竜の巣

「やったー! 卵だ!! 新しい家族だっ!!」

 声を弾ませながら、ヴィーヴォは灯花の花畑を駆けていく。彼は花畑を取り囲む石英の断崖へと向かっていた。

 断崖には、大きな洞窟がぽっかりと空いている。洞窟の入り口には暗闇杉くらやみすぎで作られた褐色かっしょくの大きな扉がついていた。かんぬきのついた両開きの扉には、菖蒲あやめの灯花がつるのように長く伸びて、扉に巻きついている。

 この洞窟はヴェ―ロたちが暮らしている巣だ。

 その大きな扉の左側に、小さな人間用の扉がつけられている。ヴィーヴォが扉をノックしてみせると、扉に巻きついていた灯花が淡く輝き、扉から離れていった。

 灯花がなくなったことをたしかめ、ヴィーヴォは人間用の扉から洞窟へと入っていく。

「ヴェーロっ! 早くおいでっ!!」

 ヴィーヴォの言葉に、ヴェーロは閂を口にくわえ引き抜いてみせた。瞬間、勢いよく扉が開き、ヴィーヴォが中から跳び出してくる。

「お帰り、ヴェーロ!」

 ひしっとヴェーロに跳びつき、顔をあげたヴィーヴォは満面の笑みを浮かべてみせた。

「きゅん……」

 一緒に帰ってきたじゃないか。そう伝えたくてヴェーロは鳴いてみせる。ぷくっとヴィーヴォは頬を膨らませ、ヴェーロをにらみつけてきた。

「いいの……。僕がやりたいからいいの。君と一緒にいる幸せを実感したいだけなんだから、我慢してよ」

「きゅん」

 分かっているよと返事をしてみせる。するとヴィーヴォは嬉しそうに頬を赤らめ、自分の頭を抱き寄せてきた。

「ほら、早く! 早く! 今日のご飯は昨日の夜に仕留めた角猪つのいのししの生肉だよっ!」

 自分の頭から手を放し、ヴィーヴォは洞窟の中へと駆けていく。ヴェーロもヴィーヴォのあとに続き、自分たちの巣である洞窟の中へと足を踏み入れていた。

 洞窟の中は、縦長の空洞になっている。空を仰ぐと、丸い夜空がヴェーロの視界を迎えてくれた。洞窟の中央はすり鉢状にくぼんでおり、真ん中に長光草ながひかりそう乾草ほしくさを敷きつめたヴェーロの寝床がある。寝床にはれないようにアーチ状に組まれた暗闇松のひさしがついていた。

 洞窟の壁にはいくつかの壁龕へきがん穿うがたれている。自分の寝床の正面に穿たれた壁龕には、翼を広げた竜の彫像が置かれていた。

 うつろ竜たちの父であり、この水底の世界の創造主とされる始祖しその竜の像だ。

 ヴィーヴォが所属しょぞくする教会の聖典によると、遠い昔この水底みなぞこに始祖の竜が落ちてきて、その竜の背に乗っていた生命が水底の世界を創りあげたという。

 始祖の竜はヴィーヴォたちが暮らしている大陸へと姿を変え、今でも水底の生命たちを見守っているらしい。

 ヴィーヴォたち花吐きたちは始祖の竜の使いだとされている。彼らは始祖の竜がもたらした生命の循環じゅんかんつかさどるとされ、教会によって信仰の対象となっている。

 始祖の竜をあがめる教会は、聖都に拠点きょてんを置く水底の統治機構とうちきこうともいえる存在だ。教会の頂点には始祖の竜の直系ちょっけいとされる色の一族が君臨くんりんしている。水底の命の起源とも言われるこの色の一族からは、大きな力を持つ花吐きが生まれてくる。特に強い力を持つ花吐きは、一族をみちびくものとして色にちなんだ二つ名を与えられ、教会にささげられるのだ。

