夜と胎動

 外の灯りが暗くなっている。灯花が、『夜』の訪れを告げているのだ。

 暗闇に閉ざされたこの水底にも時間の概念がいねんはある。その時間の変化を灯花は感じとり、明るさを変えていくのだ。

「あぁ、もうそんなに時間が経つのか……」

 窓の外に広がる暗い街並みに、マーペリアは呟いてみせる。寝台から起き上がると、体に鈍痛どんつうが走った。自身の裸体につけられた無数のみ跡を見て苦笑してしまう。

「マーペ……」

 そんなマーペリアに甘えた声をかける者がいる。自分の脇で横になっていた教皇は、息子である彼の体に両手を巻きつけていた。

「もう、息子にこんなことして、母さんはなんて言うか……」

「お前が、私を捨てようとするからだよ……」

 困ったように声を発し、マーペリアは父の長い髪を優しくいてやる。顔をあげ、父は鋭い眼差しを若草に向けてきた。

「私より、お前はヴィーヴォを選ぶのかい?」

 一糸まとわぬ裸体を起こし、教皇は息子の頬に指を走らせる。マーペリアはその指に自身の指を絡ませてみせた。

「だって、ヴィーヴォはオレたちの王様になるんだ。母さんに会いに行くためにも、彼は大切にしなきゃ。悪戯いたずらするなんてもってのほかだよ。それに、母さん以外の人のことをもう考えないでっていったよね……」

