第四章 如月芳美

第1話 ここはどこなんだ

 ――カッ!

 突然、凄まじい光に包まれた。

 俺は無意識に両腕で頭を守った。

 何だ、何事だ!


 爆音が轟くわけでもなければ、爆風が吹き付けるわけでもない。熱波が押し寄せるわけでもなく、ただただ、刺さるほどの尋常ならざる光に覆われ、俺は強制的に夢の世界から現実に引き戻された。

 純粋な恐怖に暫く頭を守ったまま伏せていた俺は、とりあえず安全は確保できているように感じ、恐る恐る顔を上げてみた。

 特に何も変わった様子はない。一級遮光のカーテンに仕切られた部屋は、月明かりさえもシャットアウトして完全な暗闇を約束してくれている。


 とにかく何があったのか確認しよう。

 俺は枕元に置いたスマホに手をやった。……無い。

 待て、そういう問題じゃない、


 硬い。ごつごつざらざらしている。どう考えても布団じゃない。

 待て待て待て、おかしいだろう、待て、ちょっと俺、落ち着け。灯りを点けよう、まずそこからだ。

 俺は電灯の紐に手を伸ばした。


 ちょっ……!

 何かいろんなガサガサしたものが俺の周りにある! 待て、俺、何に囲まれてるんだ! 俺はどこに座っているんだ!


 俺は尻の周りの床を丁寧に撫でてみた。デコボコして硬い、どこかで触ったことのあるような感触、なんだ、思い出せ。ガサガサしてゴワゴワして……てか、おいっ、ちょっと先何もねーぞ! 床がねえってどういうことだ、俺はにいるんだ? 幅、50センチもねーじゃねえか! これ、下手に動いたら落ちるフラグだぞ、すっげー高いとこだったらどーすんだよ! 

 

 そんなこんなしているうちに目が慣れてくる。俺の周りを取り囲む黒いシルエットに、俺は確かに見覚えがある。いつだ、どこで見た?

 この頬を撫でて行く中途半端に湿っぽい風、そして生温く鼻腔の奥に侵入してくる青臭い匂い、カサカサと耳障りな摩擦音。


 ……まさか……木?


 俺はそのまま失神したい衝動に駆られたが、現実はそう甘くない。俺は確実にスマホも無けりゃ電気も点かねえ真っ暗闇の中、何故か太い木の枝の上に座っている。これが紛れもない現実だ、多分。いやこれ、動いたらダメなヤツだろ。


 としたら、どうするのが一番賢いか。

 まず、暗闇をやみくもに動くのは危険だ、落ち着こう。夜明けまでじっとしているべきだ、朝の来ない夜などない! それまでにゆっくり考えたらいいんだ、なぜこんなことになっているのかを。寒くなくてよかった、それだけが唯一の救いだ。



 長すぎる夜がやっと明けて空が白み始めてきたころ、俺はようやく自分の置かれた立場を認識することができた。とにかく長かった。10時間くらいに感じたが、実際は2時間くらいだったかもしれない。

 俺が座っていたところは真夜中の感覚と僅かに違った程度で、ほぼ想定した通りだった。

 50センチほどの幅の木の枝、丸い葉っぱがガサガサとついた広葉樹だが、何の木なのかは俺にはわからない。周りを見ると似たような木がたくさんあり、まるでジャングルか何かのようだ。


 とにかくこの木を下りてみないことには何も始まらないので、何とかして下りようと試みる。……が、一歩を踏み出す前に固まってしまっている俺がいる。

 痛いんだよ、木の肌がさ!

 俺は素足なんだよ、足の裏、痛いだろ! これムリだって。下りらんねー。

 かといって靴を履いてるわけでもなし、靴下やスリッパがあるわけでもなし、所持品はゼロ、服装はパジャマ代わりのスウェット上下だ。俺にどうしろと?

 悩んだ俺は、結局スウェットの上を裂いて足にぐるぐる巻き、靴の代わりにした。これで足の裏のダメージは減らせる。


 ささやかな、いや盛大な恐怖と戦いながら、少しずつ木を下りる。太い枝の合間に偶に出ているやや細めの枝にしがみつき、足場を確認し、ゆっくりと慎重に下りて行く。

 何しろ普段運動らしい運動をしていないから、体がダルダルになまっていて、ほんのちょっとでも気を抜けばそのまま下に転落するのは容易に想像できる。

 こんな緊張感をもって仕事をしたことがあっただろうか。俺の普段の生活が如何に緊張感のないものか、目の前に突き付けられた感じだ。戻ったらもう少し真面目に仕事をしようか、などと余計なことを考えた俺は、予想通り手を滑らせてものの見事に落下した。


 いってーな……畜生、なんで俺がこんな目に遭わなきゃならないんだよ、俺が何したっつーんだよ。骨折はしていなさそうだ、途中の枝に一度引っかかったのが幸いしたか。打撲なんかも無さそうだ。

 が、夢中でその辺にしがみつこうとしたせいて、ひっかき傷だらけであちこちから血が滲み出てる。くっそ、全くついてねえ!


 とにかく真っ直ぐ歩いてみよう、何かに当たるまで真っ直ぐだ。スマホも無いのに、こんなところで遭難したらシャレになんねえ。

 俺はスウェットの袖を裂いて巻きつけただけの『靴』で、ジャングルの行軍をスタートしたのだった。

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