第三話 異能バトルの解釈
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さて困ったことになったと、いつも通り僕はその心中をそのまま表情として出していたのだろう。通りかかった善良そうなアラサー男性が大丈夫ですかと気遣いの言葉をかけてくる。
ええ大丈夫ですお構いなくとあしらおうとすると、口を開く前に男性はむっとしたように僕の顔を見返してくる。邪魔だからさっさと失せろという心中が、どうやらまた顔に出ていたようだった。
男性が去っていくと、僕は夕暮れの駅前アーケードを隠れるように駆け抜け、二度と開くことのないであろうシャッターが下りたスナックやら雀荘やらが並んだ薄汚い路地に入った。
いかにもだな、と僕はげんなりする。一歩出れば街中駅前繁華街ではあるのだが、そこは所詮地方小都市。一歩入れば即場末である。
「ははーん、見つけた。お前がターゲットの『能力者』だな」
そこに現れたのは、やはりいかにもな人間だった。
高校の制服を不良には見えない程度に着崩し、ワックスで逆立てた髪の毛。両手はきちんとポケットの中に収めている。
「戦いの流儀だ。俺の名は
この時点で、僕の負けである。
考えてもみてほしい。この男――田中くんは、音節としては「シークレットファイヤ」と喋った。それが僕には、「神秘の炎」に「シークレットファイヤ」とルビを振っているのだと受け取れてしまったのだ。
完全に相手の術中――解釈の中に取り込まれている。
そしてその解釈を敷衍しているのが田中くん当人ではないのが、また厄介なのだ。
「あらら、炎帝と名高き貴方が、初心者狩りとは嘆かわしい」
くすくすと――そのままの音で笑う声が背後から聞こえた。
「テメエ――」
振り向くと、長い黒髪を陰気に垂らした制服姿の女が立っていた。
「氷の女王――邪魔する気かよ」
「いいえ。やりたいなら勝手にどうぞ。ただし、バトルはフェアじゃないとつまらないでしょう? 私の名は
「佐藤太郎」
打ち合わせ通り偽名を使う。しかし参った――山村さんが「あなた」をわざわざ漢字の「貴方」で使っているということすら理解できてしまうほどにまで、相手の解釈――世界観の中に入り込んでしまっている。
ゆっくりと顔を上げようとしたその時、僕はタタリさんとの打ち合わせを、しっかりと思い出していた。
「相手の土俵に上がった時点で負けです」
ダダーでまたあの八寒地獄パフェなどという悪ふざけの産物をぺろりと平らげると、タタリさんは僕の顔を見つめた。
「いや、あの、僕の名前は――」
そう、伯父から説明を受けた翌日。ダダーにやってきたタタリさんに、僕はそもそもない仕事を放りだして自分の話を長々と繰り広げた。そのとどめとばかりに、僕は自分の名前――立待月夜というものを伝えたのだ。
「んなモンはわかっとります。君のその名前は、今日出向く相手には伝えないほうがいいネと言っとるんです」
ああ、やっぱり、タタリさんは解釈人を解釈しに向かう――そこに僕を連れていってくれると言ってくれているのだ。不安以上に嬉しくなった僕の顔を見て、タタリさんはフハッとよくわからない息を漏らした。
「今日の相手は、人を殺せるだけの解釈を与えている、まあ厄介な相手なんだな。全く、こちらの土俵に上がってこなければ一角のクリエイターになれたかもしれんのに。生産性のない馬鹿はくだらないが、生産性を生産性のないことに使うのは人間としての価値を放棄しとることにほかならんのです」
「それは、クリエイターとしての能力によって解釈を敷衍しているということですか?」
僕はこれでも一応二次創作BL界隈で育った男だ。アマチュア創作者の人となりの傾向は把握している。
「そいつは『エディター』と名乗ってます。頓狂な愚か者ですよ」
編集者、あるいはこの場合は、文書作成ソフトのことか。
「月夜くん」
