同窓会 その2

「嫌な思い出って、どうする? 」

別の日武田にそう聞いた事がある。

五月には珍しく台風が来ていて、窓がガタガタと鳴っていた。部屋の窓から見える、庭の鬱蒼と繁った藤の木が大きく揺れている。

「忘れるようにする」

武田が即答した。

「それか・・・、なるべく思い出さない」

後半には苦笑いが含まれ、正輝も一緒に笑った。さらに訊いてみた。

「じゃあ、その思い出を他に覚えてる奴がいて、お前に思い出させようとしたら? 」

「殴ってでも止めさせるね」


その通りだ。友人とのやり取りを思い出しながら、近くのソファへ腰掛ける。手にはまだ同窓会のはがきを持っていた。

「そうできたら、してるよ」


過去には二本の紐がついているんだ。

一本の先を自分の手が、もう片方を他人の手が握っている。

自分が握っている過去は、自ら紐を引かぬ限りやって来る事はない。しかし、他人の手が握っている方は他人が好き勝手に引き寄せる事ができてしまう。

振り返りたくない自分の過去。それを一体幾つの手が引き寄せるのか。まして同窓会に行けば。その手の数を考えただけで、正輝はぞっとした。

皆はそれでも構わないのだろう。会いたい人や、他の人の変わり様を見ると同時に、変わった自分を見て欲しいのだから。父親、母親、あるいは第一線で活躍している、又はそのような物がなくても、最低〝外見が大人になった〟自分を。そうして昔の未熟な自分がこれだけ変わった事を見せつけ、皆の記憶から過去の自分を、現在へと塗り替えたいのではないか。

と言う事は、同窓会に出席しない自分は、皆の記憶の中に永遠に〝未熟な昔の自分〟を住まわせている事になる。しかし、自分が行かなければ誰もその記憶の糸をたぐりよせる事もしないのだ。

記憶の缶詰だ。開けるのは、いつになるのだろうか。


過去。

思い出したくないもの。

過去は、捨てるものだ。


学生時代。彼は全く問題のない子供だった。明るくて元気が良く、勉強もスポーツも中より上で、友達も多かった。学級委員を何度か務め、教師達にも気に入られていた。思えば充実した学生時代だった。

それでも、それでも戻りたくないのだ、過去の自分には。

当時の彼は、ひたすらまっすぐで、純粋だった。反抗期と言われる中学、高校時代も親や教師に従順で、母はよく周りに「正輝は良い子で助かる」と自慢していた。

そもそも彼には反抗期がなかった。教師や親の言う事や行動は絶対だと思い、反抗する事自体思いつかなかった。だから教師に歯向かうクラスメイト達を見ても、黙って言う事を聞いていれば簡単に済む事なのに、何故余計ややこしい方法を取りたがるのだろう、と仲間の気持ちが全く理解できなかった。

何故そんな彼がクラスから除け者にされなかったのかと言うと、強さがあったからだ、と思う。大人になってから、かつて取り戻したいと切望した強さ。

それは喧嘩が強いとか、頭が良いという類のものでなかった。当時の、ただ突っ走って行く為だけの根源_無知と純粋と素直だった。

彼は当時、あまりに物事を知らなさすぎた。ただ目の前にある道だけを見続け、その周りは全く眼中に入っていなかった。前を見続けるという単純で、だからこそ何物にも匹敵する強さ。彼は無知と純粋と素直から来る自分への絶対の信頼を得、周りがどうであろうと何事も気にしなかった。周囲も自分に対して疑問を全く抱かない彼の勢いに押され、その根拠のないパワーに巻き込まれたのだろう。

今まではそんな過去の自分を、その強さを羨ましく思っていた。嫉妬すらした。物事が上手く運ばない時、世間の目を気にする時、すぐに決定できない時、前しか見なかった強さを取り戻したいと願った。

しかし。二十七歳になった正輝は今、昔の自分を受け入れないでいる。

何故自分はあれほど単純だったのだろう。前方しか見ず、目に映る物しか信じなかった。何故周囲に疑問を抱かなかったのだろう。今振り返れば小、中学校時代は最悪だったのだ。当時の自分がどの時代もそれなりに楽しんでいたのが信じられない。そして、そんな自分を知っている環境_教師、同級生達、思い出が染み込んだ校舎でさえ彼には振り向きたくない物となった。

過去は、完璧なものでなければいけない。

余計な物を取り除き、楽しかった事、良かった事だけを思い浮かべる。


過去は、選び取るものだ。



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