 ぎゅっと指を絡ませた父の手を握りしめ、マーペリアは彼をにらみつける。

「オレの力と引き換えに、母さんは空に帰った……。でも、この目を通じてオレと母さんはずっとつながっていたんだ……。繋がっているはずだった……」

 自身の片眼鏡をそっとさわり、マーペリアは眼を瞑る。

 かつて、マーペリアは母を中ツ空《なかつそら》に返すために、片目に宿った花吐きの力を母に渡した。それが、母が中ツ空に還る唯一の方法だったからだ。

 どうして母が花吐きでない父を選んだのか自分には分からない。

 それでも母は自分を身籠り、人の女として父の妻になった。

 そして母が空に帰った後も、マーペリアは視力を失った片目を通じて母の景色を見つめることができた。

 虚ろ竜が飛ぶ、星空の向こうの光景を――

 その話を父に伝えることがマーペリアの楽しみであり、父との絆を深める行為こういだった。

 それが途切とぎれたのは、いつ頃だろうか。

 最後に見たのは、暗転する視界と、無数の銀の翼を持つ虚ろ竜たちだった。

 その光景を見てからマーペリアの片目は視力を失い、中ツ空の光景を映すことはなかった。

 それが示すことはただ1つ。

 母は、同じ虚ろ竜たちに殺されたのだ。

 水底にいる色の一族と同じく、虚ろ竜たちにも様々な種族がいる。その中の1つ、銀翼の一族は中ツ空と水底の境を守護する存在でもある。

 かつて彼女たちの先祖である銀翼の女王が、水底を護るために一族に課した任務だという。彼女たちは水底と中ツ空をへだてる大天蓋を守護しているのだ。

 母は彼女たちに追われ、この水底に落ちてきたそうだ。その母を父が助け、2人のあいだにマーペリアが生まれた。

 花吐きとして生まれたマーペリアは、いつも空を見上げては涙を流す母の姿を見て育った。

 母はマーペリアによく言ったものだ。

 ――空に帰りたい。でも、あなたとお父さんを置いてこの世界を離れられないと。

「私が、あのとき捕まらなかったら……。お前は母さんとずっといられなたのかな?」

 マーペリアの癖毛くせげをなでながら、教皇は苦笑する。マーペリアはそっと父の手を放し、彼を抱きしめていた。

「でもオレたちは緑の一族の長であったおばあさまを殺して、一族を乗っ取った。それから、庭師さんと空から落ちてきた銀翼の竜を使って、竜ちゃんを生みだした」

「すべては、母さんのためだ」

 そっとマーペリアの顔を引き寄せ、教皇はその頬に唇を落とす。彼はマーペリアの体を強く抱きしめていた。

 まるで、マーペリアの存在をたしかめるように。父の体から伝わるぬくもりが気持ちよくて、マーペリアは眼を瞑る。

 母と恋に落ちた父は聖都から逃れ、母と僻地へきちで暮らしていた。そこにはヴィーヴォの母とポーテンコもいた。だが教会は色の一族である父親たちの裏切りを許さなかった。

 ヴィーヴォの母は聖都を追放され、ポーテンコは二つ名の花吐きとして聖都に連れていかれる。

 マーペリアは、母に花吐きの能力の一部を与え彼女を空に還した。そして、父とともに聖都に連れ戻されたマーペリアは、緑の長であった祖母を父と共に殺した。

 それからはとんとん拍子だ。

 黒の一族はポーテンコと傍系ぼうけいを残して処刑され、黒の一族と対立していた緑の一族が聖都の覇権はけんを握る。祖母の代わりに長となった父は教皇の座を手に入れ、あることを画策かくさくした。

 母に再び会うために――

 でも、その母はもういない。

「大丈夫、きっと母さんは喜んでくれるよ。母さんの一族はオレたちを歓迎してくれるはずだ。だから中ツ空に行こう父さん。母さんの故郷へ――」

「当たり前だよ。そのためにポーテンコを使って、私は彼女を生みだしたのだから。銀翼の女王の魂を受け継ぐ、ヴィーヴォの竜を」

「彼女はまだオレみたいに目覚めてないようだけど。ヴィーヴォも……」

「だから、金糸雀に彼を引き合わせるんじゃないか」

 父が翠色の眼を歪めてわらう。その笑顔がなんだか滑稽こっけいに見えて、マーペリアは苦笑していた。父の手を振りほどき、マーペリアは天蓋の寝台から降り立つ。

「マーペ……?」

 名前を呼ばれて、マーペリアは父親に笑顔を送っていた。瞬間、自身の体が光り輝いていることに気がつく。全身が激痛げきつうに包まれ、骨格がきしんだ音をたてて変わっていく。

「りゅん……」

 マーペリアだったものは緑の鱗を持つ1匹の竜へと転じていた。

 小鹿ほどの大きさの竜は、天蓋の側にある丸机へと飛んで行く。その机の上には、血で満たされた水晶の瓶が置かれていた。

 マーペリアが、ヴィーヴォの竜に頼み込んで分けてもらった血だ。この血さえあれば、人である父を中ツ空に連れていくことができる。

 瓶を口にくわえ、マーペリアは父のもとへと飛んで行く。寝台に降りたった息子を、教皇は優しくなでていた。

「本当にいいのかい? マーペリア」

 大きな翠色の眼を瞬かせ、マーペリアは父の膝の上にくわえた瓶を置く。

「お前は、本当に優しい子だね」

「りゅん……」

 父が首を抱き寄せてくる。父の声がどこか寂しそうだ。マーペリアはそんな父を慰めたくて、優しい鳴き声を発してみせた。

 マーペリアの頭を優しくなでながら、父が子守歌を口ずさむ。

 その子守歌に、マーペロアはうっとりと眼を細めていた。

 遠い昔に、母が自分に聞かせてくれた子守歌だ。そして、母の死を目の当たりにしたショックで永い眠りについていたマーペリアを起こしたのも、この子守歌の音色だった。

 どうしてヴィーヴォの子守歌が自分を覚醒させたのか、マーペリアには分からない。でも、それからマーペリアの中で彼は特別な存在になった。

 自分と同じ、異形いぎょうのものから生まれた少年。自分の父が虚ろ竜である母を愛したように、卵からかえした虚ろ竜に恋をした少年。

 自分を花吐きではなく、友達として見てくれる親友。

 そんな彼が自分たちの王様になるのだ。これ以上嬉しいことはない。

 そしてそれは、ヴィーヴォ自身の幸福でもある。

「りゅん……」

 ともに幸せになろう、ヴィーヴォ。

 その思いを胸に、マーペリアは鳴き声をはっする。




 



 