ぬっと身体を伸ばし、ボックス席の向かいに座っていた僕の眼前まで顔を近づけるタタリさんに、初めて名前を呼ばれたこともあって僕はたじろいでしまう。
「今から教えるアカウントをフォローしなさい。非公開になっとるが、あの男のことだから月夜くんのアカウントくらい把握しとるでしょう。秒で承認されますよ」
言われた通りにアカウントを捜し出し、フォローリクエストを送る。タタリさんの言った通り、即座に承認の通知がきた。
「これは――」
それはいわば、情報の羅列だった。アカウント当人の投稿はほとんどなく、ネットの海に放たれたツイートをリツイートしまくっている。一見なんの一貫性もないようなリツイートばかりだが、通して眺めていくと、そこから文脈を読み取ることができる。スラング、ジャーゴン、略称、隠語――それらにまみれた投稿ばかりだが、これだけ並べられれば目を通していく内に感覚的に意味を理解できていく。
並べられたツイート主のプロフィールにも目を通していくと、全員が土師市内の若者だとわかった。どちらかといえば邪悪なインターネットで育った僕はネットに個人情報を載せることに怯えてしまうが、同世代の人間はなぜかそれにほとんど抵抗がない。
「『能力者』――彼らが全員、解釈人――ではないんですね?」
そのアカウントから読み取れた情報は、タタリさんは全て承知の上だろう。そこから僕がどう結論を出すのかを試している。
「ほう、どうやら君を一段階下に見ていたようだナ。いいですね、タタリさんは教える気なんてもんはないから、なにもわからんようなら月日くんに調教してもらうところでした」
さらりと恐ろしいことを言い出す――ということはやはり、このアカウントは伯父のものなのだろう。
「それは月日くんの作ったアカウントの内、一番穏当なものです」
「こ、これでですか――」
僕はそれを眺めていく内に、アカウント主の悪意がありありと読み取れた。ネットウォッチ――ヲチよりも、さらに悪質。なにせ相手は素性を明らかにしているような健全で愚かな若者ばかりである。そしてアカウント主がなにも言及せず、ただスクラップしただけということが意味することを理解できないほど純真な僕ではない。
これは晒し上げというより、見世物だ。
この連中の自己申告した動向を、それを眺めてせせら笑う手合いにスムーズに伝える。承認されなければ確認できない、非公開アカウントであるという点がさらにいやな予感を与える。まるで一見の客は受け入れない会員制クラブだ。
「残念な話だが、この文脈を読み取れないような人間というのは結構な数おるんです。これを読み取れるのは褒められたものではないがね。悪意への同調は時に人を滅ぼします。だがそれを感じ取れないのは単なる馬鹿です。ひとまず君は悪賢いネ」
「はあ……ありがとうございます」
「でだ。その『能力者』は、君の言った通り解釈人ではない。解釈を敷衍されたことによって力を得た、被解釈人といったところです」
伯父のアカウントから得られた情報を整理すると、土師市の中心駅である土師駅周辺で、『能力者』を名乗る若者たちが夕暮れから夜中まで、日々バトルを繰り広げているということだった。実際の投稿内容ではそれはあくまで前提であって、罵詈雑言や勝利宣言などで埋め尽くされていたのだが、タタリさんに認められた僕の悪賢さで前提を導きだすことができた。
「エディターというのが、『能力者』に解釈を与えているんですね」
「そうだね。今日はそいつを解釈します。相手の手の内は、わかりますか」
僕はしばらく黙って考えを巡らせると、おずおずと口を開いた。
「エディターがクリエイターの素質を持っているというのなら、その人がやっているのは、『うちの子』を作っているようなものなんじゃないでしょうか。『能力者』は、自分からエディターに会いにいって力を授けられていると僕には読み取れました。つまりエディターは、現実の人間というものを、自分の創作世界の解釈に当てはめている――キャラクター化させているんじゃないかと」
