第31話
「死ななくて良かった」
朝、目覚めた彼女の顔を見て、言ってしまった。
「そう簡単に死なないわよ」
微笑んでこちらを見る。
ほっとした。
「元気なときは死にたい、死にたいって言ってたのに……」
長くしゃべろうとしても、息が続かない。
「死にそうだと、生きたくなるの。不思議ね」
フフッと漏れた投げやりな笑いが気にかかった。
「それは、いいことだよ。きっと」
「そうね、きっといいことなのね」
“きっと”を強調した返事が皮肉に響いた。
「分からないのよ」
彼女は息を整えている。すぐに呼吸が乱れるようだった。
「何が良くて、悪いのか。自分ってどんな人間だったのか。もう、変わりたくない。前のわたしと同じでいたい。わたしがしていた通りにしたいし、わたしが良いと思っていたことを良いと思いたい」
言葉を確かめながら、噛みしめるように話す。
「でも、自分のコピーをしている時点でダメね。こんなこと考えなくても、前はちゃんと自分でいられたのに
何もかもうまくいかない。何もかもダメね」
「だめじゃないよ。きっと良いこともあるよ」
「そんな言い方やめてよ! もっと惨めになるから!」
急に彼女が叫び始めた。
「あなたには分からないのよ。何にも努力しなくても当たり前みたいに生きてて、“ボクはボク”みたいな顔して。そんなのちっとも当たり前じゃないのよ!」
「当たり前だとは、思ってないよ」
言葉の過ちを重ねていることを自分でも分かっているのに、止められない。
「その言い方も、だめよ。全然分かってない。分かってたら、そんな言い方しない」
「じゃあ、どんな言い方ならいいんだよ!」
大きな声で返してしまう。
「……どんな言い方でも、だめよ」
今度は、沈んだ調子になる。彼女の“ジェットコースター”についていけない。
「どうして黙ってるの?」
話せば、必ず怒らせてしまう。どうせ怒るから、とは言えない。
「わたしのこと嫌いになった?」
「そんなことないよ」
思わず否定してしまう。
「そんなことあるのよ! みんなすぐに嫌いになるのよ。気に入らないことがあるとみんなわたしにヒドイことを言うのよ!」
「言わないよ。ヒドイことなんか」
「いちいちわたしの言うことに反対しないで!」
どこにも出口のない会話だ。すべてが罠になっていて、どう言っても彼女を怒らせる。
「全部だめ。すべて、すべて、すべてだめよ。その顔もだめ。今、ため息ついたのも、だめ!」
“すべて、すべて、すべて……”という繰り返しが耳に残る。
「あなたは0点よ。ぜんぜんできてない。点数はあげられない」
彼女が怒り疲れて眠るまで、叱責や罵声は続いた。
いつのまにか涙が出ていた。彼女の気に入るように言葉を紡ぐことができない自分が情けなかった。
彼女がいったい何を求めているのか分からない。まさしく“0点”だった。
彼女を救いたい。
彼女にとって“救い”とはいったいなんなのか、それがまったく分からない。
ナゼだろう?
それは、ボクが救いようのないバカだからだ。
放送で呼び出されて詰所に行った。
山口さんだった。
「あなたに会いたいっていう人がいるわ。来て」
先導されるまま、扉のむこうに行った。
滅多に開くのを見ることがない分厚い鋼鉄の扉だ。
ここから先は“問題”のある患者を入れておく保護室と呼ばれる病室だった。
「久しぶり」
案内された部屋のベッドに縛り付けられていたのは、苦笑いのような表情を浮かべた部長だった。
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