 そしてヴィーヴォも、かつては黒の一族を司る夜色の二つ名を与えられた花吐きだった。

 あの事件が起きるまでは――

「ただいま帰りました。始祖さま」

 竜の彫像に駆けり、ヴィーヴォは優しく彫像に声をかける。そっと彼は汚れた僧衣そういひるがえして、片膝かたひざをついた。

 両指を組み、彼は眼を瞑って始祖に祈りをささげる。ヴェーロも彼にならって、眼をつぶり始祖の竜に首をさげてみせた。

 といっても始祖の竜の何が偉大いだいなのか、自分にはわからない。

「ヴェーロのお父さんは、やっぱり始祖さまなのかな?」

 顔をあげ、ヴィーヴォが自分を見あげてくる。

「きゅん……」

「そっか、僕が卵から育てたんだもん。わからないよね」

 ヴィーヴォの言葉に、ヴェーロは眼をしかめてみせた。

 ヴェーロの故郷は中ツ空なかつそらだが、ヴェーロはこの水底で生まれ育った。ヴィーヴォが教えてくれる世界の知識と、水底のことしかヴェーロにはわからない。

 だから、集落の人間たちがヴェーロを女神さまだとあがめる理由もよくわかならい。

 聖都から追放された自分たちは、この洞窟どうくつがある山のふもとの集落でお世話になっていた。でも、集落の人々ときたら自分とヴィーヴォを生神いきがみさまとまつりあげて、毎日お祈りをささげる始末だったのだ。

 遠くの街や集落からやってきた参拝客さんぱいきゃくで小さな集落はあふれかえった。自分とヴィーヴォは小さな教会に押し込められて、人々を夜遅よるおそくまで祝福しゅくふくしなければならなかったのだ。

 ヴェーロはストレスでうろこの生えが悪くなるし、ヴィーヴォは疲労ひろうで倒れる始末。

 こんな生活もう嫌だと、ヴェーロははこの洞窟を1匹でったのだ。

 人間たちにヴィーヴォをこれ以上虐いじめられたり、彼と一緒にいる時間をとられるは嫌だっだ。ここにヴィーヴォを連れてきたとき、ヴィーヴォはかなり反発はんぱつした。

 けれど、今ではここでの暮らしにすっかりれたみたいだ。

「さてと、卵は元気かなーっ!?」

 ヴィーヴォは立ちあがり、後方にある寝床へと駆けていく。

 寝床の中を見ると、真新しい乾草の上に卵が横たえられていた。ヴィーヴォは寝床の中へと跳び込み、ぎゅっと両手で卵を抱きしめる。抱きしめられた卵は、嬉しそうに明滅めいめつを繰り返した。

「うーん、君と同じ銀翼の一族の卵かと思ったけど、ちょっと違うかな? 調べものーっ!」

 寝床から跳び出して、ヴィーヴォは壁に穿たれた壁龕へと向かって行く。壁龕のいくつかは、長光草の紙で作られた書簡しょかんや本が所狭ところせましと並べられていた。それらに視線を走らせながら、ヴィーヴォは口を開く。

「ヴェーロっ! 首貸してっ!」

「きゅん」

 ヴェーロは軽く翼をはためかせ、ヴィーヴォの側へと降りたった。座り込んで首をそっと地面に降ろす。ヴィーヴォはその首に乗り、声をかける。

「右から3番目の書棚。虚ろ竜たちの本が読みたい」

 ヴィーヴォの言葉に従い、ヴェーロは体を起こし、鍵爪かぎづめを石英の壁に突き立てる。首を目的の壁龕へと伸ばすと、ヴィーヴォは自分の首を伝って、その壁龕の中へと入っていった。

「ひゃほーい!」

 いくつかの巻物まきものと本を両手に抱え、彼は自分の背中を滑り落ちていく。尻尾しっぽを滑り降り、彼は寝床に敷かれた乾草へと着地した。

「えーと、虚ろ竜の種族別の特徴とくちょうを書いた本は……あった、卵の項目こうもく。あ、やっぱりヴェーロの仲間だっ! 銀色に光ってるし、卵の形がちょっと細長い。ヴェーロみたいな美人な子が生まれてくるといいなぁっ!」

 弾んだ彼の声が耳朶に轟く。壁から前足を放し、ヴェーロは寝床の中を覗き込んでみた。書物が散乱さんらんする寝床の中で、ヴィーヴォが卵を抱きしめて眼を瞑っている。そっと彼を鼻でつつくと、ヴィーヴォはくすぐったそうに笑い声をあげた。

