竜の兄弟

「覚悟はしていました。いつかはこうなるって……」

「ずいぶん、冷静なんだね」

「こうやって寝台に横になってるのに、あなたに襲われていない方が奇跡ですよ」

 嗤いながらヴィーヴォは教皇に言葉を返す。自分が寝そべっている天蓋てんがいの寝台の横に置かれた椅子に彼は座していた。

「いくら私でも、そこまで鬼畜きちくじゃない」

 眼を歪め、教皇はあざけりの表情を顔に浮かべる。彼はそっとヴィーヴォに手をのばしてきた。何かされるのではないだろうか。不安になってヴィーヴォは眼を瞑る。

 けれど、ヴィーヴォが感じたのは頬をなでられる感触だけだ。

「彼女の面影は、もう君を通じてしか感じられないんだな……」

 そっと眼を開くと、悲しげに教皇が眼を細めている。ヴィーヴォの顔を眺めながら、彼は愛おしむようにヴィーヴォの顔の輪郭りんかくをなでていた。

 母が亡くなった。

 そう教皇から聞かされたとき、ヴィーヴォは冷静なぐらい自分の心がいでいることに気がついたのだ。

 ポーテンコや若草の態度がおかしいことから、最悪な結果を覚悟しておいたお陰だろうか。苦笑しながら、ヴィーヴォは言葉を続けていた。

「そんなに、似てますか? 僕、男なんですけど……」

 彼の手にふれ、ヴィーヴォは顔をしかめてみせる。教皇は困ったように笑って、もう片方の手でヴィーヴォの唇をなでてみせた。

 艶めいたヴィーヴォの唇を、彼は丹念たんねんになでていく。

「ここから生まれてくる花も、ゾクゾクするぐらい似ているよ。ポーテンコが父親似なら、君はお母さんの血をよく引いている……」

 ヴィーヴォは唇をなぞる彼の手を掴み、不機嫌ふきげんに眉を寄せてみせた。

「若草にも、睫毛まつげが長いって笑われました……」

「あの子らしいな……」

「若草は、マーペリアは僕の異父兄弟じゃないですよね……?」

 教皇は驚いた様子でヴィーヴォを見つめ、首を振ってみせた。

「私の可愛い息子が、あの裏切り者の女の子供であるわけがないだろう? あの女のせいで、君たち黒の一族は私たち緑の一族に粛清しゅくせいされた」

 ヴィーヴォの言葉に、教皇は忌々いまいましく吐き捨てる。彼は椅子から立ちあがり、寝台に寝そべるヴィーヴォへと体をのばしてきた。

「え……あの……」

 ヴィーヴォの体に覆いかぶさり、彼は顔を覗き込んでくる。じっとヴィーヴォを見つめながら、彼は静かに口を開いた。

「見せてくれないか? あの女の罪の証を……」

「どうして……」

「君はまだ自分が人だと思っているそうだね。あれだけ違うと信者たちも言っていたのに……」

「どうして僕の竜が、銀翼の女王になっているんですか?」

 外縁街であった人々を思いだし、ヴィーヴォは鋭く眼を細めていた。そんなヴィーヴォに教皇はあざけりの眼を送ってくる。

「マーペリアから聞いていないかい? 宗教的なある種のプロパガンダだよ……。教会の威信は花吐きの不足によって損なわれようとしている。そこに、君と銀翼の女王の生まれ変わりである竜が現れた。人々は竜の暴走を銀翼の女王の怒りととらえ、その原因となった君を寵愛ちょうあいを受けた特別な花吐きだと崇拝する……。君と君の竜のお陰で、私たち教会は信仰をまもることができたんだ。感謝しているよ」

「結局竜の名前なんて分からなくても、あなたたちは僕と竜を聖都のために利用したってことですか……」

 教皇の言葉にヴィーヴォは自嘲していた。

 結局のところ、自分たちは教会のいいように扱われている。ヴェーロを利用されまいと名を明かさなかった自分が道化のようだ。

「そう、だからこそ竜に愛された君は人を辞めなければならない。いや、そもそも君はそう思い込んでいるだけで人ですらない。あの女と、あれから生まれてきた子供だからねぇ」