 黒い法衣にそでを通す。着心地が良すぎて、ヴィーヴォは落ち着かない心持になった。

 サイドの髪を三つ編みにして、鏡に映る自分に微笑んでみせる。すると、暗い眼に宿った光たちが応えるように明滅めいめつを繰り返した。

 ヴィーヴォの眼に宿った星たちが、何かを伝えようとしている。でも、いくら星たちに心の中で呼びかけても、彼らは応えてくれないのだ。

「言えないほど、君たちを追いつめる何かがここにはあるの?」

 彼らへの問いを口にする。すると、眼の中の星たちは煌めき、ヴィーヴォの言葉に応えてみせた。

「そっか……。君たちじゃなくて、僕を追いつめる何かが聖都にはあるんだね」

「お前は、それに触れる勇気があるのか?」 

 そんなヴィーヴォの言葉に、ポーテンコが答えてみせる。後方へと振り返ると、着替えを済ませたポーテンコが浮かない顔をこちらに向けていた。

「なに兄さん、その辛気臭しんきくさい顔……」

 俯く兄に、ヴィーヴォは苦笑を送ってみせる。

「私は、お前にあれを見せたくはない。でも、そうしなければいけないんだ……」

 ポーテンコは暗い声をはっする。ヴィーヴォは顔を顰め、そんな兄に歩み寄っていた。

「兄さん。僕は知りたいんだ。僕のいないあいだに聖都で何があったのか。金糸雀や緋色がどうなったのか。夜色の僕には、知る権利がある。ううん。知らなきゃいけないんだ」

 浮かない兄の顔を見すえ、ヴィーヴォは真摯しんしな声で告げていた。ポーテンコは大きく眼を見開いて、ヴィーヴォを見つめてくる。

「それに……兄さんはいつも僕の気持ちをわかってくれない。どうして、いつも独りで抱え込むの? ヴェーロのことだって、もっと早く教えてくれれば……」

「すまない……」

 ヴィーヴォの言葉に、兄は気まずそうに顔を逸らしてくる。気弱な兄を見て、ヴィーヴォは嘆息を吐いていた。

 いつも自分の兄はこうだ。気持ちを伝えることが下手糞で誤解ごかいばかり生みだす。

「でも、兄さんのそういうとこ。嫌いじゃないよ……。ムカつくけど……」

 苦笑して兄の顔を覗き込んでやる。案の定、ポーテンコは驚いた様子で自分を見つめ、後ずさりした。

「ヴィーヴォ……近い」

「ワザと近づいてる。兄さんが嫌がると思って」

「昔のお前は、もっと可愛げがあったぞ……」

「何年前の話だよ」

 兄に意地の悪い笑みを浮かべてみせる。ポーテンコは困惑した様子で眉根を寄せていた。その仕草が、どことなく人の姿をとったヴェーロと重なって見える。

「似てないって思ってたけど、言われてみるとそうでもないな……」

「ヴィーヴォ……?」

「兄さんにいいことを教えてあげる……。1度しか言わないよ」

 くすりと微笑んで、ヴィーヴォは兄の耳元で言葉を囁く。瞬間、ポーテンコは大きく眼を見開き、ヴィーヴォを凝視ぎょうししてきた。

「お前、その名前は……」

「うん、あなたの娘の名前ですよ、兄さん」

「正気か……」

「あなたが、ヴェーロの父親だから話したんだ」

 すっと眼を鋭く細め、ヴィーヴォは鋭い言葉をはっしていた。

 彼にヴェーロの名前を告げるべきか本当に迷った。でも、今のポーテンコならヴェーロを悪用する心配はない。

 彼は、彼女の父親なのだから。

 それに――

「兄さん。きっと僕はもう長くない。だから、そのときは僕の代わりに、彼女のことを頼みます」

 ふっと眼を伏せて、ヴィーヴォは兄に言葉を告げる。

「ヴィーヴォ……」

「お願い兄さん。ヴェーロを幸せにしてあげて」

