第32話


「久しぶり。もうすぐ、死ぬんだよ。俺」


「……冗談言ってる場合ですか? こんなとこに閉じこめられて」

「いや、それが冗談じゃ、ないんだなへへッ」

 部長の口の周りには髭が雑草のように伸びて、唇を覆い、話しづらそうだ。

 風呂に長い間入ってないのだろうか? 首には帯状に真っ黒い垢が付着している。 


「えっと……何で縛られちゃったんですか?」

「そりゃ、おまえ何するか分からないからだろう」

「ハハッ、そりゃそうですねえ」

 周りを見るとも木製の壁が爪で引っ掻いたような落書きで埋まっていた。異様だった。


「本当に、どうしたんです?」

「どうも、せんよ」

 どうしても、“どうもせん”ようには見えなかった。


「あのな、俺、もうすぐ死ぬんだ」

「それは、さっき聞きました」

「そうか……」

 枕もなく、頭を空中に浮かせてこちらを見ている。ベットに特殊な帯で縛り付けられたままだから仕方ない。 一度、ボクと視線を合わせてから部長が語り始めた。


「本当は、病気になってな。……頭の病気だ」

 ずぐには理事長の話と結びつかなかった。部長が感染者だとは想像もしていなかったからだ。

「もう、アイツらから聞かされてるだろ? 時々、急に暴れてムチャクチャだ。自分でも良く分からん」

 頭を振ろうとしているが、ベッドから頭を持ち上げるのがしんどいらしく、うまくいかない。

「記憶も、飛び飛びで、もうすぐおまえのことも分からなくなると思って、来てもらったんだ」

 しばらく黙っていた。何か、話すべきことがあるのに言いかねている、そういう雰囲気だった。


「ごめんな。俺、おまえが捕まるの知ってた」

 一瞬、頭がからっぽになった。それから、怒りではなく、妙に冷えたような寂しい感じが襲ってきた。


「じゃ、どうして……」

「暴れてこんなところにぶち込まれてる理由か?……あいつらがおまえだけじゃなくて、俺も捕まえる気だって、あの時知った。このまま捕まってたまるかって、思うよな。普通」

 部長は自分の言うことに一つ一つ頷いて、彼自身を納得させながら、話しているように見えた。

「でも、その後分かったんだ。どうしておまえだけじゃなく、俺まで出られないのか。もうあの時には、俺も感染してるって“アイツら”は分かってたんだろう。最初から、おまえと一緒に俺も、捕まえるつもりだったんだ」

 部長が“アイツら”と言うときの強い調子が、その憎しみとともに伝わってくる。

「もう、死ぬと決まるとこういうことが気になるんだけど、俺をあんまりひどい人間と思わないでくれるか?おまえを捕まえるのはシズカのために仕方なかった」

 ボクを入院させてさらに感染者を一人増やすことが、どうしてシズカちゃんのためになるのか、全くつながらない。

「おまえの脳が必要なんだよ。あいつらは」

「そ、それはどういう意味で?」

「さあ、俺も良く分からん。でも、どうしても彼女のために必要だとか言われたら、そら仕方ないだろ?」

 どう仕方ないんだろう? 飛躍があり過ぎて部長の思考を追うことができない。


「それからできればこれも許して欲しいんだけど、俺本当はおまえのこと殺そうと思ってた」

 ……どう許せばいいのか見当もつかない。


「だって、おまえの体が必要なら、それが一番てっとり早いと思ってさ。でも、一番先に脳が死んじゃうらしいから、だめっていうの聞いてやめたんだ。おまえのこと殺さずに済んで本当に良かったよ。合掌」

「合掌。じゃないでしょ?」

「じゃ、アーメンか?」

 ボクの命が羽毛のように軽いことを思い知る。あまりにもひどい扱われ方でむしろ清々しい気持ちになった。「今すぐ殺して良い?」と聞かれたら、間髪入れずに「はい!」と答えてしまいそうだった。


 それから、ボクはさっきから気になっていたことを訊くことにした。

「彼女のところにいつも来てた男って、部長ですか?」

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