 教皇の笑い声がわずらわしい。ヴィーヴォは彼から視線を放していた。

「どいてください……。母の罪の証が見たいんでしょう?」

 冷たい言葉が口から零れでる。教皇はたのしげに眼を歪めた。彼はヴィーヴォの体から離れていく。ヴィーヴォは上半身を起こし、彼に背を向ける。そんなヴィーヴォが纏うゆったりとしたローブに教皇は手をかけた。

「な、ちょ……」

 服を引っ張られ、ヴィーヴォは驚きに声をあげる。彼はヴィーヴォを愉しげに眺めながら、ローブを引き裂いた。

「やぅ……」

 布のける音が響き、ひやりとした冷たい感触が背中に走る。教皇の舌が背中のをめている。彼の指が背中をい、ヴィーヴォは体を震わせていた。

「何を……」

「いつ見ても痛ましくて、美しい傷跡だね。君の翼のあとは……」

 ヴィーヴォの白い肌には、傷跡がある。まるで羽をむしり取ったかのようなその傷跡は、兄のポーテンコにもあるものだ。

 その傷跡を愛おしむように、教皇はヴィーヴォの背中に舌を這わせる。

「やめて……僕に手は出さないって……あぅ……」

「あぁ、ださないよ。ただ、この美しい傷跡を愛でていたいだけだ……」

 傷跡に爪をたてられ、ヴィーヴォはあえぐ。教皇はその声に満足げに口の端を歪め、傷跡をなでる。

「君たちが父親から受け継いだ竜の翼を、なぜ君の母親は引き裂いてしまったのだろうかね……」

 教皇の言葉に、ヴィーヴォは父だと言われたソレの姿を思いだしていた。

 物心つく頃には自分の背中に翼はなく、ただ傷跡だけがそこにあった。でも、あれを母に見せられた作家さんから日、ヴィーヴォは傷跡きずあとがかつて翼の生えていた場所だと確信したのだ。

 水晶の中に閉じ込められた夜色の竜は、虚ろな黒い眼で自分を見つめていた。

 明らかに人でないそれを父親だと言われて、ヴィーヴォは立ちつくすことしかできなかった。

 そして母は言ったのだ。

 どこにも行ってほしくないから、ヴィーヴォの背に生えていた羽を引き千切ったのだと。

「花吐きでありながら夜色の名を捨て、双子の兄を愛し、その兄の子を産んだ呪われた女。聖都を捨て、黒の一族を見捨て、君たち兄弟を罰として取り上げられたあわれな女……。それが君の母親だよ、ヴィーヴォ……」

 ヴィーヴォの耳たぶを舐めあげ、教皇は囁く。耳たぶに妙なかゆみが走り、ヴィーヴォは眼を潤ませていた。

「違う……」

 その眼を教皇に向け、ヴィーヴォは彼を睨みつける。喜悦きえつに輝いていた彼の眼は、一瞬にして不機嫌な色を帯びた。ヴィーヴォはとぎれとぎれに言葉を放つ。

「母さんは哀れな女なんかじゃない……あの人は……やぅ!」

 首筋を噛まれ、ヴィーヴォは寝台へ押し倒される。ヴィーヴォの両手を拘束し、教皇はヴィーヴォの耳元で囁いた。

「君の母親がどうして死んだのか教えてあげようか? 君の母親は、サンコタは、君が竜を使って殺した聖都の人々を、すべて灯花に変えた。君が楽しく追放生活を満喫まんきつしているあいだ、彼女はずっと死者のために祈りを捧げていた。文字通り命をかずってね。亡くなったのは、つい最近だ……」

「母さん……」

 彼の言葉に、ヴィーヴォは眼を見開いていた。

 母も自分と同様に聖都を追放され、父と共にいたはずだ。あの、水晶に閉じ込められた夜色の竜のもとに。

 口の端を歪め、教皇はヴィーヴォの首筋を舐めてみせる。

「あ……」

「そう……。私はもう君を通じてしか、かつての彼女を感じられない。私の許嫁で、素晴らしき恋人だったサンコタを……。気が変わった。やはり私には、サンコタが必要みたいだ……」

