Ovo 竜と、卵 

始まりの物語

 母さんと引き離されて、どのくらいの年月がたっただろうか。

 暗い霊廟れきびょうに、僕はどのくらい閉じ込められているだろう。

 りぃんと涼やかな音がして、僕は顔をあげていた。

 僕の吐いた花が、闇を蒼く照らしている。紫色をしたそれは結晶の花弁をつけ、風信子ひやしんすのような形をしていた。

 花吐き。

 僕は、そう呼ばれる存在だ。

 死した人々の魂を結晶の花に変え、新たな命へと生まれ変わらせる存在。新たな命を紡ぐ存在が花吐きだと、兄さんは言っていた。

 だからこそ僕は、この霊廟に閉じ込められている。

 僕は神である始祖の竜の使いとして崇められ、外に出ることすらも許されない。

 花吐きさまと呼ばれ、名前で呼んでくれる人もいない。

 ヴィーヴォという名前が僕にはちゃんとついていたのに――

「名前、呼ばれてないなぁ……」

 呟くと、僕の周囲に咲く花がりぃんと鳴って返事をくれた。

「君たちがいるから、寂しくないよ」

 僕は花に微笑みかける。僕の吐いた花たちは、僕のことをしたってくれている。

 だから、こうして独りぼっちの僕のために、話し相手になってくれるのだ。

 でも――

「君たちは、ここにずっといちゃいけない。僕みたいに、囚われのお姫様になっちゃだめだよ……」

 彼らは、僕のことが心配でこの霊廟に留まってくれている。でも、本当は新たな命へと生まれ変わるために、ここから離れなくてはいけない存在なのだ。

 僕がそれを躊躇ためらわせている。

 僕が独りにならないように、花たちはここにいてくれる。

 僕は天井を仰いだ。

 星が見えるはずの空は、闇に包まれた半円形のドームで覆われている。眼を凝らしてみせると、そこに空を飛び回る竜のレリーフが描かれているのがわかる。

 レリーフの竜たちは、小さな人々を背に乗せ空を飛び回っていた。

 虚ろ竜だ。

 僕たちがいるこの世界の上空には、異世界を背に乗せた竜たちが飛ぶ世界、中ツなかつそらがある。竜たちの背にある世界には、太陽と呼ばれる眩しい光があって、世界を照らしているそうだ。

 僕たちのすむ水底みなぞこの世界は、いつも闇夜に閉ざされているというのに。

「見てみたいな、太陽……」

 そっとレリーフに手をかざし、僕は呟く。

 光が見たい。闇じゃなくて、寂しい気持ちを忘れさせてくれるぐらい綺麗な光が。

 遠くに行きたい。

 虚ろ竜の背に乗って、こんな暗い寂しい世界からいなくなってしまいたい。

「連れてってよ……。僕も君たちのところへ……」

 そうレリーフの竜に囁きかけた瞬間、轟音が霊廟に響き渡った。

 僕の灯花たちが蒼くまたたき、りぃんりぃんと激しく音を奏でる。

「何っ!?」

 大きく天井がゆれ、ドームの一角を崩して、何かが霊廟へと落ちてくる。瓦礫がれきとともに落ちてくるそれ見て、僕は大きく眼を見開いていた。

 卵だ。

 僕の頭ほどもある大きな卵が、蒼い光に照らされながら霊廟へと落ちてくる。

 僕は卵へと駆けていた。落下する瓦礫をすり抜けながら、僕は卵を抱きしめる。

 温かい。

 体に温かな卵のぬくもりが広がっていく。驚いて眼を見開いた瞬間、僕は仰向けに倒れ込んでいた。

 星空が、見える。

 砂粒のような星々が、夜空をおおいつくしている。その光景を穴の開いた天井から僕は眺めていたのだ。

 その星空を泳ぐ、巨大な陰影いんえいがいくつもあった。

 巨大な竜の影が、星空を優美に泳いでいる。その竜たちが泳ぐ星の海を蒼く輝く地球が優しく照らしているのだ。

「きれいだ……」

 夜空を眼にして僕は呟いていた。じわりと眼がにじみ、僕は静かに涙を流していた。

 どうして、泣いているのかわからない。でも、涙は後から後から流れてきて、僕の頬をらしていく。

 とくりと心音が聞こえて、僕は我に返る。

 胸に抱いた卵が、かすかな心音を発している。そっと起きあがり、卵のからに耳をてる。

 とくり。とくり。

 優しい心音が、僕の耳に心地よく流れてくる。

 まるで、母さんが歌ってくれた子守歌みたいだ。

 この子は生きている。僕を慰めようとしてくれている。

「僕に、会いに来てくれたの?」

 声を投げかけると、力強い心音が耳朶じだに響き渡る。

 卵が、こたえてくれた。

「僕、もう独りじゃないんだ……」

 そっと卵から耳を放し、僕は微笑んでいた。胸に卵を抱いて、僕は眼を瞑る。

 唇を開けて、僕は卵のために歌を奏でていた。

 母さんが遠い昔に歌ってくれた子守歌を。

 りぃん、りぃんと花たちが僕の歌に合わせて音を奏でてくれる。僕はその音に合わせて、卵に歌で語りかける。

 優しく、穏やかな声で、遠い母さんの記憶を手繰り寄せながら。

 今日から、僕がこの子のお母さんになるんだ。

 この子をかえして、僕が守ってあげるんだ。

 この子は独りぼっちの僕のために、空から落ちてきてくれたんだから――

 





