっ放しになって、中身が見えるようになっちまっていた……小秋はそれを見て、手帳を俺たちに読まれちまった可能性があると考え、殺し合わせることに決めたんじゃねえか?)

 そう言えば小秋は、提婆をアサルトライフルで脅しながら中庭に帰ってきた時、何かを見て、ぎょっ、としたようだった。おそらくは、手帳が、開かれた状態で落ちているのを発見したため、そのようになったのだろう。

 また彼女は、松久と提婆のスマートホンにテレビ電話アプリをインストールするのに、やたらと手間取っていた。実はあの時、手帳を撮影していないかどうか、確認していたのではないか。

(そして口封じをすべく、俺たちに殺し合わせようと──)

 待てよ。

(俺たちは二人いるんだ──当然、二人ともに見られた可能性がある。一人だけを殺しても、残った一人が生きているんじゃ──意味がねえ)

 と、いうことは。

(このギャンブル──勝ったとしても、小秋に殺されちまうんじゃねえか?)

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