第33話
部長は、しばらく、黙ったままだった。
そして、ボクが返事を諦めかけたとき、静かに「そうだ」と言った。
彼はそれから、訥々と、独り言をいうように語った。
「今覚えば、あいつらに何か魂胆があったんだろうけど、俺だけ面会フリーだったしな。入院してからほとんど毎日来てた」
語りながら、時々顔を歪めている。引っかかった記憶を掬い、言葉にすることは痛みを伴うようだった。
「俺、勝手に盛り上がって、卒業したら彼女と結婚するつもりだったしな」
時々笑いが混じる。
一年も経っていないのに、ひどく昔のことを話しているようだった。
「あの、もう彼女のこと、良いんですか?」
訊かずにいられなかった。
「俺が良くないって言ったらどうすんの? おまえ」
“どうするんだろう?”自分に訊くが、答えが見つからない。
「そういう返答に困る質問をするもんじゃないよ。特にこれから死ぬ先輩に」
顔には苦笑いが浮かんでいる。
「じゃあ、もう一度同じ質問してみろ」
ボクは胸を借りるつもりで同じ質問を繰り返す。
「……彼女のことはもう良いんですか?!」
「良くないに決まってんだろ! でも、仕方ないだろうが、俺じゃ、もう助けられないんだから!」
部長の涙が耳の方に流れていくのが見えた。両手首が縛られているせいで拭くこともできない。
「俺はもうすぐ死ぬから、ここから出られないしな。もう終演だよ。俺の出る幕じゃない」
自分に言い聞かせる調子だった。
「演劇は楽しかったな。俺たちがやってたのは劇とも呼べないかもしれないけど」
天井を見ているはず部長の目に何か別のものが映っている気がする。
「みんなで何かやるっていうのは結構楽しいもんだ。当たり前のことだと思ってたけど、ここに来て、あれは奇跡なんだと分かったよ」
急に現れた突き抜けたような明るい調子は、最後の渾身の演技なのかもしれない。
「何であんなことができたんだろう。嘘みたいだ。……ここにずっといると、何もかもが嘘だったんじゃないかって思えるよ。ここにいるベッドの上で縛られてる俺が本当で、みんなとバカみたいなことをやってたのは俺の頭の中だけにあるまったくの作り事なんじゃないかって思えてくる。両方とも本当だっていうのは残酷すぎるよ。でも、何もかも嘘だと思うのもつらいな。涙が出てくる。うん。やめとこ。こういうのは」
声が震えている。演技は失敗であるような気がした。
「それじゃ、もう、俺のことは忘れてくれ」
「いやです」
「それだと、気持ちが残ってつらいから、俺のわがままだと思って忘れて」
「ええ、そうします。きれいさっぱり忘れます」
「いや、そんなにさっぱりは忘れないでくれる? やっぱり寂しいから」
「はい、ボクが会った中で一番どうしようもない人として、絶対に忘れません」
「……うん、ありがとな」
部長はそう言ったきり、目を閉じた。
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