「そうなると君の名前というものは、いささかインスピレーションを刺激しすぎるでしょう」
立待月夜――確かにこの名前からなら、それっぽい能力は結構な数思いつくだろう。無論名前だけで能力を決めているわけではないのだろうが、名前と能力が結びつくというのは、それだけでキャラが立つ。
「ああ、それで相手の土俵に乗らないように――」
「タタリさんは君をそれほど信用しとらんので、聞こえのいい能力とやらを設定されれば、君がそれに乗っかからんとはどうも思えんのだな」
否定したかったが、できなかった。
ただ、タタリさんが僕の考えを当然のものとして受け取ってくれたことは、大きな支えになった。それを褒めることはしなかったが、否定もしなかった。このくらい理解できて当然だという前提で――恐らくはいつも――タタリさんは話を進めている。その途轍もなく大きな歩幅に合わせられたことを、誇ってもいいだろうか。
「なにを気色の悪い顔をしとるんです。というわけでさっさと行きますよ」
するりと席を立って店を出ていくタタリさんを見失わないように、僕は慌ててマスターにエプロンを押しつけて店を出た。
土師駅は市内で唯一の、快速電車停車駅だ。特急は元より快速ですら市内をほぼスルーしていく鬱憤が爆発したのかは知らないが、土師駅周辺は市内では最も開発が進んでいる。
駅を出てすぐの一等地――市内では――には去年できた県内最大規模のパチンコ店が堂々と鎮座し、その巨大資本の威光の影には昔ながらの飲食店や歓楽街もどきがこそこそと息を潜めている。
そうした連中が隠れているであろう無数に建ち並ぶ背の低い雑居ビル。小料理屋もキャバクラも風俗店もやくざの事務所も同居するその三階。
「ご無沙汰しています、三日月先生」
三十代半ばの、小さな女性だった。おどおどとしきりに周囲に目を走らせ、タタリさんと目がかち合う度に愛想笑いを浮かべる。
この女性が、土師市内の若者どもに力を与え、争わせている張本人――エディターだという事実に、僕は別段驚かなかった。
作品と人間性は無関係であるのと同様に、文章媒体でコミュニケーションを行う人格と実際に顔を合わせてコミュニケーションを行う人格は、大抵無関係だからだ。
邪悪なインターネットに絶賛青春を捧げている最中の僕にとってはだから、邪智の陰謀を巡らす人間性と現実に表出する人格というものも、無関係であって当然という認識があった。
なので、気は緩めない。この女性がいざ対面すれば威厳も貫禄もないコミュ障だったとしても、彼女こそがエディターであるというのはタタリさんによって示されているのだから。
「それで本日はどういったご用件で……?」
「あなたを解釈します」
エディターは少しの間、完全に固まった。
この女性は、タタリさんを知っていた。通り名まである解釈人ということは、それなりの領土を占有していると思っていいだろう。話しぶりから見るに、今までタタリさんとは何度か顔を合わせているようだし、お目こぼしをされ続けてきた――それほどまでの有力者ということだ。
エディターは、困ったように笑った。
「えーっと、三日月先生、私のことご存知ですよね? なら、私が陥落すればどうなるか――」
「全部終わりにするつもりです」
空虚に響く笑いで、必死に焦りをアピールするエディター。
「いやあ、でも、『能力者』の子たちはどうするんです? GM不在で野に放たれたうちの子たち、絶対暴走すると思うんですけど……」
女性は追い詰められている。タタリさんからの解釈宣告は、それほどまでに重いのだ。だからと言って声を荒らげたり、凶暴に豹変したりはしない。女性の人格はそれが可能ではないのだろうし、可能だとしてもタタリさんはそんなものが通用するような相手ではない。できることと言えばせめて正しく見える論理を挙げるだけ挙げてお目こぼしを懇願することくらいだ。