 唖然とする兄に、ヴィーヴォは顔を向けてみせる。笑顔を浮かべると、兄はとても辛そうに眼を歪めてくれた。

「それと、いつも子守唄をうたってくれてありがとう……」

 笑みを深め、ヴィーヴォはポーテンコに感謝の言葉を告げる。ヴィーヴォの言葉に、兄は大きく眼を見開き自分を見つめてきた。

 夢の中で会った珊瑚色の言葉から分かった。

 母の子守歌を聞かせてくれたのは、珊瑚色ではなく兄のポーテンコだと。冷たいと思っていたたった1人の肉親は、自分を愛してくれていた。

 自分を慰めるために、いつも歌をうたってくれた。

 だから、ヴィーヴォは愛しい人の名を彼に託したのだ。

「ヴィーヴォ……」 

 ぎゅっとポーテンコが自分を抱きしめてくれる。兄の体が震えていることに気がつき、ヴィーヴォは静かに眼を瞑っていた。

 美しいアルトの旋律をヴィーヴォは口ずさむ。

 それは、母が遠い昔に歌ってくれた子守歌だ。そして、兄が自分を慰めるために密かに歌ってくれたうたでもある。

 ポーテンコの嗚咽おえつが聞こえる。

 ぎゅっと兄を抱き寄せ、ヴィーヴォは彼を慰めるために歌を紡ぐ。

「ヴィーヴォ……」

 ポーテンコが小さく声をかけてくる。顔をあげると、彼はヴィーヴォの手に何かを握らせた。

「兄さん、これ……」

「茶華樹から作られる抑制剤よくせいざいだ。二次性徴にじせいちょうを迎えた花吐きの香りは、周囲の人々を誘惑ゆうわくする。もちろん、虚ろ竜も例外じゃない。この薬は、その香りを抑制してくれるものだ。これを飲めば、彼女がお前のせいで苦しむことも少なくなる……」

 涙に濡れた眼に笑みを浮かべ、ポーテンコはヴィーヴォに告げる。

「兄さん……」

「だから、これからもお前が彼女を支えるんだ」

 そっと兄に頭をなでられる。昔もこうやって慰められていたことを不意に思いだし、ヴィーヴォは顔に微笑みを浮かべていた。











 竜胆の灯花たちは、その輝きを暗くしていた。

 それでもヴェーロは花畑に座り、灯花たちに子守歌を聞かせる。ヴェーロの蒼い眼からは絶えず涙が零れ、風にあおられて花畑に散っていった。

 ヴェーロの歌声に合わせて、花たちは明滅を繰り返し、音を奏でる。

 その優しい音に、ヴィーロは心地よさを感じていた。そっと墓石をなぞり、ヴェーロは眼を瞑る。

 ここに咲く花たちは、かつて自分が殺した人間たちの魂だという。それなのに、彼らの輝きはとても優しく、その音はヴェーロの心に深く迫っていく。

 自分とヴィーヴォを引き離そうとした人間たち。ことあるごとにヴィーヴォを傷つけ、自分から奪おうとする彼らをヴェーロは憎んでいた。

 彼らを殺したことに、後悔こうかいを覚えたことはない。罪の意識も、懺悔ざんげをしたいと思たことすら。

 それなのに、流れてくるこの涙はなんだろう。胸が苦しくなって、歌わずにはいられないこの衝動しょうどうは。

 それは、君が人の心を持っているからだと父であるポーテンコは言った。

 君は、私の娘だからだと。

「嫌だ……。竜は竜だったのに……」

 ぽつりと呟き、ヴェーロは眼を開ける。ぎゅっと自身を抱きしめ、ヴェーロは言葉を続けていた。

「竜が、別の何かになってる……」

 ヴィーヴォを食べたいと思ったのはいつ頃からだろうか。追放生活を送ってしばらくたってから、ヴィーヴォは人の姿をした自分とは寝てくれなくなった。服を着てくれとうるさく言うようになったのも、それからだ。