 淡々とした彼の言葉に、ヴィーヴォは大きく眼を見開いていた。悪夢のような光景が脳裏に浮かびあがる。

 この男に組み敷かれて、母の名を繰り返し呼ばれたあの日々が――

「サンコタ……」

 耳元で愛しげに名を呼ばれる。息を吹きかけられて、ヴィーヴォは体を震わせていた。

「やめ……僕は母さんじゃ……」

「じゃあ、どうして君はそんなに彼女に似てるんだい……? あぁ、サンコタ……。君の花の香りは、ほんとうに蠱惑的こわくてきだよ……」

 頭を引き寄せられて、教皇はヴィーヴォの髪に顔を埋めてくる。鼻先で髪をなぶられ、ヴィーヴォは奥歯を噛みしめていた。

 ヴィーヴォは自身を蹂躙じゅうりんする男を睨みつける。そんなヴィーヴォの髪を教皇は乱暴に掴んだ。

「いたっ」

「あぁ、その眼だヴィーヴォ……。何度痛めつけてもお前はその眼をやめない。私を裏切ったあの女と同じ眼……」

「だから、僕は母さんじゃないって言ってるだろっ!」

 教皇にヴィーヴォは怒鳴っていた。同時に彼の頬に赤い筋が走る。教皇は傷ついた左頬へと眼を向け、ヴィーヴォの体を寝台に突き飛ばしていた。

「ヴィーヴォ……」

 荒い息を吐きながら、ヴィーヴォは体を起こし片手を前方へと翳す。ヴィーヴォの周囲を銀色に輝く粒子が舞い、それは小さな竜の形をとった。

「僕に近づくな……」

「人形術。竜のうろことは君らしいね……。いつ間にそんなものを……」

「ここにくるまでに、いくつか僕の竜の鱗をばらまいておいたんですよ……。下手に動くと、こ竜の鱗があなたの体を切り刻みますよ……」

 教皇を睨みつけながら、ヴィーヴォは静かに告げる。教皇は口の端を歪め、愉しそうに眼を歪めてみせた。

「あの泣き虫ヴィーヴォが、ここまで成長しているとわね」

「辺境の地で愛しい竜のために狩りもしなくちゃならなかったもので……。あと、強姦対策ごうかんたいさくですかね。みんな竜が食い殺してくれましたけど……」

「恐い恋人だな……」

「竜の恋人なんて強くなきゃやってられませんよ……。弱いと、まもられてばっかりになっちゃうんで」

 鱗の竜たちが、立ち塞がるように教皇とヴィーヴォの前へと移動する。体が震えてしまう。それでもヴィーヴォは口元を歪め笑ってみせた。

「いいのかい、そんなことをしても……?その愛しい恋人に罪なき人々を殺させた君に、罪人である君に、私を拒むことができるとでも……」

「ヴィーヴォの罪は、教皇であるあなた自身がゆるしたはずですが……」

 凛とした男の声が場を制する。

 驚いたヴィーヴォは部屋の扉へと顔を向けていた。扉の縁に体を預け腕組うでぐみをしたポーテンコが、こちらを睨みつけている。

「どうしたんだいポーテンコ? ヴィーヴォはしばらく私が預かると使いを――」

「若草からヴィーヴォを引き取りに来て欲しいと伝言が届きましてね……」

 ポーテンコは眼を細め、教皇を見すえる。彼の周囲を小さな竜が飛び回っている。緑色の鉱物めいた輝きをもつそれは、若草が人形術で生み出した竜だ。

 その竜が、口に乱暴に丸められた長光草の紙をくわえていた。

「あなたてにしたためられた手紙も、なぜかこの竜は銜えてきた。手紙を届けるついでに、あなたの息子は伝えて欲しいことがあると私に伝言を残しましたよ」

 緑色の竜をなでながら、ポーテンコは部屋の中へと足を踏み入れる。彼はベッドのふちに膝を乗せ、教皇の胸倉むなぐらを掴んだ。

「クソ親父、オレが相手になるからヴィーヴォを返せ。じゃないと、親子の縁を切る。だそうです……」

 教皇の耳元でポーテンコは若草の伝言を口にする。教皇は困った様子で眼を細め、苦笑を顔に浮かべていた。

