第27話

 ドジョウの様子が変だ。

 落ち着きなく部屋の中を歩き回ったり、警戒してうなり声を出すことが増えた。かと思えば、しっぽを巻いて怯えたようにベッドの下に入ったりする。餌の量も減って痩せた印象がある。人間のご飯をわけても、少し口をつけてやめたりする。


 彼女はここ数日間、比較的安定している。“ジェットコースター”は平坦な部分に来ているようだった。ドジョウのことを心配して「おまえ、痩せてしまったねえ」と言って背中を撫でたりする。ドジョウのことも心配だが、そのことで彼女が落ち込まないか気にかかる。

 昼間、一日中ロッキングチェアに座って音楽を聴いていることについては変わりなかった。



 この病院では“患者教育”の一環として定期的に講演イベントが開かれるらしい。 

 全患者を大講義室に集め、理事長の講話を聴く。


 今日これから、その講演が始まろうとしていた。

 大切なイベントらしく、“粗相”がおこらないように講義室の出入り口と列ごとに屈強な男性看護師が配置されている。割り当てられた座席に移動する途中、ユウさんがこちらを見て手を振っていたが、すぐに看護師に注意され、どこかに連れて行かれてしまった。そのほかは普段やんちゃな患者たちも静まりかえり、重々しい雰囲気で理事長の登場を待っている。

 突然照明が落ち、中央の入り口にスポットライトが当たった。

 スピーカーが割れそうな大音量で“21世紀の精神異常者”が流れ、勢いよく扉が開いた。

 そこには白いスーツを着た理事長が両手を上げて立っていた。


 均等に配置された看護師たちの大きな拍手につられて、患者たちも拍手を始める。ある程度拍手が盛り上がったところで、理事長は両脇をボディビルダーのような看護師に守られて、ゆっくりと壇上まで手を振りながら歩いていった。足取りは老齢を感じさせず、しっかりとしている。


「みなさんはエリートです。言わば、選ばれた民だ。

 世間の冷たい目にさいなまれてきたはず。いわれのない迫害を受けてきた。そして、ここにたどりついた。

 あなたたちは間違っていない。

 否定されるべきは狭隘きょうあいな価値観しか持てない世間のほうだ。

 自分の感じたことを大切にしましょう。それは間違っていません。

 心の声に耳を傾けましょう。重要な示唆を含んでいるはずです。

 頭に浮かんだ考えを実行しましょう。きっと新しい道が開けます。

 全てこれからは自分を肯定して生きましょう。

 いいですか? あなたたちは間違っていません」


 治療に関する話というより、ほとんどは宗教の講話のような演説だった。これに感動する人がどれくらいいるのか、ボクには分からなかったが、時々すすり泣く声がしたりハンカチで目を押さえる患者がいるところをみると、理事長の信者が一定数存在しているようだった。


 演説が終了した。これでやっと解放されると思ったが、長い拍手に続いてそれが手拍子に変化し、どうやらアンコールがあるようだった。このイベントに耐えられているだけで、相当な精神力の持ち主ではないかと思った。

「ありがとう。みなさんが私の話を理解できるのはみなさんが純粋だからです。邪な社会で生きるには純粋過ぎたのです。ここは社会からみなさんを守る避難所シェルターです。致命的な汚染から守る避難所なのです。この浅井羅無蔵、みなさんの健康のため、生命のためにこの身をなげうって尽力致して参ります。最後に申しますが、入院治療のかなめはお薬です。命綱です。ノー・ドラッグ、ノー・ライフ! さあ、 みなさん、ご一緒に!」

 ここで理事長が右手を振り上げ、患者たちと唱和する。

 ノー・ドラッグ、ノー・ライフ!

 ノー・ドラッグ、ノー・ライフ!

 ノー・ドラッグ、ノー・ライフ!

 ご静聴ありがとうございました!


 このアンコールが終わると理事長を中心として全体の写真撮影会があり、そこでは全員が笑顔でピースサインをすることを強要された。


 今度こそ解放され、他の患者と一緒に自分の病室に帰ろうとしたとき、看護師に腕を掴まれた。

「待ってください。あなたにはパーソナル・コーチがあります」

 聞けば、入院後間もない患者や問題のある患者には講義後に理事長によるパーソナル・コーチの時間が設けられているらしい。

 すっかり気力を無くしていた。市場に引かれていく牛のように理事長専用の診察室へと向かった。

 

 他の診察室よりは重厚な木製のドアを開けると、この病院のカリスマが深々と頭を下げたまま出迎えた。


「改めて、孫がいつも世話になっているね。私が祖父の羅無蔵らむぞうです」

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