三幕 愚者のラストゲーム 12(終)

「ナキ……」


 十九番『太陽』のソルは、商船の甲板からおびえた顔でナキを見つめていた。セレネと揃いで妖精と謳われた容貌は今は輝きを失い、萎れゆく花のよう。端末をポケットに入れたナキは、眸をわずかに眇めた。橋を照らす道路灯が商船にうっすら光を落としている。それはソルの顔をちょうど半分、闇に浮かび上がらせていた。


「ソル。何をしているの」


 これまではターゲットを見つけた瞬間、有無を言わさず引き金を引いてきた。言葉を交わしたこともあまりない。彼らに『ターゲット』以外の価値や個性を見出したことも。ただ、ソルはナキと同じチルドレンだった。何の気まぐれだろう。今回もいつものように片付けるつもりだったのに、ナキは彼の呼びかけにこたえてしまった。

 横づけされた船にかけられた梯子に飛び移る。いつものブーツでなく、ドレスにそろえた華奢なミュールを履いていたため、ヒールがかつんとステップに引っかかり、ナキは眉をひそめた。普段とちがうナキの装いに気付いたのかもしれないが、ソルの目は虚ろで、冗談のひとつだって口にしない。

 ナキはミュールを脱いでしまうと、いつもの身のこなしで船上にのぼった。甲板に着地したはずみに、ビッ、と嫌な音を立てて、ドレスの裾が裂ける。白い足があらわになったが、ナキはさして気にするそぶりを見せなかった。


「遊戯は?」


 ナキの短い問いに、ソルは座り込んだまま、目を伏せた。


「……逃げた」

「その意味、わかる?」

「わかるよ。わかる。うたえない金糸雀には死を、でしょう」


 ソルの腕に発動しなかった小型爆弾が抱えられているのにナキは気付く。ソルとセレネの得意。どんなものだってたやすく破壊する小型爆弾。彼は今回の遊戯でも、それを持ち込んでいたはずだった。


「怖いんだ、遊戯が」

「……怖い?」


 どこかで聞いたことのある言葉をソルは口にした。あれはセレネの棺を皆で送り出すときのこと。セツが腫らした目でそう呟いていた。遊戯が怖い、殺すのが怖いのだと。だが、新入りのセツがそう感じるならまだしも、ソルやナキは「ベテラン」だ。恐怖心なんてとっくに捨て去ってここまで生き抜いてきたはず。それなのに。


「セレネが死んでから、起爆のスイッチが押せない、どうしても。押そうとは思ってる。押し方だって知ってる。でもどうしても、ここだ、というときに押せなくなる。さっきもそう。カレニアと目が合った。今だってわかった。なのに、指が動かなくなる。代わりによぎる」

「何が」

「セレネの絶鳴」


 消音がほどこされた画面の向こうでは、チルドレンの絶鳴が響いている。レンズに付着した粘ついた液体。飛び散る肉片。食い荒らされていく少女の身体。そんな地獄はうんざりするほど見た。感じない。そうでなければ、引き金は引けない。


「ターゲットの顔がセレネのそれに変わる。――押せない。彼女がセレネでなくても。わかっていても。僕の標的はセレネの顔に変わり続ける。この先もたぶんきっと、ずっと。押せない。できない。殺せない。……うたえない、もう」


 ソルは抱えていた小型爆弾を掲げて、床に叩きつける。船の端まで転がっていく小さな歯車をナキは息をひそめて見つめた。


「これから、どうするの」

「……君は僕を殺しにきたの、ナキ?」


 落ち窪んだソルの目には、けれどまだチルドレンらしいしたたかさが宿っている。ソルがナキの右ポケットにすばやく視線を走らせるのをナキは見落とさなかった。ポケットにはナキの得物――『コマドリ』が入っている。チルドレンなら皆知っている事実。ソルも例外ではない。

 ナキは目を細めただけで、こたえなかった。


「アナタのタグが欲しい」

「タグ?」

「十九番。わたしが欲しいのはそれだけ」


 ソルはたぶん、この商船に身をひそめて東京に密入国する気だ。タウンの住人がときどき使う手。成功率は1%くらい。たいていは東京側の警備に見つかって射殺される。だけども、ソルならば、やりおおせるかもしれない。それだけの機転と胆力をこの少年は持っている。