「マーペ……。冗談でもさすがにそれはきつい……」

 肩を震わせながら教皇は笑い声をあげてみせる。ポーテンコは彼を放し、冷たい口調で言葉を続ける。

「で、私の大切な家族は返していただけますよね?」

「あぁ、いいとも。私もたった1人の息子を失いたくはないからね……」

 前髪をき揚げながら、教皇は笑みをポーテンコに送ってみせた。彼の意外な反応にポーテンコは軽く眼を見開く。

「あの……兄さん?」

 唖然あぜんとする兄に、ヴィーヴォは声をかける。ポーテンコは驚いた様子でヴィーヴォに顔を向け、静かな声で言った。

「ヴィーヴォ……。人形術を解いてくれないか?」

 ポーテンコの言葉に、ヴィーヴォは人形術を解く。しゃらんと玲瓏な音をたてて、鱗の竜たちは崩れ落ちる。布に散らばった鱗を集めていると、ポーテンコの両腕がヴィーヴォの両脇へと入れられた。

「兄さん……?」

謁見中えっけんちゅうに倒れたそうだな……」

「わっ」

 ポーテンコはヴィーヴォの体を横抱きにしてみせる。

「ちょ、なんで僕ばっかりお姫さま抱っこっ!? 僕も男なんだ! いい加減かげん、僕の気持ちぐらい察してよっ!!」

 ベッドを降りようとするポーテンコの腕の中で、ヴィーヴォは暴れてみせる。そんなヴィーヴォにすがめた眼を向け、ポーテンコはため息をついた。

「倒れた挙句、こんなに細い体をしたお前が何を言っている。病人らしく、大人しくしてろ……」

「いてっ!」

 ヴィーヴォの体を膝の上に降ろし、ポーテンコは額を指弾しだんしてみせる。怯んだヴィーヴォを彼は素早く抱えなおし、寝台から下り立った。

「そうだヴィーヴォ、言い忘れたことがあった……」

 教皇の声がする。

 愉しげな彼の方へと視線を向けると、彼は笑顔をこちらに向けていた。

「始まりの場所でまた会おう……。緋色と金糸雀も待っているよ……」

 彼の言葉に、ヴィーヴォは悪寒を覚えていた。そんなヴィーヴォを教皇は喜悦に輝く眼で見つめてくる。

「私たちはこれで失礼させて頂きますので。ヴィーヴォはしばらく休養きゅうよう扱いにさせて頂きます」

「おやおや、職権乱用しょっけんらんようかい?」

「教皇の地位を利用して二つ名の花吐きに手をだそうとした人間に言われたくありませんよ」

 教皇にポーテンコは冷たく声をかける。彼はヴィーヴォを胸元へと抱き寄せ、耳元で囁いた。

「気にするな。震えが大きくなるだけだぞ……」

 ポーテンコの囁きに、ヴィーヴォは大きく眼を見開く。ヴィーヴォは思わず兄の首に自分の両腕を絡ませていた。

「恐かった……。恐かったよ……」

「あぁ、もう大丈夫だ……」

 ポーテンコが背中を優しく叩いてくれる。冷たいと思っていた兄の優しい言葉に、ヴィーヴォは涙ぐんでいた。そんなヴィーヴォにポーテンコは困ったように微笑んでみせる。

 どうしてだろう。あれだけ嫌だった兄といて、安らぎを覚えるのは。

「久しぶりにヴィーヴォに会ったんだ。せいぜい嫌われるといいよ。私のようにね……」

 教皇の嘲笑が背後で響く。ヴィーヴォを抱えたまま、ポーテンコは教皇に微笑んでみせた。

「嫌われているのは百も承知ですが、家族を守るのは当然のことですから」 

「兄さん……」

「いくぞ、ヴィーヴォ……」

 彼はヴィーヴォを抱え直し、部屋を後にする。

「くれぶれも、ポーテンコには注意するんだよ。ヴィーヴォ……」

 小さな囁きが耳朶を叩く。ヴィーヴォは思わず教皇へと振り返っていた。

 教皇は笑いながらヴィーヴォを見つめている。そんな彼からヴィーヴォは眼を離すことができなかった。

 




