第30話
彼女は助けを求めるような姿勢で、こちらを頭にして倒れていた。
すぐに駆け寄る。
「どうした!」
呼びかけても返事がない。
大きく揺すってみる。
さらに揺すり続ける。今度は全身が揺れるほど強く。
わずかに、彼女の指が動いた気がしした。
次の瞬間には、動いた指から震えはじめ、腕、肩、首へと広がって行く。
どうしよう!どうしよう!と言いながら、その震えを抑えようと、腕を掴むが何の効果もない。
“何が起こってるんだ!”
“自分が揺すったのが悪かったのか?!”
もう、止まらない。彼女は全身でガクガクと震え始める。
頭が揺れる度に、床に打ち付けられて、ドンッ、ドンッと鈍い音を立てる。
どうしよう!彼女が死んでしまう。
どうしよう!何もかもボクが悪いんだ!ボクが!
人を呼ぶことも思いつかず、せめて頭を打たないように、彼女の頭部を抱え込んでいるところに、大きな音がして扉が開けられた。カートを押しながら複数の看護師が
「下がってください! とにかく下がって!」
オロオロするボクに いつか夜に会ったことのある山口看護師が鋭く指示を出す。
男性看護師が全身で痙攣している彼女をベッドに運ぶ。
山口さんがすぐに腕の服をめくり、震え続ける腕を無理矢理押さえて、注射針を突き刺す。
反対の腕では、男性看護師が血圧を測っている。
理事長が病室に駆け込んできた。
「セルシンを1アンプル静注!」
薬剤を注射するよう指示を出す。
「何をぼーっとしとんるだ! 早くアンビュ使え! 酸素落ちとるだろうが!」
男性看護師を叱り飛ばす。顔面が紅潮し、鬼にしか見えない。
ぼくは邪魔にならないように、遠くから見守ることしかできなかった。
彼女のけいれんが波が引くように治まってきた。
白目を剥いて苦しそうだった表情も穏やかになり、深い眠りを示す穏やかな寝息を立て始めた。
理事長はボクの存在に初めて気づいたように後ろを振り返って言った。
「この病院には集中治療室みたいな気の利いたもんがないからな。ここなら酸素の配管も来とるし、きみには悪いが治療室代わりに使わせてもらうぞ」
ボクは突っ立ったまま、声も出せずに、ただ頷いた。
「心配したかな? ただ、完全に安心はできないが、死んだりはせんだろう」
「すみません。ボクが……本当にすみません」
「きみが謝ることはなにもないだろう」
理事長は聴診器で胸の音を聞いていた。
ボクは彼女の白い胸から目をそらす。
肌だけではなく、何か目にしてはいけない秘密を覗いてしまったような罪悪感を感じた。
痙攣が
彼女がいなくなりそうだった。
無くしてはならないものが、この指からすり抜けそうだった。
……底なしの不安。
心臓の音が、胸の表面まで振動として伝わってくる。
彼女をなくしてはならない。
なんとかこの世につなぎとめておかなくてはならない。
「きみがいてくれて良かった」
体の診察を終えた理事長が先ほどよりは緊張を解いた表情で言った。
「もちろん、見回りの看護師は来るが、何かあったらいつでもナースコールで知らせてくれ」
どうしてボクはさっきコールボタンを押さなかったのだろう? と今さら気づく。
看護師たちは、ボクが何も知らせなかったのに飛び込んできた。
それが何を意味するのか……。
ボクはそのことをそれほど不快には思わなかった。
どうぞ、見ていて欲しい。不甲斐ないボクが、彼女を守るには、他の眼も必要だ。
これは情けないが、事実だった。
その後、看護師たちがベッドの周辺を整え、病室を去った後も、彼女は目を覚まさなかった。
ずっとベッドの下に入っていたドジョウが出てきて、クーンと鳴きながらスリッパを舐めた。
また震えてないか、ちゃんと息をしているのか、できることはないのに彼女の側からはなれることはできない。
その晩、ベッドの脇でずっと彼女の胸が上下するのを確かめながら過ごした。
ここが、本当の居場所だと思った。
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