 だからヴェーロはなるべく竜の姿で過ごしていた。するとヴィーヴォは不思議とヴェーロと前のように寝てくれたし、よそよそしい態度たいどをとることもなかったから。

 それが数か月前から変わってしまった。

 メルマイドのいるあの漁村にやって来てから、ヴィーヴォは自分と一緒に寝てくれなくなったのだ。漁村に住む関係でヴェーロが人の姿をとるようになったせいかもしれない。

 でも、竜の姿になって外で寝ようと誘っても、彼は首を縦には振ってくれなかった。

 それからだ。自分が少しおかしくなったのは。

 ヴィーヴォの香りに敏感になり、彼の体にいつまでも触れていたくなった。

 彼を食べたいと思ってしまう。そうすれば、彼はずっと自分と一緒にいてくれるから。

 もう、誰にも彼をられることはないから――

 ふわりと、かぐわしい花の香りがヴェ―ロの鼻孔を包むこむ。嗅ぎなれた香りに、ヴェーロは大きく眼を見開いていた。

「ヴィーヴォっ!」

 ヴェーロは立ち上がり、ドレスの裾を翻して駆けだす。眼前には、夜色の法衣をまとった愛しい人がいた。笑顔を浮かべるヴィーヴォの胸の中へ、ヴェーロは跳び込んでいく。

「ヴィーヴォ……」

「会いたかったよ、愛しい人……」

 少し離れていただけなのに、彼ととても長いあいだ離れていた気がする。寂しかった気持ちがあふれ出して、ヴェーロはヴィーヴォを抱き寄せていた。ヴィーヴォはそんなヴェ―ロに応えるように、髪を優しくなでてくれる。

「君を見てびっくりしちゃった。だって、ちゃんと服を着てるんだもん。それに――」

 ヴィーヴォの手がヴェーロの頭を離れる。ヴェーロは思わず彼を見つめていた。

「綺麗な歌声だった……」

 星屑めいた光を瞬かせ、ヴィーヴォは微笑みを浮かべる。彼のその眼に、ヴェーロは眼を奪われていた。

 彼の芳香ほうかが周囲に漂う。その香りに、ヴェーロの心臓は跳ね上がっていた。

 また、彼を食べたいと思ってしまう。離れていたからなおさらだ。

 唇を開け、ヴェーロは犬歯けんしを剥き出しにしていた。

「いやっ!」

 瞬間、ヴェーロは彼を突き飛ばしていた。肩で息をしながら、ヴェーロは花畑に倒れ込むヴィーヴォを見つめる。

「ヴィーヴォっ!」

 我に返り、ヴェーロは倒れた彼へと駆け寄っていた。彼の脇に座り込み顔を覗き込む。ヴィーヴォは苦笑して、そっと自分の髪をなでてくれた。

「ヴィーヴォ……」

「もう……痛いよヴェーロ……」

 ヴィーヴォの言葉に、眼が潤む。そんな自分の頬を優しくなで、ヴィーヴォはヴェ―ロに囁いてみせた。

「いつでも食べていいんだよ。だって、君は僕が好きだから食べたくなるんでしょう? 自分でもおかしいって思うけど、君に食べられたいって思われることが僕にとっては幸福なんだ……」

「ヴィーヴォ……。おかしい……」

「やっぱり、おかしい……?」

 困ったような笑顔を浮かべ、ヴィーヴォはヴェ―ロの顔を指でなぞる。柔らかな頬をつつき、丸い輪郭をなで、ヴィーヴォはヴェ―ロの桜色の唇を指でなぞってみせた。

「不思議だな。こんなに小さな唇の中に、食べられた僕のお肉は入っていくのか。というか、食べきれるのかな? 竜になっても、ヴェーロは大鹿ぐらいの大きさしかないし……」