 


 彼女と出会った日のことを思いだし、僕は眼を開く。

 僕の眼の前には、卵からかえり成長した虚ろ竜の姿があった。

 銀のうろこで全身を覆った彼女は、長光草の乾草ほしくさの上で丸くなっている。そんな彼女を見て、僕は胸を痛めていた。

 でも、彼女に真実を告げなければいけない。

「その卵はさ、産まれない運命を背負わされていたんだよ。だから、ヴェーロのせいじゃない」

 僕の言葉に、ヴェーロは長い首を持ちあげた。銀糸のたてがみがさらりと鱗の鱗の上を滑っていく。蒼い眼をきょろりと動かし、彼女は悲しげに僕を見つめてくる。

 ヴェーロは、僕の頬を鼻先でなでてきた。

 そんなヴェーロの鼻をなで、僕は彼女に起き上がるよううながす。

 起きあがった彼女の腹下には、大きな卵が置かれていた。

 僕たちが拾って、あたためていた卵だ。

 卵はすっかり冷えていて、命の鼓動すら感じられない。それでも彼女は諦めきれず、きゅうんと僕に鳴いてみせる。

 彼女は、卵が生きていると信じているのだ。

 氷のように卵は冷たいのに――

 どうして卵を守れなかったのだろう。後悔の念ばかりが僕の胸に湧き上がる。ヴェーロを守ることができなかった、あのときみたいに。

 僕はいつも情けないぐらいに無力で、誰かに守られてばかりいる。

 涙をこらえて、僕は竜の頭を抱き寄せていた。

「泣かないで、僕の愛しいひと……。この子は、ちゃんと送ってあげるから。綺麗な花に変えてあげるから……」

 震える声で彼女にささやき、僕は冷たい卵を見つめる。眼を拭い、僕は彼女の腹下へと潜り込んでいた。

 卵を両手に抱え、腹下からそっとでてくる。

 卵は、石のように重たく、冷たい。

 それでも僕は、卵を強く抱きせていた。卵を救えなかった罪の意識が、僕にそうさせる。

「この子のために花を吐こう。そのために最高の歌を奏でなくちゃ。ねぇ、僕の恋人。僕の歌を聴いてくれる?」

 潤んだ眼に笑みを浮かべ、僕は彼女に問いかける。ヴェーロは悲しげに鳴き声をらし、翼を広げて僕の言葉に応えた。



 


 これは、虚ろ竜である彼女の物語だ。

 僕のために空から落ちてきてくれた彼女の視点で、この物語はつづられる。

 この物語を読んでいる人々は、物語の起点が僕から彼女へと移り変わることに疑問を抱くだろう。

 けれど、1つだけ弁明べんめいさせて欲しい。

 彼女は竜だ。人である僕たちとは考え方も、感じ方すらも違う。

 だからこそ、人である僕がこの物語の始まりの語り部とつとめさせていただいた。

 僕、花吐きのヴィーヴォはこの物語において彼女に寄りう陰に過ぎない。

 僕をこの物語の主人公だと言ってくれる読者もいる。

 ある意味、これは彼女と共に生きた僕の物語でもある。

 けれど、この物語の主人公は彼女だ。

 僕は彼女の導き手でもあり、彼女が求める者でもある。

 なぜなら、僕は彼女の中に生きる存在だからだ。

 僕たちは、僕らの世界はあなた方の内側に存在する。

 広く異なる世界は、外側ではなく内側にこそ無限に広がっているのだ。

 遠く、心の奥底まで。

 彼女は読者を悦ばせる物語をつむがない。

 僕らは、ただありのままの僕らを君たちに受け止めて欲しいと思っている。

 それこそが僕らとの対話であり、物語を読むことの真の姿だと僕は思う。

 僕らは読者に寄り添いはするが、読者の奴隷どれいになることはできない。

 ここで語られるのは読者のための物語ではないからだ。

 全ての物語に、等しく主人がいる。

 物語は、その物語の中で生きる人々のものだ。

 読むものはそれを俯瞰ふかんし、感じることしかできない。

 しかし、そこから新たな始まりを見つけることは可能だ。

 僕が、彼女と出会ったように。

 彼女が、僕と出会ってそうであったように。

 物語とは、新たな世界をあなたに与えてくれるものだ。

 それを忘れた読者は、他者と対話をすることすらできない。

 物語という名の他者と。

 なぜ、あなたは物語を読むのか。

 これは、読者であるあなたへの問いかけだ。

 では始めよう。

 彼女と、僕の物語を――





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