囚われの花

 暗い海原から人魚たちが次々と顔を出し、星空を仰ぐ。岩礁がんしょうに座っていたメルマイドは薄紅色の眼を大きく見開いていた。

 ニンゲンたちの操る竜骸りゅうがいをメルマイドは何度か見たことがある。恋人であるコーララフは、いつもそれに乗って自分に会いに来てくれたから。

 だが、これほどまでに巨大で禍々しい竜骸をメルマイドは見たことがなかった。

 小島ほどもあるその竜骸は、つたと化した無数の灯花で全身を覆われ、水晶の内側に建物が立ち並ぶ通路をいくつも持っている。竜骸に巻きついた灯花たちは、その存在を誇示こじするかのように不気味に明滅を繰り返していた。

 あれは聖都にあるという銀翼の女王の竜骸ではないか。恋人が巨大な竜骸そのものが聖都であると語ってくれたことがあるから。

 りぃんとメルマイドの髪飾りが音をたてる。鮮やかな桜色の髪飾りには、コーララフの魂が宿っているのだ。

 彼の友人である花吐きが、メルマイドの親友とともにコーララフの魂をこの髪飾りに変えてくれた。

「ヴィーヴォ……。ヴェーロ……」

 友人たちに何かあったのだろうか。そっと恋人の髪飾りをなで、メルマイドは顔を曇らせる。

 星空へと昇っていく巨大な竜骸を、メルマイドは見送ることしかできなかった。




「どう、ヴィーヴォ? 普通の人間に戻った感想は――」

「ぐぁ……」

 首筋の傷に爪を立てられ、ヴィーヴォはうめく。巻かれた包帯に血がにじみ、ヴィーヴォは鈍い痛みを全身に感じていた。

「きゃはは! ちゃんと手当てしても痛いものは痛いんだね」

 自分の眼の前にある若草の顔が嘲りに彩られる。

 暗い部屋の中で妖しく光る彼の眼をヴィーヴォは睨みつけていた。本当は殴ってやりたいところだが、自分の手足を拘束する蔓状の灯花たちがそれを許してくれない。

「おぉ、恐い……。でも、花吐きとしての恩寵おんちょうを失った君に、もう灯花たちは応えてくれないよ。その証拠に、君からは花の香りがしない。君の眼には星すらも宿っていない。まだ能力を失ったばかりだから、少しはいい香りがするけどね……」

 べろりとマーペリアが首筋を舐めてくる。体を震わせる自分を見て、マーペリアはいやらしい笑みを浮かべてみせた。

「あぁ、君を虐めていると本当にゾクゾクする。父さんが君に手を出した理由がよくわかるよ」

ひねくれマーペ……。まさか君まで父親と似て変態へんたいだとは思わなっ、あっ、やぁ!」

 嘲笑ちょうしょうを浮かべるヴィーヴォの傷口を、マーペリアは容赦なえぐる。

 血に濡れた指先を口にくわえ、彼は舌で血を舐めとってみせた。ねっとりとした唾液が彼の指先を嫌らしく輝かせる。

「生意気な口を聞くと、オレも君を女のように扱わないといけなくなるかもしれない。傷口じゃなくて、君の秘密をオレが暴くことになる……」

 耳元で囁き、マーペリアは唾液に濡れた舌でヴィーヴォの耳たぶをめあげる。びくりと体を震わせ、ヴィーヴォは潤んだ眼をマーペリアに向けていた。

「最愛の人に裏切られて、花吐きとしての能力も奪われたのに、君はまだ抵抗ていこうするんだね……。オレは君のことを本当の親友だと思っているのに」

「何が親友だ。僕たちを、兄さんを散々な目に合わせたくせしてっ!」

 マーペリアにヴィーヴォは叫んでみせる。マーペリアは困った様子で肩を落とし、ヴィーヴォから顔を離した。

「それに、ヴェーロは僕を助けるために花吐きの能力を奪っただけだ。君にかどわかされて――」

「彼女がそれを望んだんじゃないか? だから、ヴェーロちゃんは教えた通りに君から花吐きの能力を奪った。そうすれば、君をほふりたいという欲求が治まると言ったのはオレだけどね」

「彼女の名前を気安く呼ぶなっ!」

 ヴィーヴォの怒鳴り声に、マーペリアは不機嫌そうに眼を細める。

「やめてよヴィーヴォ……。オレをこれ以上怒らせないで。君とは死に別れるまで友達でありたいんだ」

 そう語る彼の眼には色が宿っていない。ヴィーヴォはその眼差しに背筋が凍るのを感じていた。

 彼の中に宿る狂気が、その眼差しに込められている気がしたから――

 それでも負けじとヴィーヴォは彼を睨みつける。マーペリアは困った様子で嘆息し、言葉を続けた。

「庭師さんもヴェーロちゃんだって無事だって何度も言ってるだろう? それに、銀翼の女王は君がいて初めて真の復活を遂げる。君の魂がヴェ―ロにわれることで、すべては完遂かんすいされるんだ」

 自身を抱きしめうっとりとマーペリアは言葉を紡ぐ。その言葉の意味をヴィーヴォは理解していた。

 虚ろ竜は花婿に選んだ人物の魂を喰らうことで、成竜となり自身の世界を持つことが可能になるという。兄から聞かされたその話を、ヴィーヴォは信じられない気持ちで聞いていた。