「ヴィーヴォは、竜に食べられたいの?」

「そう思っちゃダメ……?」

 ヴェーロは頷き悲しげに眼を伏せる。ヴィーヴォはしゃがみ込んで、そんなヴェ―ロの顔を覗き込んできた。

「僕が死んじゃうこと、悲しんでくれるんだ」

「ヴィーヴォはヘン……。ヴィーヴォが死んだら、竜は悲しい。お父さんも、若草も……」

 穏やかな笑顔を浮かべるヴィーヴォから、ヴェーロは思わず顔を逸らしていた。

 どうして彼がそんな顔をできるのか、ヴェーロにはわからない。ヴィーヴォが死ぬことなんて、考えたくもないのに。

「ヴェーロ……」

 ヴィーヴォが甘えた声をはっしてくる。そっとあごを掬われて、ヴェーロは大きく眼を見開いていた。

 唇を彼によって塞がれる。驚くヴェーロを抱きしめて、ヴィーヴォは仰向けに倒れてみせる。

 視界が暗転する。

 倒れた体は優しく灯花たちによって受け止められる。しゃらんと灯花たちの音が耳朶に響いた。

「しばらく、こうさせて……」

 胸元に顔を埋め、ヴィーヴォが震える声をはっする。ヴェーロは彼の頭を優しくなでていた。

 ヴィーヴォが泣いている。

 そんな彼を慰めるように、しゃらんしゃらんとと灯花たちが音を奏でる。

「ねぇ、ヴェーロ……、歌って……。母さんの子守歌……」

 そっと顔をあげ、ヴィーヴォが震えた声をはっする。星空のように瞬く眼が、涙で濡れている。ヴェーロはそっと指で彼の涙を拭い、起きあがっていた。

 ヴィーヴォの頭を膝にのせて、ヴェーロは歌を紡ぐ。

 それは、遠い昔にヴィーヴォがうたってくれた子守歌だ。

 彼は言っていた。この歌は、大切な人から教えてもらったものだと。

 この花畑に眠る、ヴィーヴォのお母さんから。

 歌うたび、ヴェーロの眼からも涙が溢れ出ていた。

 しゃらん。しゃらん

 灯花が、そんなヴェ―ロの歌に合わせて音を奏でる。自分が殺してしまった人々が、まるで自分の悲しみを慰めてくれているようだ。

「ねぇヴェーロ……。灯花になる魂はね、すべての罪を赦した存在なんだ……。僕たち花吐きに浄化された魂は、すべての憎しみや苦しみから解放されて、ただ自身を花に変えた花吐きを愛し、周囲のものに慈悲じひを振りまく存在になる」

 ヴィーヴォの小さな声が聞こえる。

 そっと彼の顔を見おろす。ヴィーヴォはうっすらと眼を開けて、ヴェーロの頬に手をのばしていた。

「何ものでもない彼らは、誰よりも優しくて、誰よりも残酷ざんこくなんだ……。だから僕たちを、許して、慰めてくれるんだよ……」

 眼に笑みを浮かべ、彼は愛おしむようにヴェーロの頬をなでてくれる。

「だから、僕を食べてくれない君も、優しくて、残酷な存在だ……」

「ヴィーヴォ……」

 彼の言葉に、ヴェーロは眼を歪ませていた。

 残酷なのはどちらだろう。ヴィーヴォを殺すことなんて自分にはできはしないのに。

「でも、僕はそんな君が、憎くて好きで好きでたまらないんだ。だから、一緒に知ってほしい。この聖都で何が起こっているのか? 僕に何ができるのか?」

 そっと起き上がり、ヴィーヴォはヴェ―ロに言葉を告げる。真摯な眼を向けてくる彼から、ヴェーロは眼が離せなかった。

「やっぱり、私の娘も連れていくのか?」

 ふとポーテンコの声が聞こえて、ヴェーロは顔をあげていた。

 花畑にいる自分たちをポーテンコが見つめている。ヴィーヴォは立ち上がり、兄へと言葉を返す。

「彼女には知ってほしいんだ。僕たちに、この世界に何が起こってるのか? だから、一緒に来てくれるよね、ヴェーロ?」

 自分を見つめ、彼はそっと手を差し伸べてくる。

 ヴィーヴォの言葉に、ヴェーロは彼の手を見つめていた。

 この世界で何が起きているのか、ヴェーロは知らない。それを共に知って欲しいとヴィーヴォは言った。

 こくりとヴェーロは頷き、彼の手を取る。

 自分もこの世界のことを知りたい。

 自分の母と父であるポーテンコに何があったのか。ヴィーヴォが何を知ろうとしているのか。

 ヴィーヴォをしっかりと見つめ、ヴェーロは立ちあがる。








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