世界の器

 

 夜空を、銀色の竜が飛んでいる。

 大鹿ほどの大きさをした彼女は、銀のうろこで全身をおおわれていた。背中には銀糸のたてがみを生やし、風になびかせている。

 広げられた竜の翼は白銀の皮膚で覆われ、蒼い静脈が扇状おおぎじょうに広がって模様もようをつくっていた。

 竜の眼は、地球を想わせる蒼だ。その眼をきょろりと動かし、竜はきゅんと鳴いてみせる。

 その背の上には、紺青の髪を靡かせる、夜色を想わせる少年が乗っていた。






「凄い! 凄い! 星がおどってるよ、ヴェーロ!」

 背の上で、つがいであるヴィーヴォの笑い声が聞こえる。名前を呼ばれたヴェーロは――少年に名を呼ばれた竜は――空を見あげた。

 砂粒のように細かい星々がまたたいていた。宝石箱をひっくり返したようなその光景に、ヴェーロはきゅんと声をあげる。

「やっぱりすごいっ! 凄いよねっ!!」

 ヴィーヴォが頭を叩いてくる。少しばかり気分を害して、ヴェーロは翼を激しく動かしてみせた。

「ちょっ! 落ちちゃうよっ、ヴェーロ! 僕が死んでもいいのっ!? 僕は君の番なんでしょ!?」

「きゅんっ」

 鬣を引っ張られて、声をあげる。まったくもって、ヴィーヴォはワガママだと思う。

「ちょっとヴェーロ、聞いてるっ!?」

 ヴィーヴォが鋭い声を放ってくる。それでもヴェーロは気にすることなく、悠然ゆうぜんと星空を飛んでいた。

 ヴィーヴォの小言なんて聞いていていたらこちらの身が持たない。それに、気に食わなかったら鬣を引っ張るなんてもってのほかだ。

 これはお仕置きが必要だな。

 ヴェーロは大きく翼をはためかせ、飛ぶ速度をあげてみせる。

「ちょ、ヴェ―ロっ?」

 彼の言葉に耳を貸すことなく、ヴェーロは翼を後方へとらし急降下を始める。

 銀糸の鬣を風になびかせながら、今度は翼を広げて急上昇してみた。眼下に見える森が、視界の中でくるくると回っている。冷たい風が鱗を滑って気持ちがいい。

「ちょっ! やめてヴェーロっ!!」

 ヴィーヴォの声が耳朶じだに響く。あまりにも煩いのでヴェーロはきゅんと短く鳴いて、何度もとんぼ返りを繰り返した。

「やだ! ちょ、ヴェーロっ!!」

「きゅーん!!」

「気持ち……悪い……」

 とんぼ返りをやめると、背に乗るヴィーヴォががくりと身を横たえてくる。ヴェーロの頭もフラフラだ。

 気休めに星空を見あげる。

 星々が夜空をゆったりと動いている。その星空の向こう側に巨大な竜の陰影いんえいがあった。

 その竜の陰影たちを輝く地球が照らしている。

「あぁ、あの竜達の背にはどんな世界が広がっているんだろうねぇ、僕の恋人……」

 そっと頭をなでられ、ヴェーロは驚いて眼を見開いていた。その眼に、ヴィーヴォの逆さまの顔が映りこむ。

 サイドの片方を三つ編みにした紺青こんじょうの髪に、少女めいた風貌ふうぼうの整った顔立ち。なによりヴェーロは、星屑めいた光が宿る彼の黒い眼が大好きだ。

 その眼を細め、ヴィーヴォが微笑んでくれる。なんだか嬉しくなって、ヴェーロは大きな眼に笑みを浮かべていた。

 ふんわりと彼から花の香りが漂ってくる。その香りが心地よくて、ヴェーロはぐるぐるとのどを鳴らしていた。

 母親代わりだった彼とつがいになったのはいつだったろうか。後で聞いた話だが、彼は冗談でそのことを口にしたらしい。

 彼の発言をに受けて、あんな姿になったことをヴェーロは今でも後悔している。

 あの姿になってから、ヴィーヴォはヴェーロを以前のようにあつかってくれなくなった。竜を人間のめすのように扱うようになったのだ。

 恋人が何かわからないヴェーロに、それは竜にとっての番だと彼は教えてくれた。雄と雌で対になって子育てをするあの番だ。

 あらためて空を仰ぐ。

 相変あいかわらず地球は虚ろ竜たちの影を照らし、星は煌めきながら空を流れてくる。

 夜空を眺めていると、このうつろ世界の形がよくわかる。

 ヴィーヴォによると、この虚ろ世界は3層に別れているという。

 古い神話により、この虚ろ世界は地球に住む少女が見ている夢だといわれている。虚ろ世界は彼女の心のかたちそのものを表しているそうだ。

 虚ろ世界の頂には生命たちの生まれた地球が輝き、中央に虚ろ竜たちの飛び回る中ツ空なかつそらがある。そして、この世界の底辺にあるのがヴィーヴォたちの生きる水底みなぞこだ。

