第34話

 

「ボクの脳が必要というのはどういう意味ですか?」

「若者の反応というのはストレートで良いね。君のほうから話があるというくらいだから、余程気になってのことなんだろう」

 理事長はクックッと気味の悪い笑いを漏らす。

 

 部長との話の後、自分から理事長のパーソナル・コーチを申し込んだ。時間の指定はできないと言われた。看護師の山口さんに起こされたのは、夜中の一時過ぎだった。

 案内された理事長室の壁には得体の知れない獣の毛皮が何枚も貼り付けられている。

 山口さんは執事のように部屋の隅に控えていた。


「そのままの意味だよ」

「αだけでは足りない、ということですか?」

「そうだ、足りない。全く不足している。君にはαによる内部からの腫瘍摘出について話したが、無くしたたものは取り戻さねばならん」

「それがボクの脳ですか?」

「今日はこの前より物分かりが良くて助かる」

 理事長はベッドのような大きさの机の向こうで、肘掛け椅子にもたれている。慢性的に充血した目が、こちらを威圧している。実際には小さな体躯がやけに大きく見えた。


「夜も遅い。お互い長い話は省こう。移植医療については知っているね?」

 沈黙するしかなかった。

「……まあ、いい。人間の体に他人の臓器を移植するという技術は世間で認識されているよりもずっと進んでいている。いや、実際は可能なことが試されてこなかったという方が正しい」

 “正しい”という言葉に込められている理事長の確信が、部屋の空気を震わせる。

「移植技術において拒絶反応といわれる免疫系による移植臓器への攻撃が問題になることぐらいは、聞いたことがあるだろう? これは以前から神経外科の領域で指摘されていることだが、脳に対する拒絶反応は他の臓器に比べればずっと軽微だ。神経接続の複雑さをクリアできれば、本来移植に向いている臓器と言える。ただ、人間の勝手な倫理観で脳が神聖視されているから、誰も手出しはせんがね」

 理事長の言葉には人間に対する軽蔑が潜んでいる。“冒涜ぼうとく”という言葉が脳裏に浮かんだ。


「私は本来、精神科医だから門外漢なんだが、この分野では、危ない橋を渡りたくてウズウズしてる人間がたんまりいるんだ。協力者には事欠かない。私とは全く目的を異にするが、例え公表できなくても彼らには自分たちに何が可能なのか見てみたいどうしようもない欲求があるらしい。それを狂気と呼ぶかは世間に任せるとして、私はあの子の命を救うためにその力を乱用させてもらうとするよ。君の言う通り、αによる被害だけで生け贄が足りないのなら、生ける人間の脳も差しだそうというわけだ」

 理事長の視線がきつくなる。猛禽類が捕食する動物をみるような目つきだ。

「“毒を食らわば皿まで”というが、この際だ、テーブルまで貪婪どんらんに食らおうじゃないか!」

 しばらく哄笑こうしょうが止まらなかった。


「免疫反応が比較的軽微と言っても組織の適合性は重要だ。それを含め、αに対する耐性、神経伝達物質の受容体分布、ホルモン濃度を含めた血液学上の特性、脳波のプロファイル、全てにおいて君はシズカへの脳移植のドナーとして飛び抜けた適性を示している」

「脳って全部ですか?」

「あの子の人格が残存する領野を区画分けした結果、君の脳の約70%が必要だということが分かった」

「じゃ、死にますね。ボクは」

「君は死ぬが、大丈夫だ」

「大丈夫って……何がです?」

「あの子はそれで“再生”する」

 とても素晴らしい計画に思えた。全く問題がない。


「理由は以上だ。君の脳が欲しい。あの子のために死んでくれるね?」

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