「しばらく、花は吐けそうにないや……。この子を温めなきゃいけないもん……」

 うっすらと眼を開けて、ヴィーヴォは笑ってみせる。

「こうやって、僕は君の卵もずっと抱っこしてたんだよ。虚ろ竜の卵はずっとあっためてないといけないってことを教えてくれたのも、兄さんだった……」

 すっとヴィーヴォの眼が影をびる。

「最近兄さん、来てくれないな……」

 寂しげな彼の言葉を聞いて、ヴェーロは胸を痛めていた。ポーテンコは彼の兄だ。彼は花吐きを管理する庭師にわしという地位を与えられている。

 文字通り花吐きを保護する立場にある彼は、ヴィーヴォの様子を見にここへも足を運んでいる。

 洞窟にある書物も、ポーテンコがヴィーヴォにわれて持ってきたものがほとんどだ。中には貴重な書物もあり、それらはヴィーヴォが写本しゃほんを作り手元に置いている。

 ヴェーロはあまり彼が好きじゃない。

 彼はどこか近寄りがたく、冷たい目でいつも自分のことをにらみつけてくる。

 教会の命令により、竜とヴィーヴォを引き離そうとしたのも――

「ヴェーロ、どうかした?」

 ヴィーヴォの声に我に返る。

 彼が心配そうに自分を見つめている。そんな彼にヴェーロはきゅんと鳴き声をあげていた。ヴィーヴォは安心した様子で笑顔を浮かべる。

「2人っきりの生活もこれで終わりかと思うとちょっとさみしいね……。でも、この子がいれば僕がいなくなってもヴェーロは寂しくないか……。集落に僕が降りて行っても、2人でお留守番おるすばんできるし、君は独りにならない……」

 卵を抱き寄せ、ヴィーヴォは笑ってみせる。

「きゅん……」

 どこか悲しげなヴィーヴォの笑顔が心配になって、竜は鳴いていた。

 ヴィーヴォはあまり人が好きじゃない。当たり前だ。人間たちはヴィーヴォを自分からとろうとする。

 だが、彼は人との関りを断つことは出来ない。

 この世界を生まれ変わらせることができるのは花吐きだけなのだから。

 そのときだ。洞窟の外から人の声がしたのは。

「花吐きさまっ! 花吐きさまっ!」

 声の主は洞窟の扉を叩き、ヴィーヴォを呼んでいる。

 おそらく集落の人間だろう。

 寝そべっていたヴィーヴォが悲しげな表情を浮かべ、体を起こした。

「また、人が星になった……。それも、すごく若い星だ……」

 ぎゅっと卵を抱きしめ、ヴィーヴォは辛そうに眼を閉じる。彼はうつむき、小さく言葉を呟いていた。

「すぐに行くから、君の愛しい人から離れちゃいけないよ……。だんだん記憶がなくなっていく? 大丈夫、花になれば思いだせる。安心して……」

 口元に笑みを浮かべ、ヴィーヴォはここにいない誰かと会話をしているようだった。

 死者の魂と彼は会話をしているのだ。

 ヴィーヴォから聞いたことがる。

 死んだばかりの魂は、星になる前に側にいる花吐きに語りかけてくると。その言葉を受け、花吐きは死者のもとへとおもむくのだ。

「ヴェーロ……。僕が戻ってくるまで、卵をあたためてくれる……?」

 そっとヴィーヴォが眼をあける。彼は顔をあげ、自分に微笑んでみせた。不安になって、ヴェーロはきゅんと鳴く。

「大丈夫。すぐに戻って来るから。人が死んだんだ。とむらってあげなきゃ……」

 ヴィーヴォは、自分の額に自分のそれを押しつけてきた。

「自分が何者かもわからず、この世界を彷徨さまよい続けることほど恐いことはないから……。それにね、僕は花を吐くことでしか、君たちにつぐなえない……」

 ヴィーヴォは寂しげにつぶやく。彼は眼を伏せ、遠い昔に思いをせているようだった。

 人間といるときのヴィーヴォはつらそうだ。

 彼は人間たちに優しい。無理やり笑みをつくっては、身近な人を亡くした彼らに優しく語りかける。

 人間は、彼をいじめてばかりいるのに――

 ――自分と、ここにいればいいのに……。

 そう伝えたくて、彼に鳴いてみせる。ヴィーヴォは顔をあげ、困ったように自分に微笑みかけた。

 彼はヴェーロの鼻筋にキスをして、抱いた卵を干草の上に横たえる。

「僕になにかあったら、花たちが教えてくれるから……」

 耳元でヴィーヴォは囁く。きゅんと鳴き、ヴェーロは卵の上に移動して、そっと座り込んだ。

「ちゃんと、あたためてあげてね。僕と君の大切な子供なんだから」

 自分の頭をなで、ヴィーヴォは笑ってみせる。煌めく彼の眼が何だか頼りなくて、ヴェーロはまた鳴いていた。

 洞窟を出ていくヴィーヴォを見送りながら、ヴェーロは思う。

 人間たちがヴィーヴォになにかしたら、ただじゃおかない。

 ヴィーヴォをヴェーロから引き離そうとしたあのときのように――

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