「この世界の初めに地球から生命を宿した卵が落ちてきた。卵を守るために、虚ろ竜たちは生みだされ、中ツ空を飛んでいた。

ある日卵が割れ、命が虚に散らばった。竜たちは散らばった命を背に乗せ、新たな世界を探し求める。竜に取りこされた命が虚の底に落ちて、僕たちが住む水底の世界を創りあげたんだ。そして、君はあの虚ろ竜たちが生み落とした子供なんだよ」

 ヴィーヴォが優しく囁く。

 視界からヴィーヴォの逆さ頭が消える。代わりに頭に彼のあたたかな手のぬくもりが広がる。頭をなでられながら、ヴェーロは彼の声に耳を傾けていた。

「本当にあれは運命の出会いだった……。星空から降ってきた卵から君は生まれたんだ。僕は思ったよ。君は運命の人だって。卵だった君は流れ星になって、独りぼっちだった僕に会いに来てくれたんだ……。だから僕はヴェーロが好き。僕を、暗闇から助けてくれたひとだもん……。あぁ、竜の姿の君にはクサい台詞が言えるのに、なんであの姿になると気持ちも伝えられなくなるかなぁ……」

 はぁっとヴィーヴォのため息が聞こえる。

「さぁ、雑談はここまでにして、仕事を始めようかヴェーロ。今日も歌をうたってあげる……」

「きゅんっ!」

 ヴィーヴォが頭をなでてくれる。嬉しくなって竜は鳴き声を発していた。

 自分がこの世で1番好きなのはヴィーヴォの歌だから。

 星空を見あげ、ヴェーロは空中で制止する。

 瞬間しゅんかん、ヴィーヴォの歌声があたりに響き渡った。

 美しいアルトの旋律が、夜空に響きわたる。それに呼応するように、星々が長い尾を引いて、こちらへと落ちてきた。

 とんっと背を蹴られて、ヴェーロはきゅんと鳴く。背に乗っていたヴィーヴォが跳び下りたのだ。

 落ちていく彼の体を、流れてきた星々が取り巻いていく。彼が歌うたび、星々は彼の周囲を巡り、旋律せんりつに合わせて明滅を繰り返す。

 ヴィーヴォがうたうのは、鎮魂歌ちんこんかだった。

 失われた命をいつくしむ旋律は周囲の空気を震わせ、星々をまたたかせる。その星々が、歌を刻む彼の唇へと吸い込まれていく。

 落ちていたヴィーヴォの体は空中で止まり、ゆったりと光を帯び始めた。彼の眼は光りにゆらぎ、紺青の髪は白銀の輝きを宿す。

 ヴィーヴォが空を仰ぐ。

 あおく輝く地球を、彼は見つめていた。

 彼が唇をあける。

 ふっとヴィーヴォが息を吹くと、そこから結晶の花弁かべんを持った花々が生じる。

 花は藍色あいいろをしており、その形は菖蒲あやめを想わせる。そんな結晶の花がヴィーヴォの唇から生まれては、地球を目指して舞いあがっていく。

 水底で死んだ者たちは、死後も星となってこの世界にとどまり続ける。

 そんな魂を浄化し、新たな命として送り出す者たちがいる。

 花吐はなはき。

 そう呼ばれる人々は、星として夜空をさまよう魂を浄化し、花の結晶に変換へんかんすることで新たな命へと生まれ変わらせることができる。

 その能力を発動させるために必要なのが、紡ぎつむぎうたと呼ばれる歌だ。歌を介して花吐きは星に語りかけ、彼らを花へと変えることができるのだという。

 灯花ともしびばなと呼ばれるその花がどこにいくのか、ヴェーロは知らない。

 ヴィーヴォによると、みんな生命の生まれた地球に行きたがるが大半の花は中ツ空の虚ろ竜の背にある世界にとどまるのだという。

「ヴェーロ、花畑に戻ろうかっ!」

 ヴィーヴォが顔をあげて自分を見つめてくる。きゅんと鳴いて、ヴェーロは彼の元へと飛んで行く。

 宙に漂うヴィーヴォの側にやって来ると、彼は優しく自分をなでてくれた。

「また、星が増えてる……」

 ヴィーヴォが呟く。

 彼を見る。彼は厳しい眼差しで、夜空に瞬く星々を見つめていた。

「嫌な予感が、当たらないといいんだけど……」

 ぽつりとヴィーヴォが呟く。その呟きになぜかヴェーロは胸騒ぎを覚えていた。



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