雇われ医師と傲慢な求婚者 ~古代ローマ身分差恋愛事情~

綾束 乙@4/25書籍2冊同時発売!

第1章 屈辱の出会い 1


 どんっ、と背中を強く押される。


 荷物ごと泉のそばの茂みへ倒れ込んだレティシアにのしかかってきたのは、故郷の村から一緒に旅をしてきたデミクレスだった。


「デミクレスさん!」

 抗議の声を上げながら、己の油断を歯噛みする。


 故郷の村を出てからずっと、デミクレスがよくない目で自分を見ていたのは知っていた。だからこそ、陸路で宿をとる時も船旅の間も、できる限り警戒して、寄せつけないようにしていたというのに。


 まさか、あと数刻でローマに着くという白昼に襲われるとは。

 しかも、ここは元老院議員の別荘の敷地内で、小道を通る者は皆無だ。


「やめてください! 正気ですかっ!」


 袋に入った荷物を盾に、のしかかってくる青年の体を必死に押し返しながら叫ぶ。暴れるたび、結い上げた栗色の髪に木の葉がまとわりついてがざがさと鳴る。


「正気か、だと? ああ、正気さ。今を逃したら、もう二度と機会がないってな」


 力任せにレティシアの荷物を奪って放り投げ、デミクレスが腹の上に馬乗りになる。


「卑怯者っ!」


 レティシアはデミクレスを引っ叩こうとした。が、逆に右手を掴まれ、左手もろとも地面に押さえつけられ、封じられる。


「村にいた時から、お前には目をつけてたんだ。やっと巡ってきた機会をふいにできるか……!」


「悪い冗談はやめてっ!」

「冗談なもんか!」


 劣情に歪んだ声で言い、青年が右手をストラの胸元へ伸ばしてくる。レティシアは必死で身をよじり、足をばたつかせて抵抗した。


「力づくでものにしようだなんて最低だわ! 人間のくずよ!」


「何だと!?」

 激昂したデミクレスに頬を張られる。


「黙れ! 屑はお前の方だろうが! 蔑まれるお前に、情けをくれてやるんだ! 泣いて感謝しろよ!」


「っ! 私は人に恥じるような行為をしたことなんてありませんっ!」


 一瞬、息が詰まるが、デミクレスをにらみつけて負けじと言い返す。だが、その一言が青年の狂気に火をつけたようだった。


「なら、今から人に言えないような目に遭わせてやるよ。そうすりゃ、お前も同類だ」


 デミクレスの手がストラの胸元を鷲掴わしづかみにし、力任せに広げようとする。


 びっ、と布地が不吉な音を立て――。


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