「で、なんでこうなるの?」

 広い浴槽にヴィーヴォの呆れた声が響き渡る。ジト目で湯煙を眺めながら、ヴィーヴォはお湯にあごをつけていた。

「仕方ないだろう。あの男にさわられたままの状態でいたいのか?」

 厳しい兄の声が浴室に響く。ヴィーヴォは盛大せいだいに顔を顰めていた。兄は、腰に布を巻きついて浴槽の前で仁王立ちしている。彼の小脇に抱えられた小さな竜の人形がなんとも不釣り合いだ。

 彼のしっとりと濡れた紺青の髪からしずくが滴り、鎖骨さこつを滑って引き締まった腹部へと流れていく。ほどよく筋肉のついた兄の体に、ヴィーヴォは思わず釘付けになっていた。

 ためしに自分の両手を見つめてみる。

 細い腕はなんとも心細く、その下にある腹部に兄のように引き締まった筋肉は見当たらない。細い腰と相まって、下手をすると少女のそれを連想させる。

 両手でがばりと顔を覆い隠し、ヴィーヴォは叫んでいた。

「なんで僕は男なのに筋肉つかないのー! つーかなんで兄さんと風呂入らなきゃいけないの!?」

「どうしたんだっ! ヴィーヴォ!?」

 ヴィーヴォの取り乱した様子を見て、ポーテンコは慌てて浴槽へと足を踏み入れる。ヴィーヴォは顔から手を取り、そんな兄を潤んだ眼で睨みつけた。

「助けてくれたことには感謝してるけど、兄さんは嫌いだ……」

「その……お前に嫌われていることは分かっているが、その……」

 ヴィーヴォの前で腰を下ろし、ポーテンコは湯につかる。端正たんせいな顔を顰め、彼はヴィーヴォに言った。

「その……なにをそんなに怒っているんだ……?」

 ポーテンコの言葉にヴィーヴォはぷうっと頬を膨らませていた。

 彼に抱かれたヴェーロの姿を思い出し、ヴィーヴォは兄から顔を逸らす。

「おい……ヴィーヴォ……」

「兄さんが、竜をとった……」

 眼に涙を浮かべ、ヴィーヴォは不機嫌にぼやく。

「私が、彼女をとった?」

「だって、竜は僕にしかなついてなかったのに、兄さんが側に来たとたん……。それに、抱きしめ合って、あんなに見つめ合ってっ! うわーん!! 竜はもう僕のことなんてどうでもいいんだぁ!!」

「ちょ、ちょっとまてヴィーヴォっ! なんだその妄想もうそうはっ!? なんでお前の脳内では、私が彼女を奪ったことになっているんだっ!?」

 泣き叫ぶヴィーヴォの肩を抱き、ポーテンコはヴィーヴォの体をゆらす。

「嫌だー! さわらないでよー!! 兄さんなんかあっち行けー!!」

「とにかく落ち着けっ! お前はどれだけ子供なんだっ!!」

 ポーテンコを引き離そうと、ヴィーヴォは彼の体を両手で押す。ポーテンコはそんなヴィーヴォを一喝いっかつした。

「うぅ……」

「その、まだ子供である彼女に手をだすわけないだろう……」

「でも、竜は可愛いし、無邪気むじゃきで笑顔が魅力的で、竜の姿になってもつぶらな瞳からは眼が離せなくて、あの鱗の白銀の輝きや、銀糸のたてがみに思わず誰でも見惚れちゃうほど美しい女性なんだっ! 兄さんがその魅力にやられないはずがないっ!!」

