虚ろ竜の卵

 ヴェーロが翼をはためかせると、地面に咲く花々が大きくゆれた。

 輝く藍色の花畑にヴェーロは降りたってみせる。ヴィーヴォが自分の背から僧衣の外套がいとうひるがえして降り立つ。腰を低くして、彼は周囲に咲く灯花に話しかけた。

「ただいま。みんなはいつもここにいるね。好きなところに行けばいいのに……」

 りぃん、りぃん。

 苦笑するヴィーヴォに抗議こうぎするように、花たちは音を奏でてみせる。

 灯花になった魂は、地球を目指し空へと旅立つ。だが、この水底に留まる命もあるのだ。水底に残った魂は、生まれ変わるまで花として咲き続ける。

 ここに咲いているのは、ヴィーヴォが吐いた花たちだ。好きなところに飛んでいけばいいのに、花たちはヴィーヴォの側から離れようとしない。

 冷たい風が竜のたてがみをなで、花たちをゆらす。ヴェーロは鳴き、巣に帰ろうとヴィーヴォにうながした。

「ごめん、ヴェーロ」

「きゅん」

「今日もありがとう……。いっぱい飛んで疲れたろ? 家に帰って休もう」

 頭を下ろすと、ヴィーヴォが優しくたてがみをなでてくれる。気持ちよくてヴェーロは眼を細め、くるくると喉を鳴らしていた。

 ヴィーヴォが顔を赤らめ、ふるふると震え始める。

「いやーん、可愛いよヴェーロっ! 今日も2人で一緒に寝ようねっ!!」

 自分の頭を抱き寄せ、ヴィーヴォは頬ずりを繰り返す。くすぐったくてヴェーロはきゅんと声をはなっていた。

「あ、ごめん……。君が可愛すぎて、ついね……」

 自分の鼻筋に額を押しつけ、ヴィーヴォは幸せそうに眼を閉じてみせた。

「ずっと独りぼっちだったから、君がいるだけで毎日が楽しいんだ。だからねぇ、僕は君がいればそれでいい。他にはなにもいらないよ……。罪を犯した僕には、過ぎた幸せだ」

 そう言ってみせるヴィーヴォの声がどこか寂しげだ。胸元に手を充て、彼は弱々しく微笑んでみせる。 ヴィーヴォの言葉に、ヴェーロは胸をしめつけられていた。

 ヴィーヴォの胸には小さな焼き印がある。それは、罪人の証だとヴィーヴォは言った。

 ここに来る前、自分たちは大きな都にいた。

 聖都と呼ばれるそこは、花吐きを崇める教会の中心地だ。教会はこの水底を統治も司っており、その権力は絶大だ。

 けれど、罪を犯したのはヴィーヴォではない。

 悪いのは、自分と彼を引き離そうとした人間たちの方なのに。

 ヴェーロは小さく翼をはためかせてみせる。ヴィーヴォが驚いた様子で自分を見あげてきた。

「あ、ごめん。風も強くなってきたし、そろそろいこうか」

 ヴィーヴォが微笑んでみせる。ふうっとヴェーロは鼻から息を漏らし、ヴィーヴォの体に頭をすり寄せていた

「うん、帰ろう。愛しい人……」

 ヴィーヴォがそう言った瞬間、頭上の星空が激しく瞬いた。それに呼応するように、周囲の灯花が強い光を放ち始める。

 りぃんりぃん。

 花は激しくゆれながら音を発する。ヴィーヴォは驚きに眼を見開き、呟いた。

「あのときと、一緒だ……」

 そっと自分の鼻筋をなで、彼は空を仰ぐ。星々の瞬きがいっそう強くなり、一滴の流れ星が地上へと落ちていく。

「ヴェーロっ! あそこに連れて行ってっ!」

 流れ星が落ちた場所を見つめながら、ヴィーヴォが叫ぶ。ヴィーヴォが自分の脇へと駆けていき、地面を蹴って背中に跳び乗る。

「早くいってあげなきゃ、君の仲間が死んでしまうよっ!」

 彼の大声にヴェーロは大きく眼を見開いていた。自分の仲間が死んでしまうとは、どういうことだろうか。

 ヴェーロは星空を泳ぐ竜の陰影を見つめる。

 自分が知っている同族といったらあの巨大な竜の陰影だけだ。ヴェーロはこの水底で、同じ虚ろ竜に出会ったことはない。

「早くっ!」

 ヴィーヴォが急かすように鬣を引っ張ってくる。

「きゅん!」

 痛いと抗議の声をあげながらも、ヴェーロは翼をはためかせ花畑から飛び去っていた。





 


