第43話

 オーン、オーン

 ツヨシの泣く声が響く。

 どうして、どうして、どうして

 何かの間違いのはずだ

 ドウシテ、ドウシテ、ドウシテ

 こんなヒドイことあるはずない


 本当にこの世界ではどんなことでも、起こってしまう

 苦しいこと、つらいこと、悲しいこと、



 ツヨシが入れられたのは“保護室”と呼ばれる隔離部屋だった。

 部屋の壁は、びっしりと爪で引っかいたような痕で埋められていた。

 良く見るとそれが、原型をとどめないほど崩れた文字であることが分かる。

 先客が遺した、閉じこめられ、阻害されたことへの呪詛の言葉たちだった。


 外では強い雨が降っていた。

 自分が泣いていると、空の涙も止まらない。そんな気がした。

 雨音にじっと耳を澄ます。

 いつのまにか涙は止まっていた。

 雨は続いている。


 こんなに泣いたのは久しぶりだった。一度泣き始めると止まらない。

 昔、シズカが転んだ時に、膝から流れ出る血を見て泣き始め、シズカ本人より長泣きした。

 祖父の羅無蔵は、その種の子どもを好まない。

 夕食が終わってもしゃくり上げているツヨシを見て、屋上の物干し場へと追い出されたことがある。

 幸い天気は良く、星が輝く夜だった。

 しかし、小学生のツヨシにとっては、どんな仕打ちよりも怖ろしい暗闇の罰だった。

 夜間でも干しっぱなしの洗濯物がはためく度に、震え上がって失禁しそうになるのをこらえた。

 なんとか泣き止もうと上を向いたとき、連続して二つの流れ星をみた。

 その後、三つ、四つと流れ星は続き、百まで数えたとき、涙はすっかり止まっていた。

「お兄ちゃん」と小さく呼ぶ声がする方を見ると、わずかに開けられたドアの隙間からシズカがじっとこちらを伺っていた。

 この年は獅子座流星群の当たり年だった。


 何度も雷が鳴った。

 ツヨシは極度に雷を怖れる。

 天に叱られていると感じる。

 自分の罪を数えてみる。

 今日はシズカを助けられなかった。彼女をあんな所に置いてきてしまった。

 きっと、間違ったときに来てしまったのだ。もっと早く来るべきだった。


 一瞬、部屋の中が明るくなったかと思うと、すぐに天の裂けるような音が轟いた。

 落雷の音を聞くと中学校の時にみた事故を思い出す。

 体育祭の練習で、応援団旗を振っていた生徒に雷が落ちた。

 彼のどんな行為が罰に値するのか、ツヨシには全く分からなかった。

 この世界ではどんなことも起こってしまう。


 雷が止まない。

 あの時と同じように、誰かが焼き殺されると思った。

 恐怖のあまり、また嗚咽が漏れる。


「うるさいなあ。もう、泣くのもいいかげんにしてくれよ」

 隣の部屋から部長の怒声がした。

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