精霊の子/魔王
南雲遊火
精霊の子
その部屋は、城の奥……かつて主とその家族が住んでいたという、最も奥の区域の、さらに地下にある。
方向オンチのジュッドだが、慣れているのか彼は迷うことなく、そこに歩を進めた。途中すれ違う者もいたが、彼を咎めることも、また、気さくな挨拶をする者もいない。
ジュッドは手に持つランタンの火を消し、部屋の入り口のドアノブに手をかけ、静かに、滑り込むように室内に入った。
一筋の光すら通さない暗闇の中、かすかに、薄ぼんやりと白い影がうかぶ。よくよく目を凝らすと、室内には豪華な寝台がひとつあり、その上に、色白の一人の男が気だるそうに、枕を背もたれに座っていた。
ジュッドの気配を感じてか、男は瞑った瞼をゆっくりと開く。反射する光もないのに、彼の瞳は揺らめき輝く虹色で、そのふたつの不気味な瞳が、ジュッドをゆっくりと認識するよう、じいっと捉えた。
そして。
「……」
身も凍るほどの殺気を感じ、思わずジュッドは身構えた。と同時に「彼」が腕を伸ばす。不自然に短い……肘上から切断されたその右腕に、暗く重いエネルギーの塊が、まとわりつくように絡まってゆく。それは同じように、足首から先……やはり切断された彼の両足にも、ゆっくりと絡んでゆき、やがて、黒くいびつな……鋭い刃や針が無数に生えた、腕と足を形作る。
「闇」の手足を手にいれ、ゆらり……と、「彼」が立ち上がった。彼の動きそのものは緩慢ではあるものの、ジュッドは動かなかった。
少しクセのある髪は、床にこすりそうなほど長く伸び、それは彼が動くたび、波打つように揺れている。
ふいに、ひやりとした何かが、ジュッドの首にまとわりついた。それは一気にジュッドの首を締め上げる。
「ガハッ」
気道を通る空気量が一気に減り、また、首の骨がミシリと、嫌な音を立てた。
(また、「あちら」に寄ってしまったか……)
一度死に、凄まじい再生能力を持つ「妖魔」として蘇ったジュッドは、苦しい状況下であっても、「彼」の状態を冷静に観察する。
彼の腕と足を構成し、ジュッドの首を締め上げているのは、「彼」に意思を奪われた下級の「闇の精霊」。「彼」の影響は、この部屋に広がる闇全体に、既に広がっている様子だった。
まるで、この部屋自体が「彼」であるかのように。
(確実に、前より干渉力が強くなってるな……)
暗闇の中、表情が読み取れるほどジュッドのすぐそばまで近寄ってきた「彼」は、笑っていた。
声をあげての高笑いではない。ただ、静かに。そして、十五年の年月を経てもなお、少女のように美しいと思える、穏やかな微笑みだった。
しかし、ジュッドに向けられた殺気は消える事なく、また、虹色の瞳は濃さを増し、赤、青、緑、金と、鮮やかに輝いている。
ブラック・オパール。もともと
「彼」の本来の瞳の色……ジュッドはもう、ずいぶんと見ていない。それは、それだけの間「彼」の精神が不安定で、なおかつ「彼」が苦しんできた……ということである。
バキッ……という音と共に、激痛がジュッドを襲う。首の骨が、精霊の圧力に耐えきれず砕けた。
いくら「生ける屍」、「とんでもない再生力をもつ化け物」と称される妖魔でも、痛覚は正常であり、許容範囲を超えた外傷的ダメージをくらい続ければさすがに死ぬ。ヒトの人格を持ち合わせたまま妖魔化したジュッドからすると、二度目の死だ。
(もっとも……それもいいかもしれない)
「彼」には、その、資格がある……。
ドシュッ!
闇の右腕を大きな太刀の形に変えた「彼」は、その腕を横一線に切り払い、ジュッドの腹部を斬り裂いた。
激痛で薄れゆく意識の中、最後に瞼に焼き付いたのは先ほどと同じよう、微笑む「彼」の顔で……そのままジュッドは力尽き、床に崩れ落ちた。
かつて、力ある闇の精霊が、人間と交わる事で生まれたという伝承のある、銀髪銀目、白い肌を持つ少数民族、月晶族。
「彼」は月晶族の族長一族出身の父と、精霊術士の名家である、東のラディアータ帝国の皇族の姫君を母に持つ、民族的な混血ではあるものの、種族的には純粋な「ヒュノス(人間)」である。
否、「で、あった」と言った方が、正しいかもしれない。
「彼」はジュッドのように「妖魔」ではない。妖魔に精霊の意思を奪うような能力は無く、また、契約もなしに、否応無く精霊を使役する能力もない。
もちろん、ヒトも同様である。
事は、約十五年前に遡る。
語ると長くなるので省略するが、とある事件により、「彼」の仕える国が攻め滅ぼされてしまい、その国にとって重要な人間であった「彼」は、囚われの身となってしまう。
同じく囚われの身となった妻子の目の前で行われた、「彼」の拷問と陵辱。妻はその最中自害し、絶望した「彼」の精神は砕け散る。
そして。
箍を失った「彼」の、肉体の奥底に眠る精霊の血が暴走を引き起こし、結果、「彼」の肉体と魂魄を、異質なるモノに変質させてしまった。
「ヒト」という肉体を持ちながら、魂の質は限りなく精霊に近く、そして他の精霊に影響を与える干渉力は、高位の精霊より何倍も強く、精霊王に匹敵する。
しかし「彼」は、その強すぎる力の代償として、物理的な食べ物を「ほぼ」、受け付けなくなる。そしてその代わり、本能的に周囲のヒトの魂や精霊、妖魔を喰らい、命をつなぐようになった。