 



 流れ星が落ちた場所は水晶の谷だった。

 星空を映し出す水晶の峰は、星々の光を受けて砂粒のような光を放っている。その峰の間をヴェーロはゆったりとした速度で飛んでいた。峰のすき間には深い谷があり、うなるような川の流れが聞こえてくる。

「おかしい……。この辺りのはずなんだけど……」

 真摯なヴィーヴォの声が背中から聞こえてくる。先ほどからヴィーヴォは何度も同じ場所を飛ぶよう指示しては、そう呟いていた。場合によっては、谷間すれすれまで降下することを指示してくる。

「ヴェーロ、あそこっ!」

 ヴィーヴォが自分のたてがみを引っ張る。痛いと鳴きそうになったが、谷底に光るものを認め、口を閉じた。

「早くっ!」

「きゅん」

 ヴィーヴォに急かされ、竜は谷へと降下していく。ごうごうと音をたてて流れる川の岸辺に光る物体を見つけ、川の浅瀬あさせへと着地した。

 川面が波立ち、岸辺に打ち上げられた光るものをゆらす。ヴィーヴォは自分から跳び下りて、光るものへと駆け寄っていった。

「よかった……。まだ生きてる……」

 両手でそれを抱き上げ、ヴィーヴォは笑顔を浮かべる。彼はそれを抱きしめて、こちらへとやって来る。

 彼に抱かれたそれは、光る卵だった。ヴェーロは眼をまん丸にして卵を見つめる。

「初めて見るもん、驚くよね。ほら、君の仲間だよ。この大きさと形状だと、君と同じ銀翼ぎんよくの一族のものかな……」

 驚く自分の鼻先に、ヴィーヴォは卵を近づける。大きさはヴィーヴォの顔ぐらいだろうか。

 ヴェーロは鼻先に近づけられた卵の匂いを嗅いでみた。

 鼻先を当ててみると、あたたかなぬくもりと小さな鼓動こどうが伝わってくる。

 光る卵は、生きているのだ。

 それになんだろう。卵の光が妙に懐かしくて心地いい。

 ヴェーロは卵に頬ずりをしていた。卵のあたたかな体温に、気持ちよくて小さく鳴き声をあげる。

「君と同じ虚ろ竜の卵だよ。本当、新しい世界を探すのはいいことだけど、自分たちの子供を産みっぱなしにするのはどうかと思うよ……」

 卵を抱きなおし、ヴィーヴォは空を仰いで見せた。暗い谷間からも細長い星空が見える。その星空の向こうで、竜の陰影が優美に泳いでいる。

 ――あれが君のお母さんたち。産みっぱなしにされていた君を、僕が拾ったんだ。

 幼い頃にヴィーヴォから聞かされた言葉を思いだす。ヴィーヴォ曰く、虚ろ竜たちはたま卵を産むらしい。

 でも、新しい世界を探すことに夢中で、産んだ卵のことを忘れてしまうんだそうだ。

 そんな竜の卵が、水底には落ちてくる。

 ヴェーロも大きくなるとあの陰影の竜たちのようになるらしい。大鹿おおしかほどの大きさしかない自分が、そんなになるなんて考えられないけど。

「さぁ、早く帰ってこの子をあっためてあげよう。こんな冷たいところにいたら、卵が死んでしまう」

 愛しげに卵を見つめながら、ヴィーヴォは言葉を紡ぐ。彼は卵を顔に近づけ、頬ずりをしてみせた。

「早く産まれるといいな。新しい家族がまた増える。僕と君の子供だね、ヴェーロ」

「きゅんっ」

 ヴィーヴォが嬉しそうに微笑んでくれる。ヴェーロは翼をおおきくはためかせて、弾んだ鳴き声を彼に返してみせた。


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