第3話 懐かしい光

一時間ほど歩いただろうか、光はジャングルの中でもよく見えたため、見失うことなく無事にその場へ辿り着くことができた。

 そして。俺は今日ほど明確に神の存在を確信した日は無いだろう。今日という日を一生忘れることは無いとさえ思った。

 なんとなれば、その光の発生源となっていたのは、


 いやいやいや、ちょっと待て。俺、ついに脳に来たか? あまりにもコンビニの癒しを求めすぎて幻覚まで見るようになったか? 宇宙人が俺を捕まえるために仕掛けた巧妙な罠『俺ホイホイ』なのか? 

 いやもう罠でもいいよ、ジャングルなんぞに打ち捨てられているよりはずっとマシだ。飛んで火に入る夏の虫ならず『飛んでコンビニに入るジャングルの俺』だ。もうどうにでもなれ。俺は意を決して、その燦然と輝くコンビニに足を踏み入れた。


 ……ピロローン。ピロローン。


 はうぅぅう! 懐かしい入店音!

 今の俺には『天上の音楽』にも匹敵するほどの心の安寧をもたらすその音は、砂漠の大地のように乾ききったこの心にオアシスの恵みの如く、深く深く沁み渡って行った。

 恐らくお店の人は誰もいないだろうが、それでも一縷の望みを託して声をかけてみる。


「すいませーん。誰かいますかー?」


 …………。

 とても静かだ。人の気配すらしない。ちょっと頼むよ、俺、今日は生きた人間と一度も話してないんだよ、誰かと会話したいよ、「おにぎり温めますか?」だけでいいよ、おにぎりなんか温めないけどさ、その声が聴きたいんだよ。


 だが、呼んでも呼んでも誰も出てくることは無かった。最後の砦であろうバックヤードの方も覗いたが、人っ子一人、ゴキブリ一匹いなかった。


 いずれにしろ俺はお金を持っていない。誰かいたとしても事情を話して食料を分けて貰うしかなかったんだ、そう自分に言い聞かせて、まずは腹ごしらえをすることにした。

 ケースの中のから揚げや肉まんには目もくれず、いつものようにおにぎりとお茶を取ってバックヤードへ持ち込む。そう、ここならテーブルも椅子もある。

 お金を払っていないことに若干の後ろめたさを感じつつも、空腹と疲労には勝てなかった俺は、おにぎりとお茶を貪るように腹に収めた。


 今日は俺、頑張ったじゃん。明け方まで眠ることもできず、朝からジャングルを必死で抜け、その後海岸を延々と何キロも歩いたじゃん。ご褒美におでん食べたっていいだろ? アイスクリーム一つくらいデザートにつけてもいいよな?

 ……と、デザートを物色するための言い訳を考えながら再び店内をウロウロしていると、ふと入り口のガラスに映る自分の汚い姿が目に入った。


 酷えなこりゃ。


 仕方なく、バックヤードで手と顔を洗い、売り物のTシャツに着替えた。ズボンは流石に無かったが、制服があったのでそれを拝借した。靴下も手に入れ、サンダルもゲットした。これで少しは歩きやすくなる。

 ついでに怪我の手当てもしておいた。ここなら絆創膏も手に入る。


 なんやかんやとやっているうちに、空が白んできた。夜明けである。

 喉が渇いてきた俺は、もう一本、今度は2リットルのお茶を冷蔵庫から出してキャップを捻った。


 その時だ。

 朝日が店のガラスに照り付けるのと同時に、店自体がキラキラと輝きだしたのだ。

 俺がぽかんと口を開けたままぼんやりと眺める中、コンビニの店舗そのものが小さな光の粒に変わり、恰も砂がさらさらと崩れて行くかのように建物自体が消失してしまった。


 後には、コンビニの制服を着てお茶のペットボトルを抱いたまま、ジャングルの真ん中に呆然と立ち尽くす俺だけが残された。



 暫くして落ち着きを取り戻した俺は、昨夜のコンビニについて考えていた。

 店舗が消失したからと言って、俺の身の回りにあるものは消えることは無く、そのまま残っている。Tシャツ、制服、サンダル、靴下、絆創膏、そしてペットボトルのお茶。

 コンビニ自体は、陽が落ちると同時に出現し、陽が昇ると消えてしまった。

 もしかして、今日も日が暮れるとあのコンビニは出現するんじゃないだろうか。


 もしももう一度コンビニが出現したら、食料や日用品をごっそり持ち出した方がいいんじゃないだろうか。


 いや待てよ、持ち出したとしてもそれをどこに置くんだ? どこか定位置を決めないといかんだろ。


 逆に、コンビニを拠点にして、コンビニが消えている間どこかで時間を潰せばいいか。そう考えると、レジ袋でもレジ籠でも何でもいいじゃないか。その中に入れて持ち歩けばいい。小さくたためるショッピングバッグがあるはずだ、あれに詰め込んどけばいいや。


 いや、時間を潰している暇はない。俺はなんとかしてここから脱出しないと、無断欠勤が続けばクビにされてしまう。

 いや、戻ったとしてもなんといって言い訳したらいいんだ?

「目が覚めたらジャングルの中にいたんです」なんて話を一体誰が信じる? 使い古された『母が危篤で』なんていう言い訳の方がよほど説得力あるよ。


 だけど、だけどだ。下手にウロウロするよりはもう一度ここで夜を迎えて、ここにコンビニがもう一度出現するかどうか確かめた方が安全だろ。それから脱出方法を考えたって遅くない。ここでしか食料は手に入らないんだから。そうしよう。



 俺は一旦ここに腰を落ち着けて、夜を待つことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る