「長老格の連中から、私の解釈の及ぼす影響は聞いていると思いましたが」
「はい、聞いてます。でもですね、『能力者』の子たちは、おのおのが自身に与えられた設定を基に、自分の世界観を獲得してるんです。だからですね、三日月先生が私を解釈しても、壊れるのは舞台だけで、キャラは残ると思いますよ。あの子たちは解釈人ではないですけど、それに近しい存在にはなっていますから……」
卑屈な笑みだが、その魂胆は論破してやったと勝ち誇っている。
「うん。それだとタタリさんでも手が出せないね」
いやな予感がして、僕はタタリさんの顔を覗き込む。タタリさんはその通りだと言わんばかりにからからと笑った。
タタリさんが負けた――わけでは絶対にないのだと、僕は最初からわかっている。この程度の相手に丸め込まれるようなタマだったら、タタリさんは今ここにいない。そして今、タタリさんがここにいて、その隣に僕がいるということは――いやな予感というのは、すなわちこうしたわけである。
「ではあなた、この人の『キャラシ』を作りなさい」
「えっ……?」
「この人は佐藤太郎という人で、まあ人質というわけです。この人にあなたの解釈を当てはめるのを許してあげるから、その上でタタリさんにあなたを解釈させろと言うとるんです。無論そちらの作る設定にタタリさんは一切口を出さんから、好きなように弱くしたらええですよ」
「たっ、タタリさん――」
僕が待ってほしいと何か言おうとすると、エディターははっと息を呑んだ。
「人質に足る人物というのは、確かなようですけど……」
「遠慮はいらんですよ。この人が死んでも、まあ困るには困るが、その程度だと諦めます。そしてその時は、あなたを解釈するのも諦めてあげます」
「ほ、本当ですか……?」
頷くタタリさんに、エディターは思い切り頭を下げた。
「で、では、今から即行でキャラシを作りますので、集中したいので、少し外に出ていてもらえますか」
「望むところです」
困惑する僕を引っ張って、タタリさんは部屋を出た。
エレベータの前でなにか言い出そうとする僕に、タタリさんはひとこと、
「エディターは無駄に意識が高いから、その点は大丈夫ですよ」
それで僕の表情から、死の恐怖は引いた。
僕が懸念していたのは、エディターが僕に、とにかく即座に死ぬような設定を付与するのではないかということだった。
たとえば持病を持っていて、余命一時間。
たとえば虚弱体質で、他人に触れられただけで死ぬ。
などなど、タタリさんが設定に口を出さないなどと言い出したことで、僕の生殺与奪権を掌握されたものだと思ったが――そうか、意識が高いのなら大丈夫だなと僕はひとまず落ち着いた。
キャラクターを作るということに心血を注ぎ、それによって解釈を敷衍しているということは、そのキャラクターの活躍できる機会をゼロにすることはない――できないのだ。
キャラシ――キャラクターシート。その単語を使っているということは、つまりそういうことだ。
投稿サイトなどで、互いに自分の創作したキャラクターを提示し、それらによる交流を楽しむ文化。その中でキャラクターの特徴や設定を相手にわかりやすく纏めたものを、キャラクターシートと呼ぶ。
交流企画なのだから、「うちの子」は元より「よその子」も慎重に扱う必要が出てくる。その場のノリで他人の創作したキャラを殺しでもしたら、その人物は手ひどいバッシングを浴びることになる。
エディターがやっているのは、その交流企画を、自分一人だけのキャラで動かしているということなのだ。違うのは、作ったキャラが生身の人間であるということ。
「ただ、今の間に街中の『能力者』に君のことを伝えてはおるだろうな。一歩外に出たら戦場というわけです」
「大丈夫なんでしょうか……」
僕の設定はエディター次第なのである。死ぬだけという役割のキャラを作らないとはいえ、無双できるような能力を付与してくれるとも思えない。