 ポーテンコは言った。

 自分が亡くなる直前に、ヴェーロの母親は自分の魂を喰らうために再び現れるのだと。

 そう約束を交わし、彼女を中ツ空《なかつそら》に帰したのだと――

「ヴェーロちゃんが成竜となったときこそ、銀翼の女王は覚醒する。そうすればみんなが幸せになれるんだよ、ヴィーヴォ……」

 眼を細め、うっとりとマーペリアはヴィーヴォに微笑みかける。彼はヴィーヴォの両頬を手で包み込み、ヴィーヴォの唇に自分のそれを重ねてみせた。

「君がヴェーロちゃんの花婿として食べられる瞬間を、見守ってあげるからね。血の一滴まで君が彼女に喰われつくされるその瞬間まで……」

 ねっとりとした甘い囁きが耳元でする。なぶるように耳を舐められ、ヴィーヴォは甘い声を発していた。

「君は、オレたちの王さまになるんだ、ヴィーヴォ……」

 ふっと耳に息を吹きかけられ、ヴィーヴォはびくりと肩を震わせる。マーペリアは満足そうな笑みを浮かべ、ヴィーヴォから離れていく。

「また来るよ、君たちの家族が待つ大天蓋が近づいてきたらね」

 マーペリアは不敵な笑みをヴィーヴォに向けてきた。ヴィーヴォが彼を睨みつけると、マーペリアは寂しげに眼を曇らせる。

 顔を逸らし、彼はヴィーヴォの囚われた部屋からでていく。その様子をヴィーヴォはじっと見つめていた。





 


 さて、芝居はここまでだ。

 マーペリアが去っていったのを確認し、ヴィーヴォは鋭く眼を細めていた。それと同時に漆黒に塗りつぶされたヴィーヴォの眼に、星の瞬きが宿る。

 ヴィーヴォは得意げに笑ってみせ、自分を拘束こうそくする灯花たちに話しかけた。

「お芝居しばいに付き合ってくれてありがとう。君たちが、協力してくれるとは思わなったよ」

 ヴィーヴォの優しい声を合図に、自身の体を拘束していた灯花たちはヴィーヴォの体から離れていく。 蔓のように伸びた茎は元の長さになり、紫陽花の灯花たちはもとの可憐な姿を取り戻していた。

 灯花たちは、さみしげな音を奏でてみせる。ヴィーヴォは腰を曲げ、そんな灯花たちを優しくなでていた。

「マーペリアを止めて欲しいんだね……」

 ヴィーヴォの言葉に、花たちは静かに明滅めいめつを繰り返す。

 灯花は自分たちを吐いてくれた花吐きをした習性しゅうせいを持っている。その習性を利用し、花吐きは灯花たちを武器として使用することすらある。基本的に灯花が主である花吐きに逆らうことはない。

 その花吐きが間違いを犯していると判断しない限りは――

 そっとヴィーヴォは拘束されていた手首を見つめる。花たちの拘束は緩く、そこには縛られた跡がうっすらと残っているばかりだ。

「本当、マーペのお陰で助かった……」

 そっと手首をなで、ヴィーヴォは微笑んでみせる。普通の人間の振りをするのは意外と簡単だった。星たちと灯花たちが協力してくれたからだ。

 それから――

抑制剤よくせいざって、本当に役に立つ……。でも、そろそろ時間切れかな……」

 ヴィーヴォからむせるような花の香りが漂い始める。竜胆りんどうの香りに似たそれは、嗅ぐ者をわせ誘惑ゆうわくする。

 精通せいつうが来てからヴィーヴォはこの香りに悩まされてきた。香りを嗅いだものが、自分に嫌らしい眼を向けることも苦労したものだ。

 おそわれそうになったこともあったし、ヴェーロが香りに充てられて自分を押し倒したこともあった。そんな自分が聖都に戻ってきたとき兄が渡してくれたのが、花茶樹を乾燥させることでできる抑制薬だ。

 ポーテンコ曰く、二次性徴を迎えた花吐きは無意識のうちに誰かを誘っているのだという。

 ただし、聖都で抑制薬を口にすることは、あまりいいことだとされていないらしい。

 その理由が何となくわかって、ヴィーヴォは乾いた笑みを顔に浮かべていた。

「本当、聖都追放されててよかったよ……。じゃなきゃ、ヴェーロもどうなっていたことか……」

 愛しい人の笑顔を思いだして、ヴィーヴォは眼を伏せる。

 花吐きの能力をヴェーロが奪おうとしたそのとき、ヴィーヴォは彼女に告げたのだ。

 能力の半分だけを彼女に分け与えると。自分が助けに行くまで、どうか待っていてほしいと。

 母親を中ツ空なかつそらに還しながら、花吐きとして活動しているマーペリアの存在がヒントを与えてくれた。

 花吐きの力の一部を譲渡じょうとすることができれば、彼女たちは愛しいものを食べたいという欲求から逃れることができるのではないか。

 目論見は当り、ヴィーヴォは花吐きとしての力を失っていない。

「力を貸してくれる?」

 ヴィーヴォの言葉にマーペリアの灯花たちは涼やかな音色を発する。紫陽花の形をした灯花たちは幹を蔓のように伸ばし、ヴィーヴォの両掌へと集まっていく。

 蔓たちは絡まり合い、その姿を小さな短剣へと変えていた。ヴィーヴォは自分の手に収まったそれを優しく握りしめる。

 短剣の柄は紫陽花あじさいがくが重なり合うような形状をとっていた。薄紫色に光る刀身には星の輝きを宿したヴィーヴォの眼が映り込んでいる。

 その眼を鋭く細め、ヴィーヴォは短剣の柄を握りしめる。

 


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