「バカだね。望んで遊戯を続けるなんて」


 苦笑して、ソルはポケットから十九とナンバリングされたタグを取り出した。鉛の薄っぺらな板には、ナンバー十九が打刻されている。タグに通された革紐にナキは手を伸ばす。そのとき、消灯されていた船の明かりが急に灯った。同時に埠頭から、強い光が照射される。あまりのまばゆさに、ソルとナキは目を細めた。


「――チルドレン・ナキに五百!」


 視界がもとの明るさを取り戻したとき、停泊する船の周りには、遊戯の参加者たちが集まっていた。……シャーロック。ナキは呟く。チルドレンが持つ端末は、ターゲットと同じく子どもたちの簡単な位置情報がわかるよう設定されている。シャーロックがそれを見逃すはずがなかった。これは遊戯。彼は最初にそう宣言したはずだ。


「七百! ソルが逃げるほうに!」

「千! ナキの勝利に!」


 観客はめったにない、生の遊戯に興奮している。最初は十人ほどだったが、誰が呼んでいるのか、次々人が増えていく。投げ込まれた札束がナキの足元に散らばった。それに端を発して、次々コインが投げられる。宝石みたいな澄んだ音が足元で鈴鳴った。そして、はやしたてる観客の声。殺せ! 殺せ! うたえぬ金糸雀には死を! 死を! 死を!!! 膚を焼く照明の熱がわずらわしい。ナキは耳を塞ぎたくなって緩くかぶりを振り、空を見上げた。夜の天穹は、果てしなく昏い。このシャーロック・タウンで、星は見えない。天は闇だ。奈落の底。どこにもゆけない、ゆきどまり。


(ロクデナシ)


 空とは対照的に、足元に落ちたコインはきらきらとひかっている。


(みんな、ロクデナシ)


 目を伏せて、ナキはわらった。


(……わたしも、ロクデナシ)


 甲板にうずくまっていたソルがばねのように身体を起こして、梯子を駆け下りる。ナキの隙をつくなら今だとソルは直感したのだろう。埠頭に着地したソルは梯子を蹴倒した。観客がどよめき、身を引く。そのときにはナキも、船から埠頭へ飛び移っている。ポケットから『コマドリ』を引き抜き、闇を駆ける背に向けて発砲。

 ガウンッ! 振動が銃把から伝わり、頬を歪める。ソルの身体が一度大きく傾ぐが、姿勢を取り戻してまた走り出した。


(外した。脳天を狙ったはずなのに)


 唇を噛み、ナキは再び発砲する。続けて二発。ソルの身体が小鹿のように跳ねてコンクリの上に倒れた。撃たれた足を引きずり、なお茂みに隠れようとするソルの前にナキは回り込む。肩に一発。足に一発。少年の小さな身体から溢れた血がコンクリにかすれた赤い線を引いている。ソルの手がコンクリに爪を立てる。その目にはまだ生への烈しい執着があった。


「死にたくない」


 ナキの裂けたドレスの裾を握り締め、ソルは喘ぐ。


「死ぬのはいやだっ! こんな場所で、まだ僕は……っ!」


 ナキは頬にかかった髪を耳にかける。ソルのものだろうか、ナキのものだろうか、整わない呼気が凍てた夜を乱していく。

 ここは東京のさいはてであるとひとは言う。知らない。わたしは、このさいはて以外の世界を知らない。たとえここが頭のおかしい地獄でも、逃げ出したいとは思わない。だってわたしのたったひとつの『宝石』はこの場所にある。だから――。

 撃鉄を起こし、死神と踊る。

 まだ終わらない。終わらせられない。

 この先に待っているのがハッピーエンドじゃなくっても。


「……さよなら」


 狙いを定め、引き金を引く。

 吐き出された銃弾が額に吸い込まれ、脳漿を撒き散らしてソルがコンクリに倒れる。至近距離から四発の銃弾を受けたせいで、ソルの頭部は半ば破壊されていた。硝煙を上げるまだ熱い銃口を下ろして、ナキは腰をかがめると、力なく横たわる手のひらから十九番のタグを取った。それを自分の首へとかけ直す。

 少女が大切なアクセサリにそうするように。



 ……三幕「愚者のラストゲーム」END.

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