「言ったでしょうが。相手の土俵に上がった時点で負けです。タタリさんは説明はせんから、ちっとは自分で考えてみなさい」
「でもタタリさん、僕を『能力者』にするということは、僕に『能力者』を無力化させるためなんじゃないんですか……?」
「ヴァカですか。あなたが自分の力で解釈人を始末できるとでも思っとるなら、すぐに死ぬだけです」
そこで部屋のドアが開き、タブレット端末を持ったエディターが僕たちを招き入れた。
「これで、どうでしょう」
タブレットの画面には文字の羅列。イラスト系の交流企画でよくあるテンプレート画像に設定を書き込むタイプではなく、文書作成ソフトに直書きの簡素なものだ。「絵描き」ではないのだとエディターのパーソナリティに一つ付記しておく。
「佐藤太郎。能力の名は〝
「口は出さない約束だからネ。どうかな、佐藤太郎くん」
「はあ……」
エディターに渡されたキャラシに目を通すも、僕はどうにも釈然としなかった。
言っては悪いが――浅い。
無論、キャラクターを現実の人間に仮託しているという面で、無駄に設定を付与できないのはわかる。わかるのだが、これだけのキャラシと、僕という人間――そして『能力者』でカップリング妄想をしろと言われても、供給が少なすぎて不可能だと言わざるを得ない。
「佐藤太郎くん」
タタリさんに言われ、一拍遅れて僕は返事をする。
「いいですか、あんたはこれから夜明けまで、土師駅周辺をうろうろしていなさい。それで生きて帰ってこられたなら、タタリさんはエディターをすっかり解釈しています。ただし、あんたが死んだ場合、手を引くという約束だから、まあ死なないように気張りなさい」
それと同時に、重苦しい音を立てて上がってきたエレベーターのドアが開いた。
タタリさんはその中に僕を押し込めると、一瞥もくれずにエディターの部屋へと戻っていった。
さて大変なのはここからだった。
街へと出ると、もう駄目だった。そこいら中の若い連中が、僕を狙っているように見えていたたまれない。その恐慌はそのまま僕の表情に出てしまうから、『能力者』たちにとっては格好の目じるしになったに違いない。
僕は伯父のアカウントから得られた情報を統合し、とにかく陽の高い内はまだ安全であると自分を落ち着かせた。真昼間から往来で異能バトルを繰り広げるのでは、情緒もクソもあったものではないからだ。
人通りの多いエリアを離れず、全国チェーンのファストフード店やコーヒーショップで時間を潰した。片田舎ではそうした店は大抵いつでも繁盛しているから、人目は常に多い。
しかしながら一箇所に留まることは避けざるを得なかった。一時間ほどコーヒーショップで長居をしていると、それまで別のテーブルにいた若い客同士が合流し、僕のほうを見てなにやらひそひそ話を始めたのである。スマホを取り出し、カメラのレンズを僕のほうへと向けもした。
慌てた素振りを見せないように気をつけながら店を出た僕だったが、多分表情には切迫したものが浮かび上がっていたはずだ。ロックオンされたな――と肩を落とした頃にはもう陽が傾いていた。
そうなればもう街全体が僕を狙っているようで、僕は路地裏へと逃げ込んだ。そこで田中くんと山村さんに挟まれてしまった――という顛末である。
考えろ。僕の役割はなんだ。顔を上げながら、僕は自分の表情というものが全く自分の思い通りにならないのだということをいやというほど実感していた。
明らかな侮蔑、嘲笑――それを浮かべる権利は僕にはない。できたとしても、彼らには無意味だ。
彼らは彼らの世界観の中でロールしている。そこにもっともな理論で難癖をつけたり、設定の瑕疵をあげつらったりするのは、やっているほうは楽しいのかもしれないが、当人たちにとっては全くの暴論でしかない。