「私は竜フェチだがロリコンではないっ!」

「でも竜は好きなんだー!!」

「いいから黙れっ!」

 ぐっとヴィーヴォの肩を強く掴み、ポーテンコはヴィーヴォを怒鳴りつける。びくりと体を震わせ、ヴィーヴォはうつむいた。

「その……怒鳴って悪かった……」

「僕も、泣いてりしてごめんなさい……」

 ヴィーヴォは顔をあげ、ポーテンコに謝ってみせる。ポーテンコは驚いた様子で眼を見開き、ほんのりと頬を赤らめながらヴィーヴォから顔を逸らした。

「兄さん……」

「その……お前に話したいことがあるといったよな……」

「うん……」

「その、彼女は私の娘らしいんだ……」

「えっ……」

「だから、彼女は、お前の竜は私の娘なんだ」

「……」

 気まずそうに口を開いたポーテンコを見つめ、ヴィーヴォは黙り込む。

「えっと……」

「だから、お前の竜は私の――」

「ええっーー!!」

 ポーテンコの言葉に、ヴィーヴォは叫び声をあげていた。ヴィーヴォは立ち上がり、ポーテンコの両肩を掴む。

「ちょ、変な冗談はやめてよ兄さんっ! 僕の可愛い竜のどこがあなたと似てるの? というか、種族自体が違うでしょっ!? 人と竜で子供なんてっ!」

「私たちは、半分竜みたいなものだぞ……」

「あ……」

 兄の冷静な言葉に、ヴィーヴォは背中の傷跡を思いだしていた。たしかに、自分が実の父親だと知らされているものは竜の姿をしている。だが、あれも以前は人間だったと母親は言っていたはずだ。