それは、妖魔がヒトの精気を喰らう行為に似ているが、「彼」が喰らうのは魂そのものであり、根本的に異なる。
もはやコレは、ヒト、精霊、妖魔のいずれにも属さぬ、新しい種の誕生とも言えるだろう。
「……気がついた?」
ジュッドに声をかけたのは、一人の若い女だった。視神経をやられたか、両目をえぐられたか……姿を確認することができなかったが、声の主が自分よりはるかに年上である事を、ジュッドは知っている。
「異界には、バラバラになった夫の死体をかき集め、蘇らせた女神がいるらしいけど、なんだか、そんな気分ね」
もっとも、貴方が夫だなんて、死んでもイヤだけど……と、女は笑いながら言う。
「アイツ、は?」
潰れた気道が治りきっていないせいか、ガラガラ声で問いながら、ジュッドは現在の自分の状況を把握しようと、動こう……と思ってやめた。痛覚は正常であるはずなのに、痛みどころか体の感覚自体がなさすぎる。
女の言葉通り、全身バラバラか……正直、あまり想像したくない。
「今は大人しく寝てるわ。……あなたに、「ありがとう」って伝えてくれって頼まれたの」
「礼なんか、いらん」
声を出すのも力がいる……ジュッドは短く答えた。
物理的な食べ物を受け付けない「彼」が、唯一口から摂取できるもの……それは、「彼」に近しい存在の、血と肉。
ジュッドもまた、先祖に火の精霊の血を引く人間がおり、血縁的には「彼」の母の妹の息子……従兄弟である。肉体的にも、魂的にも近しい存在といえる。
……もっとも、ジュッド自身がそれを知ったのは、ここ数年の話ではあるのだが。
「そんなこと言わないで。……私からも礼を言うわ。ありがとう。ジュテドニアス」
女は苦笑しながら、そっとジュッドの頭を撫でた。
どういうわけか、ジュッドの血肉を喰らった後「彼」の暴走は一時的だが治まり、「彼」の自我が回復するという。
もっとも、ジュッドは自我の回復した「彼」と会ったことがないため、話にきく限りではあるのだが。
「目、の色……」
「え?」
「いや……なんでも、な……い……」
ジュッドは首を横に振った。視界は相変わらず見えないが、ぐらぐらと目の回る感覚に気分が悪くなり、自然と言葉尻が細くなる。
「……あなたも、少しお眠りなさい」
お疲れ様……相変わらずジュッドの髪を優しく撫でながら、クスクスと女が笑った。
肉体という名の牢獄。
自我という名の鎖。
脆くほころびながらも、わずかに残る「彼」の「それ」が、完全に壊れてしまったその時。
既にヒトでも精霊でもない……幾多のヒトの魂や精霊、妖魔を喰らい続けた「神」に足るその存在は、なにより「自由」を求め、狂喜と狂気の感情をもって、世に解き放たれるだろう。
しかしそれは、かの地に生きるモノたちにとって、破壊と混乱をもたらす、禍ツ神以外の何者でもない。
女……ミレイは、自ら贄になる道を選んだ甥の髪を撫でながら、ため息を吐く。
四十年前の約束……それを知る者は、もう、この世にほとんどいないけれど。
「まさか、「約束の子」自身が、破壊の手になるなんて、さすがの私も思いもしなかったわ……」
自分が妖魔の王に嫁ぐかわり、「息子」には幸せを……ヒトとしての天寿を全うさせること。もし、夫のように途中で命が奪われるようなことあれば、自分自身が破壊の手となり、ヒトを滅ぼしてやる……そう宣言して、ミレイは妖魔となった。
その約束は破られ、「息子」は壊れてしまったけれど……ミレイはいまだ、どうするか決断を下せないでいる。
「息子」が完全にヒトとしての「死」を迎えた時、きっと世界は滅ぶだろう。
ジュッドが己の身を「息子」に捧げ、彼のヒトとしての「命」を繋いでいるのは、ヒトに対する使命感ではなく、「彼」が囚われ、壊れる「きっかけ」を、直接的ではないにしろ作ってしまった贖罪の念から。
そんなジュッドもまた、内に精霊の血を宿している。彼自身、気づいているのかいないのか……時々、左目に赤いオパール様の遊色文様が浮かぶ。そして、「息子」に喰われ、意識を失った後、まるで自身の命をつなぎ止めるかのように、無意識に周囲の精霊を貪り喰らうのだ。
ジュッドの場合、妖魔化しているため、まだ猶予はかなりあると考えれた。しかし……。
(せめて、普通の食事、してくれてれば……)
妖魔狩りを主な生業としていたのに、自身が妖魔化してしまった嫌悪からか、ジュッドは妖魔としての食事……ヒトの精気を、ほとんど食べない。常に空腹状態と言っても過言ではないだろう。しょっちゅうエネルギー切れで倒れていると、ミレイは報告を受けていた。
あの部屋に満ち満ちていた闇の精霊をほぼ喰らいつくした甥は、通常の妖魔以上の回復力を見せている。もっとも、バラバラになった肉体の組織がくっつき、神経が通るまで1週間、完全にすべての臓器が再生するまで、丸一月はかかるだろうが。
現状が最良とはとても思えない……けれど……。
「ホント、どうすればいいのかしらね……」
ふぅ……とため息をはき、ミレイはもう一度、甥の髪を優しく撫でた。
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