地球の生物は酸素を取り込んで生きている。だが酸素は取り込めば細胞を蝕んでいく。それを馬鹿げていると突っ込まれてたところで、そうですね、のひとことでおしまいである。
他者の世界観を破壊することは、それほどまでに無意味なのだ。
なら、それを受け入れた僕は一体なんなのか――自嘲に顔が歪むのがわかって、それは彼らに向けるべき表情ではないと顔を伏せる。
解釈違いというそのままを、僕の表情として現出させる――それは、タタリさんだからできたことだ。僕が自分だけで相手の解釈を破却できるような人間ではないことは、僕が一番わかっている。タタリさんの道具――触媒として使われることで僕は成り立つのであって、僕個人に解釈人を解釈できるだけの解釈はない。
「どうしたァ、佐藤太郎」
熱波が頬を撫でていることに気付き、僕ははっと顔を上げる。しまった――僕の表情の主導権を、相手に持っていかれている。
田中くんの右手から、真っ赤な炎が立ち上っていた。
わかってはいたことだが、単なるお遊びではない。エディターに付与された設定によって、こうして異能が発現している。
「貴方も自分の能力の名を告げるべきでは? こうして立ち合うのに、それはフェアじゃないでしょう?」
山村さんの足元の地面が凍っていく。僕の味方をしてくれるとは思わないほうがいいだろう。僕は『能力者』全員のターゲットに設定されているはずだ。
しかし――〝焼肉強食〟か。僕は自分に付与されたその異能を、まだ使ったことがない。決して弱くは設定されていないとは思うが、炎や氷使いに正面からぶつかるのは気が進まない。
「構えろよ、佐藤太郎」
「どうするの? 佐藤太郎」
佐藤太郎。能力の名は〝焼肉強食〟。空腹時と満腹時に、筋力が跳ね上がる。能力を使う度にカロリーを消費し、空腹時は相乗効果でさらに威力が上がるが、同時に餓死の危険性も高まる――。
「じゃあないんだよ」
僕――立待月夜がそう言うのと同時に、田中くんと山村さんはその能力を振るった。
振るったのだろう。それは田中くんの足が霜に覆われ、山村さんの髪が焦げ臭くなっていることから判断できる。
ただ、その間に立っていた僕は、全くなんの影響も受けてはいなかった。
「お前の能力――無効化かッ!」
考察する田中くんだったが、僕にその言葉は届かない。僕はもうその土俵には上がっていないからだ。
タタリさんに最初から言われていたではないか。相手の土俵に上がった時点で負け――そう、僕は負けるために連れてこられた。ご丁寧に佐藤太郎という人格まででっち上げて、相手の土俵に上がらせてもらいにいったのだ。
これは言わば、僕が佐藤太郎――エディターの「うちの子」へと堕するかどうかという勝負だったのだ。僕が佐藤太郎としてその能力を振るっていたら、僕はエディターの解釈を敷衍された生きた傀儡と化していた。
タタリさんが僕に偽名を与えたのは、それを防ぐ最小限にして最大限の抜け穴をあらかじめ作っておいてくれたということだろう。直接本名に解釈を敷衍されれば、僕がそれを受け入れるとタタリさんは気付いていたし、そう忠告していた。
佐藤太郎という
だが、僕が佐藤太郎と一緒に、付与された設定をも棄却したことで、タタリさんは勝ったのだ。
エディターは「うちの子」自身に、「うちの子」を否定された。その打撃は恐らく、僕が想像する以上に大きい。
偽名を使った――最初から仕組まれていた――だがどんな屁理屈をこねようが、エディターが設定を考えて一生懸命に作った佐藤太郎というキャラは、自己矛盾という解釈違いを起こして消滅した。その事実は変わらない。
言うなれば、自分で作ったキャラによって自分の世界観を否定されたようなものである。そこをタタリさんがちょっと突っつけば、エディターの解釈は見るも無残に瓦解する。
「解釈違い、でした」
僕は崩れ落ちた佐藤太郎に代わって、そう呟いた。
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