「それに私たち色の一族の先祖は、銀翼の女王と始祖の竜によって生みだされた。お前たち花吐きが、先祖返りと言われる所以ゆえんだ……」

「だから、ヴェーロは……」

 ふと、ここ数日の彼女の行動を思いだし、ヴィーヴォは俯く。

 ――竜は卵が欲しい……。

 ヴェーロの蠱惑的こわくてきな声を思いだして、ヴィーヴォは眼を見開いていた。体を押し倒されて、もてあそばれて、自分を食べたいとヴェーロは囁いてきた。

 あのときの出来事をありありと思いだし、ヴィーヴォは顔が熱くなるのを感じてしまう。

「あの……もしかして、竜が人間の姿になるのって、恋人が欲しかった僕の望みを叶えるためじゃなくて……」

「その、ヴィーヴォ……。お前、精通がきたのはつい最近じゃないか……?」

「えっ、なんで分かるの?」

「お前の望みをある意味では叶えているが、彼女たちは、花吐きに発情はつじょうする本能をそなえているらしい。現に、私のときも――」

「いやー、竜を汚さないでー!!」

 ポーテンコの言葉を聞きたくなくて、ヴィーボは叫びながら両手で耳を塞いでいた。

 あの無垢で愛らしいヴェーロが、自分に欲情よくじょうしているなんて考えたくもない。

「少し安心した。お前は、彼女と当分そういった関係にはなりたくない訳だな……」

「いや、そんなことない……と思う……」

「ヴィーヴォ……」

 ポーテンコの言葉に本音を思わず言ってしまう。震える眼でポーテンコがこちらを見つめてくる。兄の視線に気がつき、ヴィーヴォはとっさに顔を逸らしていた。

「僕だって、男だし……。その……彼女が望むなら……責任だってちゃんと取れる……」

 頬がかすかに熱くなるのを感じながら、ヴィーヴォはポーテンコを見つめていた。

「それが彼女の望みなら、叶えるのが僕の役目だ。だから――」

 ――竜はヴィーヴォを食べたい……。 

 ヴェーロの言葉を思い出して、ヴィーヴォは俯く。立ち上がり、ヴィーヴォは自身の手首をもう片方の手で握りしめていた。

「食べられたってかまわない……」

 ゆれる浴槽よくそうの水面を眺めながら、ヴィーヴォは小さな声で思いを伝える。銀の水面を見て、泣きじゃくっていたヴェ―ロの姿を思いだしてしまう。

 ――竜は、ヴィーヴォを食べたくない……。

 そう言って彼女は自分が近づくことを拒絶きょぜつした。自分を傷つけたくないから。

「ヴィーヴォ……お前……」

「兄さん……。彼女たちの究極の愛の形は、カニバリズムなの?」

 ヴィーヴォはポーテンコを見つめる。兄は驚きに眼を見開き、自分を見つめていた。

「お前、どうしてそれを……?」

「彼女が、僕を食べたがった……」

 口元に笑みを浮かべ、ヴィーヴォは首筋くびすじをなでてみせる。すっかりえた首筋には、ほんの数日前まで竜がつけた歯形があった。

 自分を愛するあまり、彼女は自分を食べようとしたのだ。そう思うと、ここにあった傷跡がとても愛しく思えてしまう。

「きっと、僕は死ぬ瞬間まで花を吐き続ける。だから、僕の魂はこの世に残らない……。でも、もし彼女が僕の体を食べてくれたら……」

 ぎゅっと自身の細い体を抱きしめ、ヴィーヴォは眼を瞑っていた。

 竜になった彼女に捕食される自身を思い描く。首筋に痛みが走り、肉を引き千切られる感触にヴィーヴォは苦痛を感じていた。

 だが、その苦痛がなんとも甘美で、自身を喰らうヴェーロはなんと神々しいのだろう。

 恍惚こうこつな想像が、めぐるましく脳裏をかけて、体を熱くさせる。

 なんて素敵なことだろう。

 自分は彼女の一部となって永遠に共にいることができるのだ。

「ヴィーヴォ……」

「僕、変かな兄さん……。狂ってる?」

 震えるポーテンコにヴィーヴォは眼を閉じながら笑ってみせる。

 あぁ、自分は狂人だと思う。

 ヴィーヴォにとって、ヴェーロの存在は絶対なのだ。

 自身の死よりも、彼女を失う方が恐ろしい。

 だったらいっそのこと、彼女と一緒になってしまえばいい。

 文字通り、心も体も一緒に。

「それで、彼女は喜ぶのか?」

 ポーテンコの言葉に、ヴィーヴォはうっすらと眼を開ける。悲しげに眼をゆらしポーテンコはヴィーヴォを見つめている。

「彼女がそれを望んでいるなら……」

 そっと眼を細め、ヴィーヴォは兄の問いに答えてみせた。そんなヴィーヴォをポーテンコの両腕が抱きしめる。

「兄さんっ?」

「私が、それを許すと思うか?」

 兄の言葉に、ヴィーヴォは眼を見開いていた。うっすらと視界が潤むことを感じながら、ヴィーヴォは口を開く。

「僕、兄さんのこと嫌ってばかりだ。そんな僕でも、死んで欲しくないんだね……」

「当たり前だ……。お前は、私のたった独りの家族だぞ……」

 ポーテンコの言葉に、ヴィーヴォは眼をせる。頬を流れる涙のあたたかさを感じながら、ヴィーヴォは眼を瞑っていた。

 脳裏に浮かぶのは、ヴェーロの笑顔ばかりだ。

「ごめんなさい……。それでも僕は、彼女に食べられたい……」

 兄に笑顔を向けてみせる。ポーテンコは眼をヴィーヴォに向け、きつくヴィーヴォの体を抱きしめてみせた。

「兄さん?」

「私たちにも羽があれば、彼女たちとともに生きることができなのかもしれないな。父さんと、母さんのように……」

 ポーテンコが、そっと自分の背中をなでる。ヴィーヴォは眼を伏せ、兄の背中に手を回していた。

 指を動かすと、かすかに凸凹とした傷跡にふれることができる。顔をあげ、ヴィーヴォは兄に微笑んでみせた。

「それはどうかな? だって、僕らは花吐きだよ」

「そう言うと思っていた。私もお前と同じだったから……」

「兄さんも食べられたかったの?」

 顔をあげ、ヴィーヴォは兄を見つめる。ポーテンコは微笑んで、ヴィーヴォの髪をなでてみせた。

「あぁ、でも彼女は私を食べることなく、空へ帰ってしまった。私の花吐きの能力を奪ってね」

「能力を奪う……?」

 ポーテンコの言葉にヴィーヴォは大きく眼を見開く。兄が母の跡を継ぎ夜色の二つ名を継いでいたことは聞かされているが、兄がなぜ花吐きでなくなったのかその理由を聞かされたことはない。 

 それが、虚ろ竜のせいだと兄は言っているのだ。

「彼女たちは花吐きの力を必要としているんだ。自身の背中に生まれるであろう新たな世界の命を循環させるために、彼女たちは愛した花吐きを喰らい、その能力を継承する必要があるんだよ……」

 



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